ヨシュア記4章 

2022年11月30日(水)バイブルカフェ

聖書箇所:ヨシュア記4章

きょうは、ヨシュア記4章から学びたいと思います。

 Ⅰ.永久に記念となる石(1-7)

 まず1~7節までをご覧ください。「1 民全員がヨルダン川を渡り終えると、主はヨシュアに告げられた。2 「民の中から部族ごとに一人ずつ十二人を取り、3 その者たちに命じよ。『ヨルダン川の真ん中、祭司たちが足をしっかりととどめたその場所から十二の石を取り、それらを携えて渡り、あなたがたが今夜泊まる宿営地に据えよ。』」4 そこでヨシュアは、イスラエルの子らの中から部族ごとに一人ずつ、あらかじめ任命しておいた十二人を呼び出した。5 ヨシュアは彼らに言った。「あなたがたの神、主の箱の前、ヨルダン川の真ん中へ渡って行き、イスラエルの子らの部族の数に合わせて各自が石を一つ、その肩に担ぎなさい。6 それがあなたがたの中で、しるしとなるようにするためだ。後になって、あなたがたの子どもたちが『この石はどういうものなのですか』と尋ねたとき、7 あなたがたは彼らにこう言いなさい。『ヨルダン川の水が主の契約の箱の前でせき止められたのだ。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水はせき止められた。この石はイスラエルの子らにとって永久に記念となるのだ。』」」

圧倒的な主の御業によってイスラエルの民がヨルダン川を渡り終えたとき、主はヨシュアに、民の中から部族ごとに一人ずつ、12人を選び、ヨルダン川の真ん中で祭司たちが立ったその場所から12の石を取り、彼らが泊まる宿営地に据えるようにと命じました。せっかくヨルダン川を渡り終えたというのに、なぜ再びヨルダン川に戻って石を取って来なければならなかったのでしょうか。また、なぜそれを宿営地に据えなければならなかったのでしょうか。やるべきことは他にいろいろあったでしょう。疲れた人々をゆっくり休ませるとか、次の戦いの備えをするとか。

6節にその理由が記されてあります。つまり、それはしるしとなるためでした。後になって、彼らの子どもたちが、「この石はどういうものなのですか」と聞くとき、主がヨルダン川の水をせきとめられたことのしるしであると答えなければなりませんでした。それは実に、ヨルダン渡河の奇跡が生きて働かれる主の御業によるものであることの証拠として、後世の人たちの信仰の励ましとなるためのしるしだったのです。言うならば、それはイスラエルの後世の人たちに対する教訓として据えられたものだったのです。

昔から、「ユダヤ人はどうして優秀な民族なのか」という謎がありますが、その理由の一つはここにあります。すなわち、ユダヤ人は過去の体験から教訓を学び取り、それを後世にしっかりと受け継ぐ民族であるということです。ユダヤ人の生活の中にも他の民族と同じように多くの祭りがありますが、他の祭りと違うことは、ただ単に祭りによって浮かれ、はしゃぎ、興奮して、喜んでいるのではなく、その祭りに込められている歴史的教訓から学んでいるということです。それは良いことや勝利の体験ばかりでなく、悪いことや失敗の体験からもそうです。それらの事柄を通して得た教訓を、その祭りの中に託し儀式化しているのです。

たとえば、過越しの祭りをご存知だと思います。イスラエルがエジプトから救い出されたことを記念して行うものです。その祭りの期間中はどこへ行っても「種なしパン」が出されます。決してライスやパンなどは出てきません。おかずは出てきますが主食は種なしパンに徹底しています。それは、この種なしパンに大きな意味があるからです。それはイスラエル民族の屈辱と解放を記念しているものなのです。昔イスラエルがエジプトで奴隷であったとき、主は彼らの嘆きを聞かれモーセという人物を立ててそこから解放してくださいました。その脱出の際、時間がなかったのでパンを膨らませる余裕がなく、仕方なく種なしパンを食べました。そしてその後過越しの祭りの際にはその時のことを忘れないために、何百年も、何千年も、そのことを繰り返して祝ってきたのです。彼らはその種なしパンを食べる度に、あの出エジプトにおいてイスラエルの民族が受けた屈辱と、そこから解放してくださった神の恵みを、ずっと思い起こしてきたのです。

この記念碑も同じです。主がヨルダン川をせきとめて、イスラエルの民を渡らせてくださったことをいつまでも覚え、そのすばらしい主の力を思い出し、主の恵みにしっかりととどまっているために、主はわざわざヨルダン川に戻らせて12個の石を取らせ、それを記念碑としたのです。

