最大の恵み ローマ人への手紙15章14~21節

2021年3月21日(日)礼拝メッセージ

聖書箇所:ローマ人への手紙15章14~21節

タイトル:「最大の恵み」

 

 きょうは「最大の恵み」というタイトルでお話したいと思います。このローマ人への手紙は、使徒パウロからローマの教会の人たちに書き送った手紙です。パウロはこの手紙も終わりに近づいたころ、もう一度これを書いた目的を述べています。それは異邦人に福音を宣べ伝えることです。そのためにローマの教会の人たちに祈ってほしかったのです。パウロは神から恵みを受けた者として、異邦人の使徒として召されました。使徒というのは「遣わされた者」という意味です。ユダヤ人ではない人たちを異邦人と言いますが、その異邦人に福音を伝えるという使命が与えられていました。それで、聖霊の助けによって熱心に主に仕え、エルサレムから始めてイルリコに至るまで、宣教のわざを続けてきました。イルリコというのは、現在のクロアチア、アドリヤ海に面した地域のことです。パウロは「エルサレムから始めて、イルリコに至るまでを巡りキリストの福音をくまなく伝えた」と言っています。その距離約二千二百キロメートルです。大雑把にとらえれば、北海道の端から沖縄の端まででしょうか。当時の旅のゆっくりしたこと、また様々な危険があったことを考えれば福音を広めるパウロの苦労は大変なものであったことでしょう。しかしパウロはそのような苦労をものともせず、「もうこの地方には私が働くべき場所はなくなりました」(15章23節)と言うほどに徹底して伝道して歩いたのです。

 

そして、当時ローマ帝国の果てと言われていたイスパニヤ、これは今のスペインのことですが、そこにも趣いて行きたいと考えていました。そのためには祈りが不可欠です。そうした伝道の計画をローマの教会の人たちに伝え、そのために祈ってほしかったのです。パウロにとっての最大の喜びは、イエス・キリストの福音を伝えることでした。神様がそのために自分を用いてくださるということが最大の恵みだったのです。それは私たちにも言えることです。私たちにとっても最大の喜びは、イエス・キリストの福音を伝えることです。この福音こそ多くの人々の人生を変える喜ばしい知らせなのです。

 

私の友人がアフリカでNPO団体の職員として働いていた時のこと、自分たちが立ち入らないような奥地にまでキリスト教の宣教師たちが入っていって熱心に福音宣教を進めている姿に驚かされたと言います。不便な生活をし、犠牲を払いながら、一体何を語っているのだろうか。興味を持った友人は、教会に通い始めました。そしてついにイエス・キリストにある罪の赦しときよめの祝福を理解するようになり、信仰を持ったというのです。そして、たばこをくゆらし、ただボーッと過ごすだけの人生から、神を喜び神の御心に沿って歩む、活き活きした人生へと脱出することができたと言います。キリストの福音は、私たちの人生を、このように変える力があるのです。

きょうは、パウロがどのようにこの福音を異邦人に宣べ伝えていたのかを、三つのポイントでお話ししたいと思います。

 Ⅰ.神が与えてくださった恵みのゆえに(14-17)

 

 第一に、14~17節までをご覧ください。ここには、パウロに与えられた使命がどのようなものであったかが記されてあります。「私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。ただ、あなたがたにもう一度思い起こしてもらうために、私は所々かなり大胆に書きました。私は、神が与えてくださった恵みのゆえに、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。ですから、神への奉仕について、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っています。」

 

 パウロは、これから語ろうとしていることをローマのクリスチャンたちに語るにあたり彼らを責めるような口調や態度ではなく、彼らを認めることから始めています。14節には、「私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。」と言っているのです。人が励まされ、強められるために一番重要なことは、その人が認められることです。人は認められるとき、自分の命までもささげ、与えられた使命を成し遂げようとします。パウロはまさにこの原則を用いて、彼らを認めることから始めているのです。それは何とかして彼らに、これから語ることを理解してほしかったからです。それは神の福音を宣べ伝えることについての神の計画です。

 

16節には、「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったからです。私は神の福音をもって、祭司の務めを果たしています。それは異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。」とあります。

