ヨシュア記10章

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きょうはヨシュア記10章から学びたいと思います。

 Ⅰ.日よ、ギブオンの上で動くな(1-15)

 少し長いですが、まず1~15節をご覧ください。「1 エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。2 彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。3 エルサレムの王アドニ・ツェデクはヘブロンの王ホハム、ヤルムテの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルに人を遣わして言った。4 「私のところに上って来て、私を助けてください。ギブオンを討ちましょう。ギブオンがヨシュア、およびイスラエルの子らと和を講じたからです。」5 それでアモリ人の五人の王、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王、彼らとその全陣営は集結し、上って行ってギブオンに向かって陣を敷き、戦いを挑んだ。
6 ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」7 ヨシュアはすべての戦う民たちとすべての勇士たちとともに、ギルガルから上って行った。
8主はヨシュアに告げられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。あなたの前に立ちはだかる者は彼らの中に一人としていない。」9 ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。10 主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。11 彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。12 主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。14 主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」

前回は、ヨルダン川のこちら側の王たち、すなわち、カナンの王たちが連合してイスラエルと戦おうとした時、ギブオンの住民たちは賢くも策略を巡らしてイスラエルと平和条約を締結し、イスラエルに滅ぼされることを免れたことを見ました。きょうの箇所には、その一方で、これを面白くないと思ったカナンの王たちが、そのギブオンを攻撃することが記されてあります。1~2節には、「エルサレムの王アドニ・ツェデクは、ヨシュアがアイを攻め取って、それを聖絶し、エリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らのただ中にいることを聞いた。彼とその民は非常に恐れた。ギブオンが王国の都の一つのように大きな町であり、またアイよりも大きく、そこの人々がみな勇士だったからである。」とあります。

エルサレムは、ギブオンから南東に15㎞ほどのところにあります。このエルサレムの王は「アドニ・ツェデク」という名で、意味は「義なる主」です。このアドニ・ツェデクは、創世記14章に登場したメルキゼデクの子孫であると言われています。そこには「シャレムの王メルキゼデク」(創世記14:18)とありますが、「シャレム」とは「エルサレム」のことです。メルキゼデクはそのエルサレムの王であり祭司でもありましたが、カナンの連合軍と戦って勝利したアブラハムを祝福しました。アブラハムはそのことに大いに感激して、大祭司であったこのメルキゼデクにすべてのものの十分の一をささげました(創世記14:19-20)。このメルキゼデクは、ヘブル人への手紙においては真の大祭司であるイエス・キリストのひな型であったと記されてあります(7章)。おそらく、彼はアブラハムの信じる神を真の神として認め、彼自身も同じ神を信じていたので、カナンの連合軍には加わらず、むしろアブラハムの勝利を祝ったのであろうと思われます。それなのに、ここではその子孫であるアドニ・ツェデクが、他の王たちとともにイスラエルに対して戦いを挑んできたのです。いったいなぜでしょうか。ある人は、「昨日の友は今日の敵だ」ということを言いたかったのではないかと考えます。人間ほど信じられない存在はないのだということをたちに示そうとしているのだというのです。またある人は、信仰は極めて個人的なものであって、たとえ先祖にどんなに立派な信仰者がいても、その子孫が必ずしもその信仰を受け継ぐものではないということを教えているのではないかと言います。

1節と2節を見ると、その鍵となる言葉があることがわかります。それは「聞き」という言葉と、「非常に恐れた」という言葉です。彼は、ヨシュアがアイの町を攻め取ってそれを聖絶し、先にエリコとその王にしたようにアイとその王にもしたこと、またギブオンの住民がイスラエルと和を講じて、彼らの中にいることを聞いて非常に恐れたのです。それは、ギブオンが大きな町であって王国の都の一つのようであり、またアイよりも大きくて、そこの人々はみな勇士たちであったからです。そのギブオンがイスラエルと和を講じたことを聞いて恐れたのです。

私たちにもこのようなことがあるのではないでしょうか。そうした噂を聞いて恐れてしまい、正しい判断が出来なくなってしまうということが・・。いったいなぜイスラエルがエリコとアイを攻略することができたのか、なぜキブオンがイスラエルと和を講じたのかということを考えるなら、自ずと自分たちの成すべきことが見えてくるのではないかと思います。すなわち、イスラエルの陰には全能の神がともにおられるのであって、ギブオンの住民がイスラエルと和を講じたのは戦っても勝つ見込みがないと判断したからであって、彼らにできる唯一のことはこのイスラエルの神を神とすることであるということです。それ以外に救われる道はありません。この神に敵対すること自体間違っているのです。彼らはその判断を誤ってしまってしまったのです。