それは私たちにも必要なことです。私たちもこのような感謝の記念碑を立てなければなりません。主が成してくださったその恵みの一つ一つを思い起こし、それを心に刻まなければならないのです。私たちはともすると、神の恵みに対してそれが当たり前であるかのように口では感謝といいながら、ぬくぬくとその中で生きていることがあるのではないでしょうか。かつてあの時に、あのようにものすごい恵みと祝福を与えてくださったのに、そればかりか様々に起こる困難に対しても、その都度乗り越える力を与え、平安を与えてくださったのに、それらすべてを過去のもとしてしまい、何の感謝もせず、むしろ不平不満をもらし、あるいはそれらを自分自身の力でなし得たかのように思って生きていることがあるのではないでしょうか。

詩篇103篇2節に、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」とあります。ほめたたえられるべき方がどのような方であるかを思い出すことが、その後の歩みの力となります。神がどのような方をあるかを知ればしるほど、神の恵みがどれほど大きいかを知れば知るほど、この神の恵みにとどまるようになるのです。

主イエスは、十字架にかかられる前夜、弟子たちと食事をした後、パンを取り、感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのためのわたしのからだです。わたしを覚えて、これを行いなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行いなさい。」(Ⅰコリント11:23-25)

それは、私たちのために救いを成し遂げてくださった主の恵みを覚え、その主と一つになるために主が再び来られる時まで行うように命じられたことでした。これを行うことによって、主が成してくださったことを覚え、心に深く刻むことができます。それは聖餐だけではありません。私たちは主の恵みを具体的な形にして、感謝を表すことによって主の恵みにとどまり、次の進ませる力を受けるのです。

Ⅱ.信仰によって(8-18)

次に、8~18節までをご覧ください。 「8 イスラエルの子らはヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げられたとおり、イスラエルの部族の数に合わせて、ヨルダン川の真ん中から十二の石を取り、宿営地に携えて行って、そこに据えた。9 これらの十二の石はヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれらを積み上げたのである。それらは今日までそこにある。10 箱を担ぐ祭司たちは、民に告げるようにと主がヨシュアに命じられたことがすべて終わるまで、ヨルダン川の真ん中に立ち続けていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。その間に民は急いで渡った。11 民全員が渡り終えた後、民が見ている前で主の箱と祭司たちが渡った。12 ルベン人とガド人と、マナセの半部族は、モーセが彼らに告げたとおり、隊列を組んでイスラエルの子らの先頭を進んで行った。13 このようにして、武装した約四万の軍勢は主の前を、戦いのためにエリコの草原へと進んで行った。14 その日、主は全イスラエルの目の前で、ヨシュアを大いなる者とされた。それで彼らは、モーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間、恐れた。15 主はヨシュアに告げられた。16 「ヨルダン川から上がって来るよう、あかしの箱を担ぐ祭司たちに命じよ。」17 それでヨシュアは祭司たちに「ヨルダン川から上がって来なさい」と命じた。18 主の契約の箱を担ぐ祭司たちがヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏が水際の乾いた陸地に上がったとき、ヨルダン川の水は元の場所に戻り、以前のように、川岸いっぱいに満ちて流れた。」

イスラエルの民は、ヨシュアが命じたとおりに、ヨルダン川の真ん中から12の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えました。ところで、9節には、その12の石がどのようなものかを説明して、それは、ヨルダン川の真ん中で、契約の箱を担いだ祭司たちが足をとどめた場所にあったもので、ヨシュアがそれを積み上げたとありますが、多くの訳ではそのように訳していません。たとえば、口語訳では、「ヨシュアはまたヨルダンの中で、契約の箱をかつぐ祭司たちが、足を踏みとどめた所に、十二の石を立てたが、今日まで、そこに残っている。」と訳しています。この訳によると、イスラエルの子らがヨルダン川の真ん中から取った12の石とは別に、ヨシュアはヨルダン川の真ん中の、祭司たちが足を踏みとどめたところに、12の石を立てた、となっているのです。

それは新共同訳も同じです。新共同訳では、「ヨシュアはまた、契約の箱を担いだ祭司たちが川の真ん中で足をとどめた跡に十二の石を立てたが、それは今日までそこにある。」と訳しています。

創造主訳聖書もそうです。「ヨシュアは、また祭司たちが十戒の箱を担いで立っていたヨルダン川の川底にも、十二の石を据えて、記念としたが、それはこの書物を書いている今も、そこに残っている。」

