民数記21章
きょうは民数記21章から学びます。
Ⅰ.青銅の蛇(1-9)
まず1~9節をご覧ください。3節までをお読みします。「1 ネゲブに住んでいたカナン人アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来たと聞いた。彼はイスラエルと戦い、その何人かを捕虜として捕らえた。2 そこでイスラエルは主に誓願をして言った。「もし、確かにあなたが私の手に、この民を渡してくださるなら、私は彼らの町々を聖絶いたします。」3 主はイスラエルの願いを聞き入れ、カナン人を渡されたので、イスラエルはカナン人とその町々を聖絶した。そしてその場所の名をホルマと呼んだ。
イスラエルの民は、ホル山でアロンが死に彼をそこに葬ると、そこから北上しネゲムに向かいました。下の地図をご覧ください。
「出エジプトの経路」(出典:新改訳聖書第3版、日本聖書刊行会)
ネゲブはカナン人の地の南方の地域のことです。その最大の都市はベエル・シェバという町ですが、そこから東に約35㎞のところにアラドという町がありました。そこは神がアブラハムに約束されたカナン人の地に近いところでした。そのアラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来ると聞いて、イスラエルと戦い、何人かを捕虜として捕らえたのです。そこでイスラエルは主に誓願を立てて祈りました。もし、主がイスラエルの民の願いを聞き入れ、彼らを渡されるなら、彼らの町々を聖絶すると。「聖絶」とは、神のものとするということです。すると主はイスラエルの願いを聞き入れ、彼らに勝利を与えられたので、イスラエルはカナンとその町々を聖絶しました。それで、その町の名をホルマと呼びました。意味は「聖絶する」です。
かつてイスラエルがカデシュ・バルネアにいたとき、約束の地カナンの地を偵察させるために12人のスパイを送りましたが、彼らは不信仰になって神の命令に背きその地に上って行こうとしませんでした。それで主はイスラエルに40年間荒野で彷徨わせると言われると、今度は手のひらを返したかのように「とにかく主が言われた所へ上って行ってみよう」(14:40)と言いました。すると主は「上っていってはならない」と言われました。なぜなら、主は彼らのうちにおられなかったからです。もし上って行こうものなら、彼らは敵に打ち負かされるであろうと警告したのです。それでも彼らは主の言うことを聞かず上って行くと、山地に住んでいたカナン人に打ち負かされ、このホルマまで追い散らされたのです。もう39年も前の話です。しかし、今度は違います。今度は主が彼らの願いを聞き入れられたので、彼らの町々を聖絶することができました。一方では、彼らの願いは聞かれられず、今回は聞き入れられるという、いったいこれはどういうことなのでしょうか。
それは、神がともにおられるかどうかということです。彼らは自分たちの思いで、「とにかく上って行ってみよう」と言った時に、主は彼らとともにはおられませんでした。なぜなら、主のみこころは「上って行ってはならない」ということだったからです。しかし、あれから39年、肉の欲望にかられ、不信仰に陥り、さらに反逆までしたイスラエルの民はみな死に絶えてしまいました。そこには新しい民の姿がありました。そんな新しいイスラエルが主に誓願を立てて祈ると、主はその祈りを聞いてくださいました。主がともにおられたので、彼らに勝利することができたのです。問題は、主がともにおられるかどうかです。かつてだめだったから今度もだめだということではありません。かつてだめであってもその原因がどこにあったのかを振り返り、悔い改めて、主に立ち返るなら、主は勝利を与えてくださるのです。
次に4節から9節までをご覧ください。「4 彼らはホル山から、エドムの地を迂回しようとして、葦の海の道に旅立った。しかし民は、途中で我慢ができなくなり、5 神とモーセに逆らって言った。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」6 そこで主は民の中に燃える蛇を送られた。蛇は民にかみついたので、イスラエルのうちの多くの者が死んだ。7 民はモーセのところに来て言った。「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう主に祈ってください。」モーセは民のために祈った。8 すると主はモーセに言われた。「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上に付けよ。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる。」9 モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きた。」