時として私たちも噂を聞いて恐れてしまい、判断を誤ってしまうことがあります。神が求めておられることよりも、目の前の状況に振り回されてしまい、目先の解決を求めてしまうことがあるのです。そういうことがないように、私たちは常に祈らなければなりません。判断を焦ってはなりません。噂を信じてはいけないのです。むしろ、神のみこころは何か、何が良いことで完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなければなりません。これが解決の道です。それなのに、アドニ・ツェデクはその判断を誤ってしまいました。そして、カナンの他の王たちと、ギブオンを攻撃しようとしたのです。

それに対して、ギブオンの人々はどうしたでしょうか。当然、イスラエルに援軍を要請します。6節には、「ギブオンの人々はヨシュアのところ、ギルガルの陣営に人を遣わして言った。「しもべどもから手を引かないで、急いで私たちのところに上って来て、私たちを救い、助けてください。山地に住むアモリ人の王たちがみな、私たちに向かって集まっているのです。」とあります。そこでヨシュアはすべての戦う民とすべての勇士たちとを率いて、ギルガルから上って行きました。

その時、主はヨシュアにこう仰せられました。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」たとえ神がともにおられると信じていても、それほど多くの敵と戦わなければならないとしたら、だれでも恐れを抱くでしょう。それはヨシュアも同じでした。そんなヨシュアに対して主は、「恐れてはならない」と言われました。なぜなら、主が彼らをヨシュアの手に渡されたからです。この「渡したからだ」というのは完了形になっています。これから先のことでも、主の側ではすでに完了していることです。主はすでに彼の手に、彼らを渡しておられるのです。私たちに必要なことは、その主のことばを信じて前進することです。

それに対してヨシュアはどのように応えたでしょうか。9節をご覧ください。「それで、ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。」
それでヨシュアは急襲をしかけます。夜通しギルガルから上って行き、突然彼らに襲いかかりました。それが神のみこころだと確信した彼は、すぐに行動に移したのです。もたもたしませんでした。「ちょっと待ってください。もう少し祈ってみますから」と言わず、夜のうちに出発し、攻撃したのです。これは私たちにも必要なことです。私たちは待ち過ぎるときがあります。もちろん、祈ることは大切なことですが、私たちが祈るのは主のみこころを知るためであって、主が「これをしなさい」と言われたのに「いや、もうちょっと待ちます」というのは信仰でありません。信仰とは、主が語られたことにすぐに応答することです。
アブラハムは、ひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行き、そこで全焼のいけにえとしてイサクをささげなさい、と主から命じられたとき、「翌朝早く」イサクといっしょに神が示された場所へ出かけて行きました。それが信仰です。私たちは、神が与えられたチャンスを逃すことがないように、ヨシュアのように主のことばに従う者でありたいと思います。

さて、主のことばにしたがってヨシュアが出て行った結果、どうなったでしょうか。10節と11節をご覧ください。「主は彼らをイスラエルの前でかき乱された。イスラエルはギブオンで彼らを激しく討ち、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダに至るまで彼らを討った。彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主が天から彼らの上に、大きな石をアゼカに至るまで降らせられたので、彼らは死んだ。イスラエルの子らが剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。」
主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので、イスラエルはギブオンで彼らを激しく打ち殺しました。そして、ベテ・ホロンの上り坂を通って彼らを追い、アゼカとマケダまで行って彼らを打ちました。彼らがイスラエルの前から逃げてベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らせアゼカに至るまでそうしたので、彼らは死にました。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かったのです。最近、よく雹が降ったとニュースで聞きますが、雹は大きいと野球のボールぐらいのもあるので容易に彼らを殺すほどの威力を持っていたのでしょう。その雹で死んだ人のほうが、剣で殺した人たちよりも多かったのです。どういうことですか?主が戦ってくださったということです。主が彼らをヨシュアの手に渡されたのです。それで主は激しく敵を打つことができました。

