アナトテの畑を買ったエレミヤ エレミヤ書32章1~44節

聖書箇所:エレミヤ書32章1~44節(旧約P1352、エレミヤ書講解説教61回目)
タイトル:「アナトテの畑を買ったエレミヤ」」
前回は、エレミヤ書ばかりか聖書全体のテーマである新しい契約についてお話しました。きょうは、この31章の最後の箇所となります。きょうは、この箇所から「イスラエルは滅びない」というテーマでお話します。
私たちは前回「新しい契約」について学びました。それは古い契約とは違います。どのように違うのかと申しますと、古い契約はモーセを通して与えられたシナイ契約のことですが、それは、もしイスラエルの民が神の声に聞き従い、神との契約を守るなら彼らは祝福されますが、そうでなければ、呪われるというものでした。でも、神との契約を完全に守ることができる人など一人もいないわけで、そういう意味ではそれはイスラエルも同じで、彼らは神の呪いを受けなければならない存在となってしまいました。でもそれでは困るわけです。もし神の民であるイスラエルが滅びてしまったらイスラエルを通して全世界を救おうとしておられた神の計画が頓挫してしまうことになってしまうからです。そこで神はどうされましたか?神は彼らに新しい契約与えてくださいました。それは古い契約が破棄されたというわけではありません。むしろ、その古い契約を実行する力を与えてくださったということです。それがイエス・キリストです。神はイエス・キリストを信じる者に神の聖霊を与えてくださり、その聖霊によって彼らの心に神の律法を書き記してくださったのです。もし石の板に書き記されたものならば、彼らは強制的にそれを行わなければならないということになりますが、彼らにはそんな力はありませんでした。そこで神はひとり子イエスをこの世に与え、この方を信じる者の心に聖霊を与えてくださり、それを成し遂げる力を与えてくださったのです。もう神の掟を守らなければならないというのではありません。もう守りたくて、守りたくてしかたがない。神様に喜ばれるように歩みたいと願うようになったのです。それが新しい契約です。これがイエス・キリストを通して神が私たちに与えてくださった一方的な恵みの契約なのです。ですから、私たちはあれもしなければならない、これもしなければならないといった律法から解放されて、聖霊の助けによって自発的に喜んで神に従うことができるようになったのです。それはイエスが十字架で死なれ、私たちの罪を贖ってくださったからです。これが新しい契約です。これが神の永遠の救いのご計画だったのです。ですから、イエス・キリストを救い主と信じた人の心には、聖霊なる神が住んでおられるのです。そしてこの聖霊を受けた人はどんなことがあっても救いを失うことは絶対にありません。これはあなたが救われていることの保証でもありますから。イエス・キリストを信じて罪が赦され、永遠のいのちを受けたのであれば、どんなことがあってもあなたは救いを失うことは絶対にありません。
「そんなことでは、救いが取り去られますよ」と言われて、不安に苛まれたことのあるクリスチャンも少なくないと思います。確かに自堕落な生活はしているし、信仰とは言っても名ばかりで、こんな汚れた者が救われるはずがないと思うことがあります。いったいどこまで奉仕をしたら認められるのか。信仰生活は苦しいことばかりで、疲れ切ってしまった…。そんな相談を度々受けることがあります。特に、カルト化している教会も少なくなく、そういった教会では、例外なく、救いが失われることもあると言うのです。でも自分の罪を認めて悔い改め、イエス・キリストを信じて救われた人が、その救いを失うことは絶対にありません。
このことについて聖書は何と言っているでしょうか。聖書は、あなたの状態やあなたの行いと関係なく、もしあなたが悔い改めてイエス・キリストを救い主として信じるなら、神はあなたをすべての悪からきよめてくださると約束しています。「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(Ⅰヨハネ1:9)
これが聖書の約束です。そして聖霊が神のことばと神の思いをその人の心にしっかり刻んでくださるので、もはや外側からの圧力やプレッシャーを受けることなく、あるいは人から何かを強要されることもなく、喜んで自分から神のことばに従いたいと思うようになるのです。
その結果、どのようなことが起こるのでしょうか。その結果、彼らはもはや、それぞれ隣人に、あるいはそれぞれ兄弟に向かって、「主を知れ」と言って教えることはなくなります。彼らはみな、身分の低い者から高い者まで、一人一人の内におられる聖霊によって主を知るようになるからです。また、主が彼らの罪を赦してくださるだけでなく、もう二度と彼らの罪を思い起こすことはありません。完全な赦しを受けるのです。すばらしいですね。これが福音です。