イスラエルの民は、ホル山からエドムの地を迂回して葦の海の道に旅立ったとき、途中で我慢できなくなり、神とモーセに逆らって言いました。「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」(5)
イスラエルはまたもやモーセに逆らいました。何が問題だったのでしょうか。パンもなく、水もなかったのです。ついちょっと前にも同じことがありました。彼らがツィンの荒野に入ったときパンもなく、水もありませんでした。しかし神は彼らの叫びを聞かれ、岩から水が流れ出るようにされました(20:1~13)。彼らは水のことで神と争ったので、そこは「メリバの水」と呼ばれました(20:13)。それなのに彼らはそこから何も学びませんでした。また不平不満を鳴らしたのです。彼らはちょっとでも嫌なこと苦しいことがあると我慢することができず、すぐに不満をぶちまけたのです。
それで主はどうされたでしょうか。そこで主は民の中に燃える蛇を送られました。そして蛇が民にかみついたので、イスラエルの多くの人が死んでしまいました。この「燃える蛇」とは何でしょうか。おそらく、かまれると焼けつくような痛みと激しい毒のゆえにこのように呼ばれていたのではないかと思われます。この蛇は複数形で書かれているので、何匹もうじゃうじゃしていたのだと思います。私は蛇が大嫌いで、1匹でも気持ち悪いのに何匹もいたらたまったものではありません。しかも毒蛇です。それが民にかみついたので、多くの人々が死んでしまいました。
それで民はモーセのところに来て言いました。「私たちは主とあなたを非難したりして、罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう主に祈ってください。」彼らはそれが神の罰であることに気付き、自分たちの非を認め、モーセに助けを求めたのです。
それでモーセは民のために祈りました。すると主はモーセに興味深いことを仰せられました。それは、青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ、ということでした。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば生きる、というのです。
モーセは命じられた通り、一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上に付けました。すると、蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きたのです。いったいこれはどういうことでしょうか。これは、信仰の従順による癒しと救いです。これは青銅の蛇自体に救う力があったということではなく、この神のことばを信じてそれを仰ぎ見た者だけが、死の毒を免れて救われることができたということです。
この出来事について、イエス様はニコデモに対して語られました。ヨハネの福音書3章14~15節です。「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
人の子が上げられるとは、イエス様が十字架に上げられることを表しています。ヨハネの福音書12章32~33節でヨハネは、このイエス様が言われたことをこう説明しています。「32 わたしが地上から上げられるとき、わたしはすべての人を自分のもとに引き寄せます。」33 これは、ご自分がどのような死に方で死ぬことになるかを示して、言われたのである。」
ニコデモはイスラエルの指導者でした。ユダヤ人の教師です。ですからこの話を十分に知っていました。イエス様は、モーセが荒野で上げた青銅の蛇のように、十字架に上げられることを語られたのです。
まず、蛇が彼らに死をもたらしたことに注目しましょう。エバを惑わしたのも蛇でした。黙示録12章9節によると、この蛇は悪魔であることが分かります。そして主は蛇に対してその子孫のかしらが、女の子孫によって打ち砕かれると約束されました(創世記3:15)。蛇の子孫は女の子孫のかかとをかみつくが、女の子孫は蛇の頭を打ち砕きます。これは十字架と復活の預言です。すなわち蛇は女の子孫として来られたキリストを十字架につけて殺すことに成功しますが、それはまさにかかとにかみつくことです。しかしキリストは三日目に死から復活しました。それは敵の頭を踏み砕くことです。それはキリストによって敵である悪魔に対する完全な勝利を表していました。
「そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、 死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。」(ヘブル2:14-15)