12~15節をご覧ください。ここにはヨシュアの祈りが記されてあります。「主がアモリ人をイスラエルの子らに渡されたその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「太陽よ、ギブオンの上で動くな。月よ、アヤロンの谷で。」13 民がその敵に復讐するまで、太陽は動かず、月はとどまった。これは『ヤシャルの書』に確かに記されている。太陽は天の中間にとどまって、まる一日ほど、急いで沈むことはなかった。14 主が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。主がイスラエルのために戦われたからである。15 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」どういうことでしょうか?
日が沈んでしまうと、彼らを追跡することができなくなるので、ヨシュアは日が沈まないようにと主に祈ったのです。太陽がギブオンの上にあり、月がアヤロンの谷にありました。このままでは、あと数時間後には日が沈んでしまいます。ですから、少しでも日がとどまり、明るいうちに敵を全滅させるためにもう少し時間をください。太陽よ、止まれ!と命じたのです。するとどうでしょう、民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまりました。主がこのような祈りを聞かれたことは、先にもあとにもありません。それはそうです、太陽がまる一日沈むことなく、天にとどまっていたという話など聞いたことがありません。ある人たちはこのような箇所を見ると、そんなことあり得ない、ヨシュアはただそのように感じただけにすぎない、と言います。同じ時間でも長く感じたり短く感じたりすることがあるように、この日もそれだけ長く感じられただけのことだというのです。そうではありません。人間の頭では考えられないことを、主はなさるのです。これは聖書の全歴史においても特に際立つ不思議な主の御業として記録されています。それは主がイスラエルのために戦われたからです。私たちもヨシュアのように主のことばに従い、前進するなら、私たちの頭では想像もできないようなことを主がしてくださるのです。

Ⅱ.勝利の主(16-27)

次に16~27節までをご覧ください。「16 これらの五人の王たちは逃げ、マケダの洞穴に隠れた。17 すると、マケダの洞穴に隠れている五人の王たちが見つかったという知らせがヨシュアに入った。18 ヨシュアは言った。「洞穴の口に大きな石を転がし、そのそばに人を置いて彼らを見張りなさい。19 しかし、あなたがたは、そこにとどまってはならない。敵の後を追い、彼らのしんがりを攻撃しなさい。彼らを自分の町に逃げ込ませてはならない。あなたがたの神、主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ。」20 ヨシュアとイスラエルの子らが非常に激しく彼らを討ち、ついに彼らが一掃されるまで攻撃し終わったとき、彼らのうちの生き残った者たちは城壁のある町々に逃げ込んだ。21 兵はみな無事にマケダの陣営のヨシュアのもとに戻った。イスラエルの子らをののしる者は一人もいなかった。22 ヨシュアは言った。「洞穴の口を開き、あの五人の王たちを、その洞穴から私のもとに引き出して来なさい。」23 彼らはそのとおりにした。その五人の王たち、すなわち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王を洞穴から彼のもとに引き出して来た。24 彼らがその王たちをヨシュアのもとに引き出したとき、ヨシュアはイスラエルのすべての人を呼び寄せ、自分と一緒に行った戦士の指揮官たちに言った。「近寄って、この王たちの首を踏みつけなさい。」彼らは近寄り、王たちの首を踏みつけた。25 ヨシュアは彼らに言った。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵に主がこのようにされる。」26 その後、ヨシュアは王たちを討って殺し、五本の木にかけ、夕方まで木にかけておいた。27 日の入るころになって、ヨシュアは命じて彼らを木から降ろし、彼らが隠れていた洞穴の中に投げ込んだ。その洞穴の口には大きな石が置かれ、今日に至っている。」

5人の王たちの軍隊を完全に打ち負かした後、ヨシュアはギルガルの陣営に引き上げましたが、そのちょっと前に、イスラエルの前から逃れた5人の王たちがマケダのほら穴に隠れたという話が記録されています。この5人の王たちはほら穴に隠れたとき、ヨシュアは彼らをそのままにしておいて、敵のあとを追うように命令します。そして、敵を絶滅させた後でこの5人の王たちを引き出し、彼らの首に足をかけさせました。そればかりではありません。ヨシュアは彼らを打って死なせ、彼らを5本の木にかけ、夕方まで木にかけておきました。このように首に足をかけるとか、死体を木にかけるというのは、イスラエルがこの5人の王たちに勝利したことの見せしめです。
「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。あなたがたの戦うすべての敵は、主がこのようにされる。」
これが一目瞭然です。主がどれほど力ある方であるかは、それをみればわかります。だから私たちも恐れてはなりません。おののいてはなりません。私たちの主は全能の神であって、私たちが真に恐れなければならないのは、この神だけなのです。

Ⅲ.聖絶しなさい(28-43)