ちなみに、英語のNKJV(New King James Version)もそうです。「Then Joshua set up twelve stones in the midst of the Jordan, in the place where the feet of the priests who bore the ark of the covenant stood; and they are there to this day.」

このように、新改訳聖書以外のすべての訳は、イスラエルの中から部族ごとに一人ずつ選ばれた12人のが、川底から運び出して川岸に設置した12の石とは別に、ヨルダン川の中で、祭司たちが足をとどめた川底のその場所に、ヨシュアが12の石を立てた、と訳しているのです。

新改訳聖書では、前後の文脈からその12の石がどこから取って来たものなのかを説明しようと訳したのです。なぜなら、川底に石を立てるという行為は考えられないからです。川の水が元に戻ったら、あるいは、川の水が増したら見えなくなってしまいます。ですから、新改訳聖書でこのように訳したのは、この記述が合理的でないため、書き間違いがあったのではないかと考えたからなのです。また、川の中に石を立てることは神の命令になかったことも、その理由の一つでした。そのようなことをヨシュアが命じるはずがないと考えたのです。

けれども、このような合理的な理由からだけで本文を解釈することは極めて危険です。そこに人間的な解釈が紛れ込んでしまう恐れがあるからです。もちろん、ヘブル語によくある表現で、新改訳聖書のように「ヨシュアは据えた」という句を補う形で、「祭司たちが立っていた場所の下にあった十二の石を」と理解することも間違いではありませんが、ヘブル語本文をそのまま受け入れるとしても、そこには依然として、二つの可能性が残るのは事実です。したがって、ここではどちらが正しいのかという判断はそのまま残しながらも、もし、口語訳やその他の訳のように、宿営地とヨルダン川の川底の二か所に記念碑が据えられたとしたら、それはどういうことなのかを考える必要があります。

確かに川の真ん中に作られた記念碑は、川が再び流れ出したあとでは何の証拠にもなりませんが、たとえ形が見えなくても、確かにヨルダン川を渡り、そのしるしとして川底に記念碑を立てたということを信じることができたのです。

最近、近くの(大田原し湯津上地区)にある前方後円墳の遺跡を見に行きました。遺跡というのは、古い時代に建てられた建物とか、お墓、歴史的事件があった何らかの痕跡が残されている所で、それを見ると過去の人々の営みが見えてきます。しかそのほとんどは、「えっ、こんなところにあるの」と思われるような、人目につかない閑散とした場所であることが多いのです。私が行った湯津上の遺跡もそうでした。そこには説明が書かれた立て看板が置かれてあるだけで、どこにあるのか、どこから上って行けばいいのかわからない場所でした。つまり、こうした遺跡は見えるとか、見えないとかということは問題ではないのです。問題は、実際ここに数百年前に人々が住んでいて、どこの誰なのかはわからないけれども、葬られたという事実があるということなのです。ですから、そこに佇んでいるだけで、昔の人のそうした思いや生活ぶりがよみがえってくるのです。

ヨシュアがヨルダン川の川底に記念の石塚を立てたのも同じではないでしょうか。それが見えるか、見えないかということではなく、実際にヨルダン川の川岸に立った時、かつてここでイスラエルの先祖たちが神の御業を体験し、そこを渡ることができたということを思い起こし、彼らに働いておられる神の大いなる力を信じることができたのです。見えるというだけでなく、見えない所にも記念の石塚を立てるほどものすごい神の奇跡を体験したんだということを、後世の人たちも感じることができるために、わざわざ川底にも石を据えてその記念としたのです。ですから、見えなくもいいのです。見えなくても、そのことが聖書に書き記されることによって、その思いがひしひしと伝わってくるのです。

それからもう一つ、そこに重要な意義があります。それは、このヨルダン川の川底に立てられた石塚は、キリストとともに十字架につけられたことの象徴であったということです。パウロはⅠコリント10章1~2節で、このように述べています。

「兄弟たち。あなたがたには知らずにいてほしくありません。私たちの先祖はみな雲の下にいて、みな海を通って行きました。そしてみな、雲の中と海の中で、モーセにつくバプテスマを受け、」

つまり、かつてモーセが紅海を通ったのは、モーセにつくバプテスマを受けたのであるならば、ヨシュアがヨルダン川を通ったのは、ヨシュアにつくバプテスマを受けたということになります。ヨシュアとはだれのことでしょうか。「ヨシュア」とはギリシャ語で「イエス」です。ですから、これはイエスにつくバプテスマのひな型だったのです。ガラテヤ2章20節にこうあります。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。」