つまり、蛇が死をもたらしたのは、罪が死をもたらしたと言い換えることができます。そして青銅で蛇を作りなさいというのは、その罪に対する神のさばきを表していました。覚えていますか、祭壇が青銅で作られていたのを・・。そこで罪のためのいけにえが焼かれました。それは、罪に対する神の裁きを表していたのです。つまり、罪が裁かれたことを表していたのです。しかもそれが旗ざおという木の上で裁かれました。キリストは十字架にかけられ、青銅の蛇となって、全人類の罪のさばきをその身に負われたのです。そのキリストを仰ぎ見る者が救われるのです。それが信じるということであり、ニコデモに対してイエス様が語られた「御霊によって新しく生まれなければならない」ということだったのです。
Ⅱ.ピスガの頂へ(10-20)
次に10節から20節までをご覧ください。「10 イスラエルの子らは旅立って、オボテで宿営した。11 彼らはオボテを旅立ち、日の昇る方、モアブに面した荒野にあるイエ・ハ・アバリムに宿営した。12 彼らはそこを旅立ち、ゼレデの谷に宿営し、13 さらにそこを旅立って、アモリ人の国境から広がっている荒野にある、アルノン川の対岸に宿営した。アルノン川は、モアブとアモリ人との間にあるモアブの国境だったからである。14 それで、『主の戦いの書』にもこう言われている。「スパのワヘブとアルノンの谷川とともに、15 アルの定住地に達する谷川の支流は、モアブの領土を支えている。」16 彼らはそこからベエルに向かった。それは主がモーセに、「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える」と言われた井戸である。17 そのとき、イスラエルはこの歌を歌った。「井戸よ、湧きいでよ。あなたがたは、これに向かって歌え。18 笏をもって、杖をもって、君主たちが掘り、民の尊き者たちが掘り下げたその井戸に。」彼らは荒野からマタナに進み、19 マタナからナハリエルに、ナハリエルからバモテに、20 バモテからモアブの野にある谷に行き、荒れ野を見下ろすピスガの頂に着いた。」
10節には、「イスラエルは旅立って」とありますが、どこから旅立ったのかはわかりません。おそらくエドムを迂回して南下し、モアブの草原に向かって北上して行った途中の地点だったのではないかと思われます。そしてオボテまでやって来ました。このオボテは地中海の南方、エドムとの境界にある町です。そこからさらにイエ・ハ・アバリム、ゼレデの谷に宿営し、エモリ人の国境から広がっている荒野にあるアルノン川の向こう側に宿営しました。それはアルノン川がモアブ人とエモリ人との間の、モアブの国境であったからです。すなわち、彼らはアルノン川の北のエモリ人の地に宿営したのです。
それからベエルに向かいました(16)。「ベエル」がどこにあるのかはわかりませんが、そこは主がモーセに「民を集めよ。わたしが彼らに水を与える」と言われたところです。彼らは井戸を求めていたからです。その井戸についての歌が17節と18節にあります。乾燥地帯の砂漠にあってこうした井戸が与えられたことは、どれほど大きな癒しと励ましとなったことでしょうか。彼らはそこで主に感謝の歌をささげました。すばらしいですね。不平を鳴らすのではなく、感謝の歌を歌うのです。私たちも聖霊によって生きるなら、感謝の歌をささげるようになります。なぜなら、主は聖霊によって私たちの心に永遠に渇くことがない水を与えてくださるからです。こうして彼らはピスガの頂にまでやってきました。後にモーセがそこから約束の地を見下ろし、死ぬ場所です。
Ⅲ.勝利ある人生(21-35)
次に21節から35節までをご覧ください。「21 イスラエルは、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。22 「あなたの土地を通らせてください。私たちは畑にもぶどう畑にもそれて入りません。井戸の水も飲みません。あなたの領土を通過するまで、私たちは『王の道』を通ります。」23 しかし、シホンはイスラエルが自分の領土を通ることを許さなかった。シホンはその兵をみな集めて、イスラエルを迎え撃つために荒野に出て来た。そしてヤハツに来てイスラエルと戦った。24 イスラエルは剣の刃でシホンを討ち、その地をアルノン川からヤボク川まで、アンモン人の国境まで占領した。アンモン人の国境は堅固だった。25 イスラエルはこれらの町々をすべて取った。そしてイスラエルは、アモリ人のすべての町、ヘシュボンとそれに属するすべての村に住んだ。26 ヘシュボンはアモリ人の王シホンの町であった。彼はモアブの以前の王と戦って、その手からその全土をアルノンまで奪っていた。
27 それで、詩のことばを語る者たちも言っている。「来たれ、ヘシュボンに。シホンの町は建てられ、堅くされている。28 ヘシュボンから火が出た。シホンの町から炎が。それはモアブのアルを、アルノンにそびえる高地を焼き尽くした。29 モアブよ、おまえはわざわいだ。ケモシュの民よ、おまえは滅び失せる。その息子たちは逃亡者、娘たちは捕らわれの身。アモリ人の王シホンの手によって。30 しかし、われわれは彼らを投げ倒し、ヘシュボンはディボンに至るまで滅び失せた。われわれはノファフまで荒らし、それはメデバにまで至った。」