最後に28~43節までを見て終わりたいと思います。「28 その日、ヨシュアはマケダを攻め取り、この町とその王を剣の刃で討った。彼らとそこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにマケダの王にした。29 ヨシュアは全イスラエルとともにマケダからリブナに進み、リブナと戦った。30 主は、この町もその王もイスラエルの手に渡された。それで彼は、その町とそこにいたすべての者を剣の刃で討ち、そこに一人も残さなかった。彼はエリコの王にしたようにその王にした。31 ヨシュアは、全イスラエルとともにリブナからラキシュに進み、これに向かって陣を敷き、ラキシュと戦った。32 主はラキシュをイスラエルの手に渡された。ヨシュアは二日目にそれを攻め取り、その町と、そこにいたすべての者を剣の刃で討った。すべて彼がリブナにしたとおりであった。33 そのとき、ゲゼルの王ホラムがラキシュを助けようとして上って来た。ヨシュアは、ホラムとその民を一人も残さず討った。34 ヨシュアは、全イスラエルとともにラキシュからエグロンに進んだ。彼らは、それに向かって陣を敷き、それと戦い、35 その日に、エグロンを攻め取り、剣の刃で討った。そしてその日、そこにいたすべての者を聖絶した。すべて彼がラキシュにしたとおりであった。36 ヨシュアは、全イスラエルとともにエグロンからヘブロンに上った。彼らはそれと戦い、37 それを攻め取り、ヘブロンとその王、およびそのすべての町、そこにいたすべての者を剣の刃で討ち、一人も残さなかった。すべて彼がエグロンにしたとおりであった。彼はその町と、そこにいたすべての者を聖絶した。38 ヨシュアは全イスラエルとともにデビルに引き返し、これと戦い、39 それとその王、およびそのすべての町を攻め取り、剣の刃で彼らを討った。そして、そこにいたすべての者を聖絶し、一人も残さなかった。彼がデビルとその王にしたことはヘブロンにしたとおりであり、またリブナとその王にしたとおりであった。40 ヨシュアはその全地、すなわち、山地、ネゲブ、シェフェラ、傾斜地、そのすべての王たちを討ち、一人も残さなかった。息のある者はみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。41 ヨシュアはカデシュ・バルネアからガザまで、および、ゴシェンの全土をギブオンに至るまで討った。42 これらすべての王たちと彼らの地を、ヨシュアは一度に攻め取った。イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたからである。43 ヨシュアは全イスラエルとともにギルガルの陣営に戻った。」

マケダでヨシュアに歯向かった5人の王たちを殺した後、ヨシュアはそれを皮切りに、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビルの町々を攻め、これらの町々を陥落させます。しかし、それだけではありません。ヨシュアは容赦なくこれらの町々のすべての住民を聖絶しました。40節には、「こうして、ヨシュアはその全土、すなわち山地、ネゲブ、低地、傾斜地、そのすべての王たちを打ち、ひとりも生き残る者がないようにし、息のあるものはみな聖絶した。イスラエルの神、主が命じられたとおりであった。」とあります。いったいこれはどういうことでしょうか。あまりにも残酷な行為です。戦いで敵を破るというのはわかりますが、一人も残らずにことごとく滅ぼすというのは、あまりにも非道に感じます。ヨシュアはそれほど冷酷無比な人間だったのでしょうか。

そうではありません。今読んだ40節にあるように、あるいは25節にもあったように、それはヨシュアから出たことではなく神の命令であり、神がそのようにせよと命じられたので、ヨシュアはそのようにしたのです。すなわち、彼は主の命令どおりに行ったということです。それではいったいなぜ神はそのような命令を出されたのでしょうか。それは単に大量虐殺を行ったということではありません。ここに「聖絶」とあるように、イスラエルが聖さを守り神の祝福の基として置かれるためにそのようにしたのです。これは「聖絶」あるいは「分離」のためだったのです。彼らがカナンの異教的な習慣から守られ、神の民としての聖さを保つためだったのです。

私たちはこの世で、神の民として祝福の基としての使命を果たしていくためには、どうしてもこの世と分離しなければなりません。この世の力はとても強いものがあります。その背後には悪魔の力が働いており、罪に陥れる罠がたえずあります。だからこそ私たちは意識的にこの世から分離して、信仰の主体性というものを確立しなければなりません。そうでないと、私たちは容易にこの世の力にのみ込まれてしまうことになるからです。


パウロはⅡコリント6章17~18節でこう言っています。「それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
これは、この世と交わってはならないということではありません。私たちはこの世に遣わされている者として、絶えずこの世との関わりの中で生かされているからです。パウロがここで言っている「彼らと分離せよ」とは、彼らと霊的に交わることがないようにという意味です。私たちは確かにこの世に生きていますがこの世のものではなく神のものとして、神に従って生きていかなければなりません。この世と妥協してはならないのです。分離しなければなりません。そして、時には実際に分離する必要があります。