きょうの箇所には、この新しい契約の有効期限はいつまで続くのかについて語られています。皆さんはクレジットカードを持っておられると思いますが、そのカードには必ず有効期限が書かれてあります。そのカードの有効期限がいつまでなのか、何年何月までと記載してあるのです。もしその有効期限が切れていたらどうなるでしょうか。全く使い物になりません。カードとしての機能を果たすことができないわけです。おなじように、神は私たちと契約を結んでくださいました。それはクレジットカードのようなものではなく聖書の中に記されてあるわけですが、そこには何と書いてありますか。31章3節には「永遠の愛をもってわたしはあなたを愛した。」とあります。神様はあなたを永遠の愛をもって愛してくださいました。永遠ということは期限がないということです。ですから、延長保証などをする必要もりません。最近、家内が交通事故を起こし全損扱いとなってしまいました。保険会社からき、入っている車両保険の分をお支払いするので、その範囲内で車をお求めくださいと言われました。ところが、車の保険って高いんですね。大抵は1年間の保証は付いているのですが、それが2年、3年と伸ばすと一気に高くなるのです。また、1年間走ってみて問題なければそれでいいかと思ったら、担当のセールスマンの話では、その後が危ないというではありませなか。1年経った頃からいろいろ出てくると言うのです。確かにそうかもしれません。だから保険も高くなるんだろうと思いますが、その度に保険に入っていたら多額の保険料が必要になってしまいます。ですから、神様が守ってくださると信じて1年間の保険に入ることにしましたが、神様の契約は1年どころではありません。2年、3年でもない。それはずっと続きます。それは永遠の保証、永遠の契約なのです。このイスラエルの民に対する神の約束は永遠に破られることはありません。もしもあなたがこの天地を破壊することができるなら、つまり、神が定められた自然の法則を破ることができるなら、あるいは破られるということもあるかもしれませんが、実際にはそういうことはありません。であれば、イエス・キリストによってもたらされたこの神との新しい契約が破られるということは絶対にないのです。
Ⅰ.イスラエルは絶対に滅びない(35-37)
まず、35~37節をご覧ください。「35 【主】はこう言われる。太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる方、その名が万軍の【主】である方が。36 「もしも、これらの掟がわたしの前から去ることがあるなら──【主】のことば──イスラエルの子孫は絶えて、わたしの前にいつまでも一つの民であることはできない。」37 【主】はこう言われる。「もしも、上の天が測られ、下の地の基が探り出されることがあるなら、わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行ったすべてのことのゆえに退ける。──【主】のことば。」」
どういうことでしょうか。36節には「もしも、これらの掟がわたしの前から去ることがあるなら、主のことば、イスラエルの子孫は絶えて、わたしの前にいつまでも一つの民であることはできない。」とあります。「これらの掟」とは、その前の35節にある「太陽を与えて昼間の光とし、月と星を定めて夜の光とし、海をかき立てて波を騒がせる」という、いわゆる自然法則のことです。もしもそうした掟が主の御前から去るようなことがあるなら、イスラエルの子孫も絶えてしまうことがあるもしれません。主の前にいつまでも一つの民であることはできないでしょう。でも実際そういうことは絶対にありません。これらの法則を与えられた神だからです。その神がここで言われている「これらの掟」すなわち、自然の法則を破らないかぎり、イスラエルの民が神によって滅ぼされるということは絶対にありません。イスラエルが神の前から退かれることは絶対にないのです。もしそのようなことがあるとしたら、それこそイスラエルの民が滅びる時ですが、そういうことは絶対にありません。つまり、神が与えてくださる新しい契約が破られることは絶対にないのです。
これはイスラエルに対する驚くべき神の約束です。イスラエルが滅びることは絶対にないというのですから。もしもイスラエルに対する約束を無効にしたいなら、その人はまず、太陽と月と星をミサイルとか何かで破壊しなければならないことになります。海流や波をすべて止めなければなりません。そんなことできますか?できません。神がイスラエルと結ばれた約束は同じです。絶対に破られることはありません。それほど強いのです。
皆さんも子どものころ何気なく口ずさんだことがあると思いますが、「指きり拳万、嘘ついたら針千本飲ます」ですね。これは恐ろしい誓いです。というのは、約束を破ったら「拳で1万回殴られ」、それに追加して「針を千本飲まされる」のですから。でも私たちは平気で破ってきました。もう拳で1万回殴られても仕方ないのです。針を千本飲まされても仕方ありません。だって約束を破ったんですから。でも聖書の神は違います。そういうことは絶対にありません。聖書の神は約束されたことは必ず守られます。それが私たちの信じている神です。ここにはその名が太字で「主」とありますが、この「主」と訳されている語はヘブル語では「ヤハウェ」と言って、「契約の神」であることを表しています。聖書の神はどんなことがあっても約束を守られる方なのです。太陽、月、星、海、波といった自然の法則が破られないように、主がイスラエルと結ばれた契約は絶対に破られることはありません。
