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士師記12章

士師記12章からを学びます。まず1節から7節までをご覧ください。

 

Ⅰ.エフライム人との内紛(1-7)

 

「エフライム人が集まってツァフォンへ進んだとき、彼らはエフタに言った。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

エフタは彼らに言った。「かつて、私と私の民がアンモン人と激しく争ったとき、私はあなたがたに助けを求めたが、あなたがたは彼らの手から私を救ってくれなかった。あなたがたが救ってくれないことが分かったので、私はいのちをかけてアンモン人のところへ進んで行った。そのとき、主は彼らを私の手に渡されたのだ。なぜ、あなたがたは今日になって、私のところに上って来て、私と戦おうとするのか。」

エフタはギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦った。ギルアデの人々はエフライムを打ち破った。これは、エフライムが「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからである。

ギルアデ人はさらに、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取った。エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、ギルアデの人々はその人に、「あなたはエフライム人か」と尋ね、その人が「そうではない」と答えると、その人に、「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺した。こうしてそのとき、四万二千人のエフライム人が倒れた。

エフタはイスラエルを六年間さばいた。ギルアデ人エフタは死んで、ギルアデの町に葬られた。

 

エフタがアンモン人との戦いを終えると、エフライム人がツァフォンに進み、エフタに詰め寄って来てこう言いました。「なぜ、あなたは進んで行ってアンモン人と戦ったとき、一緒に行くように私たちに呼びかけなかったのか。あなたの家をあなたもろとも火で焼き払おう。」

彼らの不満は、エフタがアンモン人と戦う際になぜ自分たちに声をかけなかったのかということでした。エフライム族は、マナセ族とともにヨセフ族から枝分かれした部族です。そのエフライム族が、どうしてここでエフタに不満を述べたのでしょうか。それは彼らには、自分たちこそ卓越した部族であるという自負心があったからです。その自負心が高ぶりとなって表面化することがたびたびありました。

 

たとえば、ヨシュア記17章14節のところには、土地の分割の際にヨシュアに詰め寄り、「あなたはなぜ、私たちにただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらないのですか。これほどの数の多い民になるまで、主が私を祝福してくださったのに。」と言っています。自分たちは主に祝福された特別な部族だと主張したわけです。それに対してヨシュアは、「あなたが数の多い民であるなら、森に上って行って行きなさい。そこでペリジ人やれふぁいむ人の地を切り開くがよい。エフライムの山地はあなたには狭すぎるのだから。」(ヨシュア17:15)と答えました。ヨシュアが言ったことはもっともなことでした。そんなに主に祝福された者であるなら、そんなに数の多い民であるなら、自分たちで切り開けばいいではないか。それなのに、そのことでつべこべ言っているのは、彼ら自身の中に問題があるからではないかと諫めたわけです。

 

また、士師記8章1節でも、ギデオンがミディアン人との戦いを終えた後に彼のところに詰め寄り、「あなたは私たちに何ということをしたのか。ミディアン人と戦いに行くとき、私たちに呼びかけなかったとは。」(8:1)と激しく責めました。この時はギデオンが彼らをなだめ、平和的な解決を図りましたが、今回は違います。エフタは強硬な姿勢で対応しました。

 

2節と3節をご覧ください。そうしたエフライム人のことばに対して、かつてエフタがアンモン人と戦った際に、エフライム族に呼びかけたものの、彼らが出て来なかったからだと語り、自分を脅迫するのは筋違いだと反論します。そして、ギルアデの人々をみな集めてエフライムと戦い、彼らを打ち破ったのです。それは、エフライムが、「あなたがたはエフライムからの逃亡者だ。ギルアデ人はエフライムとマナセのうちにいるべきだ」と言ったからです。エフライムは、ギルアデ人のことを侮辱して、逃亡者呼ばわりしました。それは、異母兄弟たちから追い出され、逃亡者となった経験があったエフタにとっては断じて受け入れられることではなく、逆に彼の神経を逆なですることになりました。

 

ついに、あってはならない部族間の内紛が勃発しました。ギルアデの人々は、エフライムに面するヨルダン川の渡し場を攻め取り、エフライムの逃亡者が「渡らせてくれ」と言うとき、その人がエフライム人かどうかを方言によって見分け、もしエフライム人ならその場で殺しました。すなわち、その人に「『シボレテ』と言え」と言い、その人が「スィボレテ」と言って、正しく発音できないと、その人を捕まえてヨルダン川の渡し場で殺したのです。こうして四万二千人のエフライム人が倒れました。

 

