士師記11章からを学びます。まず1節から11節までをご覧ください。
Ⅰ.第8番目の士師エフタ(1-11)
「さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の息子だから、私たちの父の家を継いではならない。」そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。エフタのもとには、ならず者が集まっていて、彼と一緒に出入りしていた。
それからしばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきた。アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアンモン人と戦いましょう。」
エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやって来るのか。」すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、今、私たちはあなたのところに戻って来たのです。あなたは私たちと一緒に行き、アンモン人と戦って、私たちギルアデの住民すべてのかしらになってください。」
エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが私を連れ戻してアンモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらとなろう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」エフタがギルアデの長老たちと一緒に行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。
」
ギデオンの子アビメレクの死後、イスラエルを救うために立ちあがったのは、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラでした。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼は23年間イスラエルをさばきました。それは平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、そうした平凡な中にも主の恵みがあったのです。
そして次に立ちあがったのがギルアデ人ヤイルでした。彼は非常に裕福で、権力がありましたが、何といっても彼がギルガルから出たということが、彼の特質すべきことでした。ギルアデはヨルダン川の東側の地にあり、早くに異教化していった地です。そんなギルアデから士師が出たということは、主はそのような人たちをも忘れていなかったことを示しています。イスラエルは彼によって22年間、平和な時代を過ごしました。
しかし、彼が死ぬと、イスラエルはめいめい主に背き、主の目の前に悪を行いました。それはこれまでのバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々と、カナンの住民が拝んでいたほとんどすべての神々に仕えるという異常なほどの背きでした。
そんなイスラエルに主はあきれかえり、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に叫んでも、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない」(10:13)と言われたほどでした。しかし、彼らが真に悔い改めたとき、すなわち、彼らの中から異国の神々を取り除いて主に仕えたとき、主は彼らの苦しみを見るのが忍びなくなり、彼らを救われました。そのために用いられたのがギルアデ人「エフタ」です。彼は八番目の士師となります。
1節を見ると、彼の生い立ちについて記されてありますが、彼は遊女の子でした。父親のギルアデ゙には妻がおり、彼女は男の子たちを産んだので、その子どもたちが成長したとき、エフタを追い出したので、彼は兄弟たちのところから逃げてトブの地に住みました。彼の周りにはならず者が集まっていましたが、これが彼らに戦闘の経験を与えました。彼らは生活のために敵の領土に侵入し、食物や生活の必需品などを略奪していたからです。
人は、その人自身の生き方や生活によって評価されるべきであって、両親の地位や家系によって判断されるべきではありません。そういう意味で、エフタは不幸な取り扱いを受けましたが、主はそんなエフタをイスラエルの士師としてお立てくださいました。それは、その人の生き方はその人の家柄や両親の地位とは全く関係ないことを示すためでもあったのです。
さて、アンモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行きました。彼らは、この戦いに勝利するためには、強力なリーダーが必要であると感じていたからです。
エフタは当初、その申し出に反発しました。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。それなのに、苦しみにあったからと言って、今なぜ私のところにやってくるのか。」と。しかし、彼はギルアデの長老たちのお詫びの言葉を聞いて怒りを鎮めました。そして、もし主が彼らを自分に渡してくれたのなら、自分がギルアデ人のかしらになることを条件に、アンモン人との戦いに出て行くことを了承しました。
もしエフタが命がけでアンモン人と戦い、ギルアデ゙人を救うことができたなら、彼がギルアデ人のかしらになることは当然のことです。なぜなら、彼は命をかけてたたかったのだからです。それは主イエスにおいても言えることです。主イエスは私たちのために命を捨ててくださいました。罪人の救い主となられたのです。であれば、このイエスによって救われた者が、この方を主(かしら)として受け入れるのは当然のことです。あなたは、あなたの救い主を主(かしら)として仰いでおられるでしょうか。
Ⅱ.アンモン人との戦い(12-28)
次に12節から28節までをご覧ください。
「エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」
すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」
エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。今すでに、イスラエルの神、主が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。
イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる主が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」
しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。」
エフタはアンモン人の王に使者を遣わして、「あなたは私とどういうかかわりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」と問いかけました。
するとアンモン人の王はエフタの使者たちに答えます。イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの土地を取ったからだと。その地を今すぐ、穏やかに返しなさい・・と。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、アルノン川とは死海に向かって流れている川で、ヤボク川とはその北にありヨルダン川に流れている川です。その間に、ルベン族とガド族の相続地がありますが、イスラエルはその土地を取ったからだ、と訴えているのです。
そこでエフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わし、歴史を回顧して、モーセに率いられてイスラエルが戦ったのは、アモリ人の二人の王シホンとオグであって、アンモン人やモアブ人、エドム人ではなかったと告げています。彼らがイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったので、仕方なく戦わざるを得ませんでしたが、イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破ることができたため、その地方に住んでいたアモリ人の全域、すなわち、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領するようになったのです。だから、それはアンモン人とは全く関係のない話なのです。