パウロが受けた恵みとは何でしょうか?それはイエス・キリストによる救いです。これまでパウロは、旧約聖書にある神の律法を守らなければ救われないと、律法による救いを徹底的に説いてきました。しかし、すべての人は罪人なので神の律法を完全に行うことはできず、律法によっては義とみとられることがないとわかったとき、律法ではない、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを信じることによって、価なしに義と認められるということがわかりました。そしてその恵みを受け入れたとき、その恵みのゆえに、異邦人に福音を伝える者となったのです。それは異邦人が、聖霊によって聖なる者とされた、神に喜ばれるささげ物となるためです。創造主訳聖書には、「異邦人を聖霊によって聖められた、創造主に受け入れられるものとするためである。」と訳されてあります。つまり、異邦人もまた聖霊によって聖められて、神に受け入れられるようにするために、異邦人の使徒となったということです。その恵みを受けた者として、今度はその恵みを分け与える者となったのです。

 

 皆さんは、「恵み」というとどんなことを思い浮かべるでしょうか。どちらかというと、好いことがたくさんあったりとか、物質的に恵まれること、行く先々で道が開かれるといったことを考えるのではないかと思いますが、恵みとはそういうことではありません。恵みの意味を広辞苑で調べてみると、

1.めぐむこと。恩恵。また、いつくしみ。「自然の恵み」「天の恵み」

  1. キリスト教で、原罪にもかかわらず信仰によって与えられる神の愛による救済をいう。聖寵 (せいちょう)。

とあります。辞書にはちゃんとキリスト教での恵みの意味も書いてありますね。でも、実はここに書いてある内容では、恵みの本質を説明しているとは言えません。恵みとは、ただ恩恵を受けたり、何かの利益を得ることではありません。また、”原罪にもかかわらず信仰によって与えられる神の愛による救済”という説明にも、大切なポイントが抜けています。そのポイントは何かというと、『無条件で与えられる』ということです。恵みは、行いによってでも、対価を払うことでもなく、タダで与えられるものなのです。これは頑張ることを美徳にしている日本人には、理解するのが難しいことです。私たち日本人は、実は恵みとは反対の報いという考え方が強い民族性なのです。報いとは、行いや対価に応じて、与えられるものですが、無条件で与えられる恵みとは、全く逆のものです。例えば働けば報酬として、給料を貰うことができます。お金を払えば、物を買うことができます。誰かに親切にすることで、ご褒美が貰えるかもしれません。また、逆に悪いことをすれば、罰を受けます。犯罪を犯せば、罰金や懲役刑を受けます。これらは良くも悪くも、全て何かの行いや対価に応じて、自分に返ってくるものなので、全て報いです。けれども、恵みとは全く逆で、無条件で与えられるものです。無条件で何かを得ることを期待するなんて、怠け者で悪いことだと考えられてしまいますが、聖書では、全く救われるに値しない者に対して、神が一方的に与えてくださったもの、それがイエス・キリストの救いです。

 

ですから、キリスト教の救いは恵みなのです。これがキリスト教の神髄とも言えることです。だから、この恵みを完全に受け入れることができた人の先にあるのは、「これで大丈夫なんだ!」という平安な心なのです。パウロはこの恵みを受けたのです。彼は、神が与えてくださった恵みのゆえに、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったのです。

 

パウロは、Ⅰテモテ1章12~16節で次のように言っています。「私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。キリストは私を忠実な者と認めて、この務めに任命してくださったからです。私は以前には、神を冒涜する者、迫害する者、暴力をふるう者でした。しかし、信じていないときに知らないでしたことだったので、あわれみを受けました。私たちの主の恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに満ちあふれました。「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」ということばは真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした。」

 

パウロが、キリスト・イエスに感謝をささげているのはなぜでしょうか?それは、キリストが彼をこの務めに任命して、彼を忠実な者として認めてくださったからです。彼は以前、神を汚す者であり、クリスチャンを迫害するような者でした。いわば、神の敵として歩んでいたのです。まさに罪人のかしらのような人間でした。そんな者が赦されるはずがありません。しかし、彼は神のあわれみによって罪が赦され、キリストの福音を宣べ伝える者にされました。それこそ、ことばに言い尽くせない恵みだと、パウロは感激に溢れて告白しているのです。神様のために用いられることが幸せなのです。神様は自分よりも育ちも良く、頭も良くて、人格的にも立派な人を差し置いて、私のような者を用いてくださるとしたら、それこそ恵みではないでしょうか。