このように見ると、ヨルダン川の川底に作られた記念碑は、キリストとともに十字架につけられた自分の姿の象徴であり、宿営地に作られた記念の石塚は、キリストとともに生きる新しいいのちの象徴だったと言えます。本来であれば、川の流れの中で滅ぼされていたかもしれない自分の代わりにキリストが死んでくださったというだけでなく、その身代わりによって新しいいのちに生かされるようになりました。この十字架と復活による救いの恵みを、この二つの石塚は表していたのではないでしょうか。

さて、民がすべて渡り終わった時、主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真ん中から上がって来て、祭司たちの足の裏がヨルダン川の水際の乾いた陸地に上がったとき、ヨルダン川の水は元の場所に戻り、以前のように、川岸いっぱいに満ちて流れました。その日、主は全イスラエルの見ている前でヨシュアを大いなるとされたので、彼らはモーセを恐れたように、ヨシュアをその一生の間恐れました。それはヨシュアが大いなる者とされ、次なる戦いにとって大きな出来事であったことがわかります。そのポイントはいったい何だったのでしょうか。信仰です。モーセによって与えられた主の約束を、ヨシュアが受け継ぎ、信仰によってその実現に向かっていくのです。それがカナンの地の征服において現われていきます。信仰こそ、神の約束を実現してく手段であり、大いなる者とされる秘訣であったのです。

Ⅲ.信仰の継承(19-24)

最後に、19~24節から終わりまでをみたいと思います。「19 さて、民は第一の月の十日にヨルダン川から上がって、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。20 ヨシュアは、ヨルダン川から取ったあの十二の石をギルガルに積み上げ、21 イスラエルの子らに言った。「後になって、あなたがたの子どもたちがその父たちに『この石はどういうものなのですか』と尋ねたときには、22 あなたがたは子どもたちに『イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ』と知らせなさい。23 あなたがたの神、主が、あなたがたが渡り終えるまで、あなたがたのためにヨルダン川の水を涸らしてくださったからだ。このことは、あなたがたの神、主が葦の海になさったこと、すなわち、私たちが渡り終えるまで、私たちのためにその海を涸らしてくださったのと同じである。24 それは、地のあらゆる民が主の手が強いことを知るためであり、あなたがたがいつも、自分たちの神、主を恐れるためである。」」 

イスラエルはヨルダン川から上がると、エリコの東の境にあるギルガルに宿営しました。そこはカナン侵略の、いわば作戦軍事基地になっていった場所です。そこからイスラエルの民はカナン人との戦いを開始していきました。それほど重要な場所だったのです。そこに、ヨルダン川から取ったあの12の石を積み上げました。彼らは戦いに勝つこともあれば、負けることもありましたが、とにかくギルガルに戻ってきた時には、この記念碑を見て奮起したのです。父なる神はあのヨルダン川をせきとめて、その真ん中を渡らせてくださった全能者であることを再確認し、思い起こして、勇気をいただき、再び戦いへと出て行ったのです。

そういう意味では、ギルガルは私たちが帰る場所でもあります。そこに帰って静まり、神の偉大さを思い起こし、勇気と力をいただいて、再び戦いへと出て行くのです。そうです、それが十字架のキリストなのです。私たちはいつも十字架のキリストのもとに帰り、そこから慰めと励ましと勇気と力をいただいて、再びこの世の中に出て行くことができるのです。私たちの中で絶えずギルガルに戻ることが必要なのです。

それは私たちだけではありません。私たちの子どもにも言えることです。後になって、あなたの子どもたちがその父たちに、「これらの石はどういうものなのですか」と聞くなら、「イスラエルは乾いた地面の上を歩いて、このヨルダン川を渡ったのだ」と言わなければなりませんでした。それは、地のすべての民が主の御手が力強いことを知り、彼らがいつも彼らの神、主を恐れるためです。

私たちの子どもたちは主を恐れているでしょうか。この世の流れにどっぷりと浸かり、神ではなく別のことを恐れながら生きています。それは子どもたちだけでなく、私たち自身もそうです。地のすべての民が、主の御手が力強いことを知りこの主を恐れるために、その偉大さを教えていかなければなりません。

パウロはテモテに、「多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。」(Ⅱテモテ2:2)と言いましたが、そのためには、他にも教える力のある忠実な人が起こされるように祈らなければなりません。これが私たちに託された使命なのです。そのためには、まず私たちが信仰に生き、神の恵みの豊かさを体験する必要があります。この世はそれとは全く反対の方向に流れていても、「私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア24:15)とヨシュアが告白したように、私たちもそのように告白しながら歩んでいきたいものです。