元はと言えば、エフライム人の高ぶりがこの悲劇の原因でした。箴言16章18節に、「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」とあります。心の高慢は、隣人との間に争いを生み、やがてその人を滅ぼしていくようになります。あなたはどうでしょうか。隣人との間に平和がありますか。もし争いがあるとしたら、あなたの中にエフライムのような自負心や高ぶりがあるからかもしれません。へりくだって.自分の心を点検してみましょう。

 

Ⅱ.9番目の士師イブツァン(8-10)

 

次に8節から10節までをご覧ください。ここには、9番目の士師でイブツァンのことが記されてあります。

「彼の後に、ベツレヘム出身のイブツァンがイスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。また、彼は三十人の娘を自分の氏族以外の者に嫁がせ、息子たちのために、よそから三十人の娘たちを妻に迎えた。彼は七年間イスラエルをさばいた。イブツァンは死んで、ベツレヘムに葬られた。」

 

「イブツァン」という名前の意味は「速い」です。その名に相応しく、彼についての言及はわずか3節だけです。彼はベツレヘムの出身で、三十人の息子と、三十人の娘がいました。それだけ彼は裕福であり、権力を持っていたということでしょう。しかし、何と言っても彼の特徴は、その三十人の娘たちを自分の氏族以外の者に嫁がせ、自分の息子たちのためには、よそから三十人の娘たちを迎えたという点です。なぜこんなことをしたのでしょうか。彼は、息子と娘たちを他の氏族と結婚させることによって争いを回避し、平和を確保しようとしたのです。いわば、それは政略結婚だったのです。このようなことは日本の戦国時代ではよく行われていたことでしたが、当時の士師たちの間では珍しいことでした。彼はこのようなことによって氏族の結束を強めようと思ったのかもしれません。

 

Ⅲ.10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンの時代(11-15)

 

最後に、10番目の士師エロンと11番目の士師アブドンを見て終わります。11節から15節までをご覧ください。

「彼の後に、ゼブルン人エロンがイスラエルをさばいた。彼は十年間イスラエルをさばいた。ゼブルン人エロンは死んで、ゼブルンの地アヤロンに葬られた。

彼の後に、ピルアトン人ヒレルの子アブドンがイスラエルをさばいた。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていた。彼は八年間イスラエルをさばいた。ピルアトン人ヒレルの子アブドンは死んで、アマレク人の山地にあるエフライムの地ピルアトンに葬られた。」

 

エロンについての言及はもっと短いです。彼については、彼がゼブルン人で、十年間イスラエルをさばいたということ、そして、ゼブルンの地アヤロンに葬られたということだけです。つまり、彼の出身地と士師としてさばいた期間、そして葬られた場所だけです。

 

そして、彼の後に登場するのはピルアトン人ヒレルの子アブドンについての言及も同じで、彼についてもその出身地と生活、そしてさばいた年数、葬られた場所しか記されてありません。

「ピルアトン」とは「丘の頂」という意味で、エフライムにあった町です。ですから、彼はエフライムの出身でした。彼には四十人の息子と三十人の孫がいて、七十頭のろばに乗っていたとあります。当時ろばは高貴な人が乗る動物でしたので、ここから彼は非常に裕福で、社会的地位が高かった人物であったことがわかります。彼が士師としてさばいたのは8年間という短い期間でした。しかし、それは平和と繁栄の時代だったのです。

 

このエロン、アブトンがイスラエルをさばいたのはわずか18年間という短い期間でしたが、それは10章1~5節で見てきたトラやヤイルの時代のように、平和と繁栄の時代でした。それはトラとヤイルの時のように特記すべきことが少ない平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、それこそが神の恵みだったのです。それは何よりも神が与えてくださった秩序の中で、互いに神を見上げ、神とともに歩んだということの表れでもあります。何気ない当たり前の平凡な日々中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。そして、そのような中で一生を終えこの世を去っていく人こそ、本当に幸いな人生を歩んだ人と言えるのです。あなたにとっての幸いな人生とは、どのような人生でしょうか。

ヨハネの福音書3章1~15節「新しく生まれる」

きょうは、聖書の中でも有名なニコデモの話から、「新しく生まれる」というタイトルでお話しします。

 

Ⅰ.ニコデモの悩み(1-2)

 

まず1節と2節をご覧ください。

「さて、パリサイ人の一人で、ニコデモという名の人がいた。ユダヤ人の議員であった。

この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

 

ここに、ニコデモという人が登場します。1節には、彼がとのような人であったかが紹介されています。つまり、彼はパリサイ人の一人で、ユダヤ人の議員であったということです。パリサイ人とは、ユダヤ教の一派で、聖書を重んじ、その教えを真剣に守ろうとしていた人々のことです。当時は六千人ぐいいたと言われています。彼らは、人々から尊敬の目をもって見られていました。ニコデモはそのパリサイ派に属していました。

 