 

「驚くばかりの 恵みなりき この身の汚れを 知れる我(われ)に」(新聖歌233)。教会に行ったことがない人も、どこかで耳にしたことがあるでしょう。「アメージング・グレース」です。この歌は、ジョン・ニュートン(1725〜1807)によって1779年に発表されました。「アメージング・グレース」は、今日も教団教派を超えて歌い継がれている定番の賛美歌となっていますが、この讃美歌にはニュートン自身の劇的な回心の経験がその根底に流れています。

 

母親は熱心なクリスチャンでしたが、7歳にして母を亡くしたニュートンは11歳で父と共に船に乗るようになり、さまざまな経緯を経て奴隷貿易に携わるようになりました。その頃のニュートンの評判は、反抗的で、罰当たり、不親切というものだった。

しかし、ニュートンが22歳の時に転機が訪れます。1748年5月10日、激しい嵐が船を襲い、転覆の危機にあった船中でニュートンは神の憐みを求めて必死に祈りました。船は奇跡的に嵐を免れ、この経験がニュートンの回心の「始まり」となったのです。1754〜55年の間に、ニュートンは奴隷貿易をやめ、その代わりに神学を学び始める。そして1764年、ついに英国国教会の牧師になりました。その後彼は、黒人たちをまるで家畜のように扱う奴隷貿易に携わったことを罪を悔い改め、そのような者でさえも赦してくださった神の恵みに感謝して、この歌を造ったのです。アメージング・グレース。あっという恵み。その恵みのゆえに、彼もまたイエス・キリストの福音を伝える者となったのです。

 

パウロは、神が与えてくださった恵みのゆえに、異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となったのです。それは私たちも同じです。Ⅰペテロ2章9~10節はこうあります。  「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。」

 

私たちはみな祭司となったのです。これを万人祭司と言います。パウロはここで、「祭司の務めを果たしています」と言っていますが、私たちも神の祭司として、その務めがゆだねられているのです。それは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けたからです。アメージング・グレース。驚くほどの恵みを受けた者として無今度はその恵みに応答し、キリスト・イエスに仕える者となったのです。

 

 Ⅱ.御霊の力によって(18-19)

 

 次に18~19節を見てみましょう。「私は、異邦人を従順にするため、キリストが私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かをあえて話そうとは思いません。キリストは、ことばと行いにより、また、しるしと不思議を行う力と、神の御霊の力によって、それらを成し遂げてくださいました。こうして、私はエルサレムから始めて、イルリコに至るまでを巡り、キリストの福音をくまなく伝えました。」

 

 ここには、パウロがどのようにして異邦人への伝道を成し遂げていったのかが書かれてあります。「キリストはことばと行いにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。」その結果、彼はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えることができたのです。

 

イルリコというのは、先ほども申し上げたように現在のクロアチア、アドリヤ海に面した地域のことです。エルサレムからは直線距離にして2,200㎞ほどあります。彼は、エルサレムから始めて、そうした地方に至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。そればかりではありません。23節には「しかし今は、もうこの地方に私が働くべき場所はありません。また、イスパニアに行く場合は、あなたがたのところに立ち寄ることを長年切望してきたので、」と言っています。イスパニヤというのは今のスペインのことです。当時の世界の西のはずれと言われていました。そのイスパニア、スペインまで福音を伝えたいと思っていたのです。今日のように交通機関が発達していなかった時代に、よくもまあこんなに福音を伝えることができたものだと感心しますが、いったいその力は何だったのでしょうか?それはキリストの力によるものでした。キリストがことばと行いによって、また、しるしと不思議によって、さらに御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。それはパウロの力ではなかったのです。キリストがパウロを用いて、ご自身のみわざを成し遂げてくださったのです。

「 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

 

 聖霊があなたがたの上に望まれるとき、あなたがたは力を受けるのです。そして、力強い主の証人となることができます。その行く先々で、しるしと不思議を行ってくださいます。福音が伝えられる現場では、こうしたこうしたみわざが現れるのです。

 