このようにしてみると、エフタはイスラエルの民の歴史に精通していたことがわかります。つまり、モーセの律法をよく学んでいたということです。神は、幼子のような素直な信仰を喜ばれますが、決して、無知であることを望んではおられません。ペテロ第一3章15節には、「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。私たちも、信仰に関する質問を受けた時、自らの信じる内容を順序立てて説明できるようにしておきたいものです。
エフタの説明はこれだけで終わりません。彼は、イスラエルの神、主がアモリ人の王シホンとその勢力を追い払われたのであって、アンモン人がその地を奪い返そうとするのは間違いであること、それに25節を見ると、モアブの王ツィポルの子バラクでさえ、イスラエルと戦うことを断念したというのに、それよりも劣るアンモン人が戦いを挑んでくるなんて考えられない。そんな無茶なことはすべきではない、と言いました。
さらに、26節と27節には、イスラエルがカナンに定住して以来、ヨルダンの東側の地に三百年も住んでいたのだから、もしアンモン人に不満があったのなら、なぜもっと早く申し立てて、土地を取り戻さなかったのか、今になって無理難題を投げかけてくるのはおかしいではないか、と言うのです。
こうしたエフタの順序立てた説明を聞いても、アンモン人の王は聞き入れませんでした。どうしてでしょうか。それは、主なる神への挑戦であったからです。心を頑なにし、神の警告や説得に耳を傾けようとしない人は、愚か者です。このような人は、必ず自らが下す愚かな判断の刈り取りをするようになります。あなたは、どうでしょうか。心を柔らかくして、神のことばを聞いているでしょうか。
Ⅲ.エフタの誓願(29-40)
次に、29節から40節までをご覧ください。
「主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。
エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。
エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」
すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」
エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。
二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。」
主の霊がエフタに下った時、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行きました。その時彼は誓願立てて言いました。誓願とは何でしょうか。誓願とは、神に誓いをたて、事の成就を願うことです。30節、31節をご覧ください。
「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」
すると主はエフタの願いどおり彼らをエフタの手に渡されました。問題は、エフタがミツパの自分の家に帰った時です。なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もいませんでした。その彼女が家から最初に出てきたのです。
エフタは唖然としました。なぜなら、彼は、自分がアンモン人のところから無事に帰ることができたのなら、自分の家の戸口から自分を迎えに出てくるものを、全焼のいけにえとして主にささげると誓ったからです。娘をささげるということは、娘が子を産まなくなるということであり、それは自分の名が絶えることを意味していました。これは私たちが想像する以上の呪いでした。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて、嘆きました。
いったいなぜ彼はそのような誓願をしてしまったのでしょうか。おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それに、アンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いという形となって出てきたのでしょう。
こうした性急な誓いは後悔をもたらします。また、神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきです。ですから、エフタの請願は、信仰の表れというよりは、むしろ彼が抱いていた不安の表れにすぎなかったのです。
このように軽々しく誓うことが私たちにもあります。それが自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」というようなことを言ってしまう傾向があるのです。イエス様は「誓ってはいけません。」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは、神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになってしまいます。エフタは自分の直面している困難な状況を、誓願を通して乗り越えようとしましたが、軽々しく誓うべきではなかったのです。
ところで、旧約聖書の律法によれば、この時エフタは娘をささげなくても良かったはずです。というのは、申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して彼らのように礼拝してはならない。彼らは主が憎むあらゆる忌み嫌うべきことをその神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために火で焼くことさえしたのである。」とあるからです。
ではどうすれば良かったのでしょうか。そこで律法では、もし人間そのものをささげたいのであれば、その評価額として金銭を神殿にささげるようにと定められていたのです。それはレビ記27章1~8節にはこのようにあります。
「主はモーセにこう告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。女子なら、その評価額は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じて彼を評価する。」
それなのに、エフタが娘をささげたのはどうしてなのでしょうか。それは、彼が無知であったか、頑なであったかのどちらかです。彼は戦いについて、イスラエルの神が戦ってくださることをよく知っていました。またイスラエルの歴史もよく知っていました。彼は神への信仰と、神のことばである律法をきちんと持っていました。それなのに彼が娘を神にささげたのは、聖書の知識が足りなかったからか、彼の心が頑なだったからかのどちらかであった考えられます。
結局彼女はどうなったでしょうか。彼女は二か月の猶予をもらい、自分の友達と一緒に山へ行き、自分が処女であることを嘆き悲しみました。そして、二か月が終わって、父のところに帰ったとき、エフタは誓った請願のとおりに彼女に行いました。
ここにエフタは誓願のとおりに娘に行ったとありますが、誓願のとおりとはどういうことでしょう?二つの解釈があります。一つは、彼女は文字通り全焼のいけにえとして殺されたということ、そしてもう一つは、彼女は終生幕屋で仕えるために主に捧げられたということです。どちらが正しいかはわかりません。しかし、37節以降の娘の言動を見ると、処女であることを悲しんだということが強調されてあるので、終生神の幕屋で仕えるために主にささげられたと考えられます。それにこれが「主の霊がエフタの上に降ったとき」(29)に立てられた誓願であることや、モーセの律法自体が、人間のいけにえを禁じているということから考えても、主がそのようないけにえを喜ばれるはずがないからです。
しかし、この士師時代の混迷していた時代のことを考えると、やはり文字通り全焼のいけにえとしてささげられたと考えるのが自然だと思います。それは神が喜ばれることではありませんでしたが、エフタは神に誓ったとおりに彼女を全焼のいけにえとしてささげたのです。
しかし、いずれにせよ、エフタは勢いに任せて安易に神に誓ったことは確かです。その結果、彼は後悔することになりました。私たちは、自ら発する言葉に注意し、いつも主の言葉に従って生きる者とさせていただきましょう。