37節をご覧ください。「【主】はこう言われる。「もしも、上の天が測られ、下の地の基が探り出されることがあるなら、わたしも、イスラエルのすべての子孫を、彼らの行ったすべてのことのゆえに退ける。──【主】のことば。」」
「上の天が測られ、下の地の基が探り出される」ことは、人間には不可能な事です。それはこの天地を創造された神にしかできない事です。もしも人間にそのようなことができるとしたら、神もイスラエルと結ばれた約束を退けることもあるかもしれませんが、人間にはこのようなことはできません。だれが上の天を測り、下の基を探り出すことなどできるでしょうか。だれもできません。ということはどういうことかというと、主がイスラエルに与えた祝福の約束は必ず実現するということです。だって、人間にはそのようなことはできないのですから。ですから、イスラエルが滅びたり、退けられたりすることは絶対にありません。あなたが神の救いを失うことは絶対にないのです。
これが31章3節で語られたことです。「主は遠くから私に現れた。「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに真実の愛を尽くし続けた」。主は永遠の愛をもって彼らを愛されました。永遠の愛をもってあなたを愛されました。永遠の愛とは何ですか。永遠の愛とは永遠の愛です。そこには終わりがありません。それはいつまでも続く愛です。人間にはこのような愛はありません。しかし主はこの永遠の愛をもってイスラエルを愛してくださいました。彼らがどのような状態になろうとも、どんなに神に背いても、神はずっと彼らを愛してくださいました。つまり、どんなに堕落しようとも、取り返しのつかないような罪を犯しても、そうした状態とは関係なく、ずっと愛してくださるということです。神の愛は永遠に変わることがないのです。ずっとイスラエルの上に注がれているのです。
これはヘブル語で「ヘッセド」ということばです。これは契約に基づいた愛です。神はイスラエルの民と契約を結んでくださいましたが、それはどんなことがあっても決して破られることがありません。たとえイスラエルが神に背き神との契約を破ったとしても、神は破ることはありません。神は永遠の愛をもって彼らを愛してくださいました。それは彼らが善人だったからではありません。あるいは優れていたからでもありません。それはただ神が愛されたからです。申命記7章7~8節にそうあります。「主があなたがたを慕い、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実あなたがたは、あらゆる民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、またあなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王ファラオの手からあなたを贖い出されたのである。」主が彼らを愛されたのは、彼らがどの民よりも数が多かったからではありません。神が彼らを愛されたのは、ただ主が彼らを愛されたから。また彼らの父祖たちに誓った誓いを守られたからです。強いて言うなら、神がイスラエルを愛したかったからです。ただそれだけのことです。ですから、主は力強い御手をもってイスラエルをエジプトから救われたのです。ですから、どんなことがあっても、彼らが救いを失うことは絶対にないのです。
これが神がクリスチャンである私たちと結ばれた約束でもあります。神は私たちを、イエス・キリストを通して、この永遠の救いの中に入れてくださいました。ですから、あなたが救いを失うことは絶対にないのです。たとえあなたが罪を犯し神に背くことがあったとしても、あなたの救いが無効になってしまうことはありません。というのは、私たちの救いは私たちの行いや私たちの状態に基づいているものではないからです。そうではなく、それは主と主のみことばの約束に基づいているものだからです。私たち自身や私たちの行いをみたらもう目も当てられないくらいひどいもので、とても信頼できるものはありませんが、私たちの救いはそうした自分自身の行いによるのではなく、一方的な主の恵み、十字架と復活という主の救いの御業にあるので永遠に変わることがないのです。だから信頼することができるのです。ですから、あなたがいつでも罪を認めて悔い改め、神に立ち返るなら、神はあなたをすべての罪からゆるしてくださるのです。あなたが本当にイエスを救い主と信じたのなら、あなたは絶対に救いを失うことはありません。
イエスはこう言われました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16) 永遠の命とは、決して失われることのない、永遠の救いそのものです。いのちのパン(福音)を食べ、いのちの水(聖霊)を飲んだ者は、いつまでも飢えることも、渇くこともありません(ヨハ6:25,4:13~14)。
イエスはまたこう言われました。「28わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることがなく、また、だれも彼らをわたしの手から奪い去りはしません。29 わたしの父がわたしに与えてくださった者は、すべてにまさって大切です。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできません。」(ヨハネ10:28-29)