31 こうしてイスラエルはアモリ人の地に住んだ。32 そのとき、モーセは人を遣わしてヤゼルを探り、ついにそれに属する村々を攻め取り、そこにいたアモリ人を追い出した。33 さらに彼らが向きを変えてバシャンへの道を上って行くと、バシャンの王オグが、エデレイで戦うために、そのすべての兵とともに彼らの方に出て来た。34 主はモーセに言われた。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての兵とその地をあなたの手に与えた。あなたがヘシュボンに住んでいたアモリ人の王シホンに行ったように、彼にも行え。」35 そこで彼らは、彼とその子たちとそのすべての兵を討ち、一人の生存者も残さなかった。こうして彼らはその地を占領した。」
ピスガの頂まで来たとき、イスラエルはアモリ人の王シホンに使者たちを送りました。そこに彼らの土地だったからです。それでモーセたちはエドム人に対するのと同じように、ただ通過させてほしいと頼んだのですが、アモリ人の王シホンは、イスラエルが自分たちの領土を通ることを許しませんでした。それどころか、イスラエルと戦うために出てきたのです。なぜ彼らはモーセの依頼を断ったのでしょうか。イスラエルに敵対していたからです。後に北イスラエルを滅ぼしたアッシリア帝国の人々は、ハムの子カナンの子孫であるこのアモリ人でした(創世記10:16)。彼らはアッシリア一帯を征服し、その周辺の支配者となっていたのです。このようにアモリ人は常にイスラエルに敵対する民でした。それでイスラエルが通ることを許さなかったのです。それどころか彼らが攻撃してきたので仕方なくイスラエルは応戦し、その結果、彼らを打ち破り、アムノン川からヤボク川までを占領したのです。
こうやって見ると、神の民にはいつも戦いがあることがわかります。こちらが平和的な解決を望んでいても、相手も必ずしもそうだとは限りません。このように戦いを挑んでくるようなケースがあるのです。それはこの世が悪魔に支配されているからです。神の御業の前進好まないのです。ですからありとあらゆる形で妨害し、それを拒もうとするわけです。しかし、主はわたしたちとともにいて戦ってくださいます。そしてそのことによってかえってご自分の御業を進めておられるのです。主は悪魔が行なう仕業をも飲み込み、ご自分の勝利に変えてくださるのです。
その大勝利の歌が27~30節までにあります。「へシュボン」とはアモリ人の王、シホンの町でした。彼らは以前モアブの王と戦って、その全土を取っていました。けれども今、そのヘシュボンはイスラエルによって奪い取られたのです。主は勝利を治めてくださいました。この歌はそっくりそのままイスラエルの勝利の歌となったのです。
31節をご覧ください。こうしてイスラエルはアモリ人の地に住みました。さらに彼らはバシャンへの道を上って行きました。つまり、そのまま北上して行ったということです。それでバシャンの王オグはエデレイで戦うために、そのすべての民とともに出てきました。しかし、主はモーセに言われました。「彼を恐れてはならない。わたしは彼とそのすべての兵とその地をあなたの手に与えた。あなたがヘシュボンに住んでいたあのアモリ人の王シホンに行ったように、彼にも行え。」そこでイスラエルは彼らとその子らとすべての民とを打ち殺し、その地を占領しました。
このようにして主は、すでに約束の地に入る前に約束の地における主の勝利を見せてくださったのです。彼らは不平不満によって燃える蛇を送られ、死に絶えるという神のさばきを受けましたが、その罪を悔い改め、神が言われたとおりにすることによって、つまり、旗さおに掲げられた青銅の蛇を仰ぎ見ることによって救われると、たとえ行く手にどんなに強力な敵がいようとも、破竹の勢いで前進していくことができたのです。そこに主がともにおられたからです。
それは私たちも同じです。私たちも自分の罪を悔い改め、神が仰せられた通りに救いを受け入れる時、その罪が赦され、永遠のいのちが与えられるだけでなく、たとえ目の前にどんな敵がいても勝利することができるのです。神がともにおられるからです。これが私たちの信仰生活において最も重要なことです。神がともにおられるかどうか。神がともにおられるなら、私たちは圧倒的な勝利者になることができます。ということは、クリスチャンにとって最も恐ろしいことは、罪の中にとどまっていることです。神は罪の中には決しておられないからです。であれば、私たちはいつでも罪を悔い改めて神に立ち返ること、神がともにいてくださることを求めなければなりません。
まだ約束の地に入ってはいなくても、主は確実に勝利をもたらしてくださいます。私たちの信仰の歩みは、まさにイスラエルの荒野の旅と同じなのです。大切なのはどのように進んでいくかということではなく、だれとともに行くのかということです。神がともにおられるなら、何も恐れることはありません。必ず勝利することができるからです。イエス・キリストによって与えられた神の恵みを受け入れ、信仰をもってこの旅路を進んでいきたいと思います。