 使徒の働き13章には、パウロとバルナバがアンテオケ教会から遣わされてキプロス島に渡った時、そこで魔術師エルマと戦ったことが記されてあります。パウロの話を聞いていた総督セルギオ・パウロが神のことばを聞いていると、彼を信仰の道から遠ざけようとして、邪魔をしました。するとパウロは、聖霊に満たされ、彼をにらみつけて、「あらゆるよこしまに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、おまえは、主のまっすぐな道を曲げることをやめないのか。おまえは盲目になって、しばらくの間、日の光を見ることができないようになる。」と言うと、たちまち、かすみとやみが彼をおおったので、彼は見えなくなってしまいました。この出来事に驚いた総督は、主の力ある教えに驚いて信仰に入ったのであります。

 

 ルステラではこんなことがありました。生まれつき足のきかない人がすわっていましたが、どのようにしてかわかりませんけれども、彼がパウロの話を聞いていると、パウロは彼にいやされる信仰があるのを見て、「自分の足でまっすぐに立ちなさい」と言いました。すると彼は飛び上がって、歩き出したのです。驚いた群衆は、パウロとバルナバがギリシャの神々だと思っていけにえをささげようとしましたが、パウロがあわてて、そんな馬鹿なことはやめてください。私たちも皆さんと同じ人間なんですよ。このようなむなしいことを捨てて、天と地を造られた生ける神様を信じてください、というと、大勢の者たちが信仰に入ったのです。

 

 第二次伝道旅行でピリピという町に行った時のことです。占いの霊にとりつかれていた若い女奴隷から悪霊を追い出すと、もうける望みがなくなった主人たちがパウロとシラスを訴えて牢屋に入れてしまいました。パウロとシラスが獄中で祈りつつ、賛美の歌を歌っていると、奇跡が起こりました。大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまち全部の扉が開いてしまったのです。それを見た看守は、「もうだめだ」と思って自害しようとしましたが、そこにいたパウロとシラスが「自害してはならない。私たちはここにいる」という、彼らは恐る恐るひれ伏しながら、「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言ったので、パウロはこう言いました。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」(使徒16:31)するとこの看守とその家族はイエス様を信じて全員救われたのです。

 

 ローマに向かう船が難破して、奇跡的に救い出され、マルタ島についた時も、パウロがひとかかえの柴をたばねて火にくべると、熱気のために、一匹のまむしがはい出て来て、彼の手にとりつきましたが、「何だ、この蛇は!」と言ったかどうかわかりませんが、パウロが火の中に振り落としても、何の害も受けませんでした。

 

 使徒の働きを見ると、こうしたしるしや奇跡は山ほど出てきます。まさに、イエス様が言われたように、「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」(マルコ16:17-18)これはまさに御霊なる主、聖霊のお働きによるのです。

 

 ある人々は、このようなしるしと不思議を行う力は二千年前に終わったと言います。しかし、福音を携えていくところには、確かに奇跡が起こるのです。今も南米で、アフリカで、中国で、インドネシアで、世界中の至るところでこうしたしるしや不思議をなす力によって、福音がものすごい勢いで広がっています。使徒の働きに記されているすべてのわざは、今日も福音が宣べ伝えられる所で、私たちを通して行われるのです。それはこの日本も例外ではありません。みことばが宣べ伝えられるところではどこでも、このような神の力が現れるのです。それがパウロの宣教の力だったのです。

 

 Ⅲ.開拓者精神(20-21)

 

 最後に、こうしたパウロの異邦人伝道の原動力について見て終わりたいと思います。20~21節をご覧ください。「このように、ほかの人が据えた土台の上に建てないように、キリストの名がまだ語られていない場所に福音を宣べ伝えることを、私は切に求めているのです。こう書かれているとおりです。「彼のことを告げられていなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」」

 

 「キリストの御名がまだ語られていない所に福音を宣べ伝える」とは、それは異邦人の世界のことで、まさに世界宣教のことです。また、「他人の土台の上に建てないように」とか「彼のことを伝えられなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる」というのは、文字通り開拓伝道のことです。パウロは、こうした世界宣教と開拓伝道のビジョンに燃えていました。今日のように交通機関が発達していなかった時代です。でも彼らはこのような宣教のビジョンを持っていました。しかし、もっと驚くべきことは、実際に彼はそれを達成しようとしていたことです。こうした彼の開拓者精神はどこから出ていたのでしょうか?それは、彼がいつも神の視点で物事を見ていたことです。常に神のみこころは何かを考え、そこに生きようとしていたからです。21節には、「こう書かれているとおりです。「彼のことを告げられていなかった人々が見るようになり、聞いたことのなかった人々が悟るようになる。」とあります。これはイザヤ書を52章からの引用です。このように書かれてある聖書のことばが成就すると信じていたのです。