 福音を信じた者はすべて主の御手の内にあります。神は彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは永遠に、決して滅びることはなく、だれも彼らを主の御手から奪い去ることはできません。だれも彼らを、父の手から奪い去ることはできないのです。それが永遠のいのちなのです、私たちが一旦イエスを信じたなら、イエスは決してあなたを見捨てたり、見離したりはしません。あなたがイエスを見離さない、見捨てない限り、イエスは絶対にあなたを見離すことはしないのです。
何度か紹介している マーガレット・F・パワーズさんが書いた「あしあと」という詩があります。
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。
あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた。」
あなたが主を捨てても、主はあなたを捨てることはありません。あなたが主に背いても、主はあなたに対して常に真実であられます。それが永遠のいのちです。神はあなたを永遠に愛してくださいました。だからどんなことがあっても、あなたが滅びることは絶対にありません。あなたが自分の罪を認めて神に立ち返るなら、神はあなたのすべての罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。それは神が堅固であるのと同様に確かな救いなのです。
神がイスラエルと結ばれた新しい契約とは、このようなものです。彼らはこのような神の愛で愛されているのです。それは私たちも同じです。私たちもイエスを信じたことで、この神の愛を受けました。だから、いつでも私たちは神に立ち返ることができるのです。どん底からも這い上がることができます。どんなに失敗を繰り返しても、あなたはやり直すことができるのです。この愛を信じるなら、この愛を見つけるなら、この愛に生きるなら、必ず立ち上がることができます。イスラエルは神に背いたことでバビロン捕囚の憂き目に会いましたが、それは彼らを滅ぼすことが目的ではありませんでした。それは彼らを回復し、建て直すことが目的だったのです。その日には、すなわち、イエスの血によって新しい契約が結ばれるとき、彼らは神の民として永遠に生き続けるようになります。イスラエルが滅びることは絶対にありません。イエスを信じる者が滅ぼされることは絶対にないのです。あなたが自分の罪を認め、悔い改めて神にすがるなら、神はあなたの罪を赦し、すべての悪からあなたをきよめてくださるのです。そして、あなたは永遠のいのちを受け、いつまでも主と共に生きるようになるのです。だれもあなたをキリストの愛から引き離すことはできません。
Ⅱ.新しいエルサレム(38-40)
最後に38~40節をご覧ください。それはイスラエルに対する約束だけでなく、イスラエルの都、神のエルサレムに対する約束について語られています。「38 「見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、この都はハナンエルのやぐらから隅の門まで、【主】のために建て直される。39 測り縄は、さらにそれからガレブの丘に伸び、ゴアの方に向かう。40 死体と灰の谷の全体と、東の方ではキデロンの谷と馬の門の隅までの畑は、みな【主】の聖なるものとされ、もはやとこしえに、根こそぎにされず、壊されることはない。」」
ここにも、「見よ、その時代が来る」とあります。これも終末のことを預言する特徴的な言葉です。「そのとき、この都はハナンエルのやぐらから隅の門まで、主のために建て直される」ことになります。どういうことでしょうか。エルサレムは東西南北の隅々にまで再建されるということです。
そこには「死体と灰の谷の全体」と、「東の方ではキデロンの谷と馬の門の隅までの畑もふくまれますが、それらはみな主の聖なるものとされ、もはやとこしえに、根こそぎにされ、壊されることはないのです。「死体と灰の谷の全体」とは、これはヒノムの谷(ゲヘナ)のことです。そこでは人身供養が行われていました。最も主が忌み嫌うべきことが行われていた場所なのです。そのヒノムの谷でさえもきよめられ、主の栄光を現わす場所に変えられていくのです。
これがご自身の契約に基づいて、神がイスラエルに約束されたことです。イスラエルとエルサレムは永遠に滅びることはないのです。それは私たち異邦人クリスチャンにも約束しておられることです。私たちもイエス・キリストを通して、神の永遠の守りの中に入れられました。どんなに罪に汚れた人であっても、やがて新しいエルサレムのように聖別され、神の栄光を現わす存在となるのです。これがイエス・キリストの十字架の血をもって神があなたと結んでくださった新しい契約です。 神の一方的な恵みによってこの契約の中に入れて入れられていることを感謝し、どんなに汚れた者であっても、神の栄光を現わす存在とさせていただきましょう。