私は1993年に韓国の光琳教会というメソジスト派では世界で一番大きな教会に行ったことがあります。韓国の教会の成長の要因はどこにあるのかを学びに行きましたが、その要因の一つはこの分離にあることがわかりました。この教会だけでなく韓国の多くの教会では祈祷院を持っています。この光琳教会の祈祷院はとても立派なもので、毎月信徒が集まって断食の祈りをするのです。断食聖会です。それはこの世と分離の時です。家を離れ、仕事を離れ、食事からも離れて、ただ神との交わり、祈りとみことばの時を過ごすのです。その中で彼らは聖霊に満たされ、信仰に満たされ、そしてまたこの世に出て行くのです。韓国にはこのような祈祷院がたくさんあるのです。そこで一月に一度とか、二月に一度、三月に一度、あるいは一年に一度、聖別して祈るのです。必ずしも祈祷院に行かなければならないということではありません。祈祷院に行く目的は、聖別することですから、この聖別することを私たちが求め、この世と分離して主体的な信仰を持つことができるのであればいいわけですが、なかなかそれを実現していくことは容易なことではありません。その点でこうした祈祷院で祈ることは大きな助けになるのは間違いありません。

では、私たちの教会のように祈祷院のない教会はどのようにして聖別することができるのでしょうか。聖書には何と書いてあるでしょうか。出エジプト記20章8節には「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。」とあります。これは十戒の第四の戒めです。「聖なる日とせよ」ということばは「カーデシュ」というヘブル語で、「分離する」という意味があります。つまり、日曜日は他の曜日とは違って分離された特別な日であることを覚えて、これを聖なる日とせよということです。他の曜日の延長に日曜日があるのではなく、日曜日は「聖なる日」なのです。もちろん、主にあっては日曜日だけが主の日でなく、毎日が主の日です。しかし、それはこの日が他の日と同じであるということではありません。これは「聖なる日」なのです。他の日とは区別された日なのです。毎週日曜日ごとに造り主なる主の前に出て、この世とのいっさいの関わりを断ち、ただ主との交わりを通して信仰を強められ、月曜日からもう一度この世に遣わされていくのです。ですから、日曜日が週の初めにあるのです。六日間働いて休む日なのではなく、一週の初めに神を礼拝し、自分が神のものであることを確信し、神から力をいただいて強められ、月曜日からまた新たにこの世での生活を営んでいくのです。それゆえに私たちは日曜日を「聖なる日」としなければなりません。これを軽んじてはならないのです。ここから聖別が始まっていくからです。

今から百年以上前に、アメリカにジョン・ワナメイカーという人物がいました。彼は「百貨店王」と呼ばれるほど優れた実業家として有名な人です。しかし彼は貧しい家で育ち、14歳で働きに出なければなりませんでした。彼は幼い頃教会学校において、日曜日は神様を礼拝する日であり、神様を礼拝することなくて他のことをすることは空しいと教えられていました。しかしその後彼が14歳で書店に勤めると、そこでは日曜日に休むことができませんでした。彼は教会学校での教えを思い出し、若かった彼は「教会に行かせてください」と正直にその書店に主人に申し出ましたが、主人はそれを許しませんでした。そこで仕方なく彼はその書店を辞めました。そして日曜日に休むことができる仕事はないかと必死に探し始め、間もなくある一つの仕事を見つけました。それは衣料品のセールスマンの仕事でした。セールスマンなら自由に働くことができると、日曜日に仕事を休むために、月曜日から土曜日まで一生懸命に働いたのです。すると、だんだんと彼の才能が認められるようになりました。やがて彼は一つの衣料店を任せられるようになり、そしてそれがどんどん大きな業績につながってくと、ついに百貨店の経営者に上り詰めたのです。そして1889年から1893年の期間、当時のアメリカ大統領ハリソンの下で郵政大臣をも務めるほどの人物になったのです。しかし、大臣という多忙な執務の中にあっても一日たりとも聖日礼拝を休むことはありませんでした。

私たちはこのジョン・ワナメイカーに学びたいものです。このワナメイカーのように日曜の礼拝を厳守し、この世と分離することによって、自分が主のものであることを確信し、そこから恵みと力をいただいて強められていく信仰を持ちたいと思います。それが聖別するということであって、そのような信仰者を主は必ず祝福してくださるのです。