 

 それが自分にできるかどうかということではありません。神のみこころは何か。そしてそれが神のみこころならば、何としてもそれを達成しなければならないという情熱から出ていたことだったのです。Ⅰテモテ2章4節には、「神は、すべての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」とあります。神のみこころは、すべての人が救われて真理を知るようになることです。まだキリストの福音を聞いたことのない人たちが聞き、神を知るようになることを望んでおられます。そのためにどうあるべきなのかを求めた結果がこれだったわけです。今、私たちに求められているのは、こうした神様の目で物事を見、それを行っていくということではないでしょうか。

 

 戦後、この日本に福音が伝えられた背後には、多くの宣教師たちの犠牲がありました。日本が戦いに破れ、精神的に虚脱状態に陥っていたとき、多くの宣教師たちが来日してキリストの福音を伝えてくれたのです。

 その先駆者となったのがF・B・ソーリーという宣教師です。ソーリー宣教師は、1948年に来日し、焼け跡の東京の街角に立ってエネルギッシュに福音を伝えました。アコーデオンをかなでながら歌を歌い、通訳を用いて説教したと伝えられています。東京での宣教の働きを終えると、今度は和歌山に移って意欲的に天幕伝道を始めました。「どうして和歌山なんですか?温泉があるからですか」と泉田昭先生(日本バプテスト教会連合練馬教会名誉牧師)が冗談に尋ねると、ソーリー宣教師は、にっこりと笑いながらこう言ったと言います。「アイム、ソーリー」というのは冗談で、「調べてみると、日本でクリスチャンが最も少ない地方は富山県と和歌山県であることがわかりました。富山県ではカナダから来た宣教師たちが伝道することになったので、私たちは和歌山県で伝道することにしたのです。」

 何というスピリットでしょうか。戦後日本の宣教は、こうした開拓者精神に溢れた宣教師たちによって、福音が伝えられて行ったのです。それは、栃木県も同じではないでしょうか。日本で最もクリスチャンが少ない地方は栃木県さくら市です。

 

 イギリスからやってきていたP・ウィルスという宣教師は、「キリストを信ずれば、馬が行灯(あんどん)をくわえたような、長い不景気な顔をした人でも、かぼちゃのように、にこにこした笑顔に変わります」と巧みな日本語で、熱心に語ったそうです。あんどんとは、木などで枠を作って紙を張り、中に油の皿を置いて点灯するものですね。だからぼんやりしているわけですが、そんな馬が行灯をくわえたような不景気な顔をしている人でも、イエス様を信じると、かぼちゃのような顔になるなんて、すごい表現だと思うんです。イエス様を信じると、私たちの不幸の原因である罪が赦され、永遠のいのちがあたえられるのです。

 

 今、時代は大きく変わりました。しかし、どんなに時代が変わってもいつまでも変わらない原則があります。それは、この救霊の情熱です。まだキリストの福音が伝えられていない所に何とかして福音を伝えたいという情熱です。私は国内開拓伝道会というところでご奉仕させていただいておりますが、その委員のお一人に日本イエス・キリスト教団荻窪栄光教会牧師の中島秀一先生がおられます。中島先生は80を過ぎておられる先生で、ご自身の教会も300人くらいの大きな教会ですが、この先生が言われる野です。「日本の教会はまだまだ開拓伝道です」と。中島先生のスピリットに触れると、本当に励まされます。

 

日本の現状を見ると、それは必ずしも容易なことではありませんが、しかし、神はこの福音宣教の使命を、私たちクリスチャンにゆだねておられるのです。それは神が与えてくださった恵みのおえに、神の御霊の力によって、神のみことばの約束に基づいてなされていくものです。

 

私たちの教会は今日、創立5周年を迎えることかできました。この礼拝の後で君島兄がまとめてくださった5年間の歩みを間ながら、ここまで守り、導いてくださった主に感謝しつつ、この教会がこの福音宣教の使命を担っていく教会となるように祈りたいと思います。