それだけではありません。彼はユダヤ人の議員でもありました。ユダヤ人の議会は、サンヘドリンと呼ばれていたユダヤの最高議会のことです。祭司や長老、学者たち等71人で構成されていました。そこでは政治的なことだけでなく、宗教的なことも含め、すべてのことがここで議決されていました。彼はその議員だったのです。

 

つまり、彼は当時のユダヤ人としては最高の社会的地位と名誉、そして、財産の持ち主であったということです。それは今日でいうと、東大の教授であり、衆議院議員であり、最高裁の判事でもある、といった立場の人です。

 

そんな彼が、ある夜、イエスのもとに来てこう言いました。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられなければ、あなたがなさっているこのようなしるしは、だれも行うことができません。」

 

ニコデモはなぜ、イエスのもとにやって来たのでしょうか。3節のところで主イエスは、「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」と答えていますが、このことばから考えると、彼はどうしたら神の国を見ることができるのかがわからなかったのです。神の国を見るということは、永遠のいのちを得るということです。すなわち、それは救われるということです。いったいどうしたら救われるのか、ニコデモはわからなかったのです。彼はパリサイ派の人で聖書を重んじ、聖書に従って生きてきましたが、聖書の中で最も重要なこの救いに関することがわからなかったのです。そして、何としても知りたくて、イエスのもとにやって来たのです。

 

彼はここでイエスを「先生」と呼んでいます。大工の子であったイエスを「先生」と呼ぶのは異例です。「先生」という言葉は、当時最大級の敬意を払った言葉だったからです。それは彼が、イエスが行ったしるしは、神が共におられるのでなければできないと考えていたからでしょう。もしかすると彼は、ガリラヤのカナの婚礼で、イエスが水をぶどう酒に変えられた奇跡のことを聞いていたのかもしれません。あるいは、エルサレムの神殿でイエスが行われたしるしについて聞いたのかもしれません。それとも、直接それらを目撃していたのかもしれません。いずれにせよ、彼はそのような不思議なしるしは神によらなければできないと考えたので、恥も外聞も捨てて、イエスのもとにやって来たのです。夜に・・。

 

ここでは、彼が「夜」やって来たとあります。どうしてわざわざ夜「夜」やって来たのでしょうか。ある人は、それはイエスは日中とても忙しかったので、じっくりと話すために夜やって来たのではないかと考えています。また、ユダヤ教のラビは、夜、律法を勉強する習慣があったので、その夜にやって来たのではないかと考える人もいます。けれども、彼が夜、イエスのもとにやって来たのは、やはり人に知られないようにしたかったからではないかと思います。というのは、このヨハネの福音書19章39節にもニコデモのことが言及されているのですが、そこにも「以前、夜イエスのところに来たニコデモも」と、彼が夜イエスのもとにやって来たことが強調されているからです。それが彼の特徴でした。彼はそこまでしてイエスのもとに行こうとしたのです。

 

この時彼はすでに確固たる地位を築いていました。名誉もありました。そんな彼が若干33歳のイエスのもとに教えを受けに行くということには相当抵抗もあったことでしょう。そのような彼の姿が、「夜イエスのもとにやって来た」ということで表されているのです。しかし、彼はそれでもイエスのもとにやって来ました。それは、彼がそれほど真剣に救いを求めていたからです。皆さん、それが求道の第一歩です。このような求道心こそ、私たちが救われるために、また、救われてキリストをさらに深く知っていくために必要なことなのです。

 

Ⅱ.新しく生まれる(3-8)

 

それに対して、イエスは何と答えたでしょうか。3節をご覧ください。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

 

「まことに、まことに」という言葉は、原語では「アーメン、アーメン」です。ヨハネの福音書では、イエス様が大切なことを語られる時、このように「アーメン、アーメン」という言葉で語っておられます。それは、これからとても大切なことを告げますよ、というニュアンスです。その大切なこととはどんなことでしょうか?それは、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない、ということです。これはニコデモがどうしたら神の国を見ることができるのか、どうしたら永遠のいのちを得ることができるかと尋ねたことに対するイエスの答えです。これはどういう意味でしょうか。

 

これは、聖書で言う救いとはどのようなものであるかを教えています。ここに「新しく」と訳された言葉は、「上から」という意味があります。「上」とは神様ご自身のことを指しています。つまり、「人は、神様によって生まれなければ、神の国を見ることが出来ない」というのです。というのは、聖書で言う救いとは、単に良い人間になろうとすることとは違うからです。一般に良い人間になろうとすることは、人間の努力や教育によって進歩することを意味しますが、新しく生まれるというのは、神のいのちである聖霊を受け入れ、聖霊が自分の内に住んでくださることを意味しているからです。たとえば、猫や猿をどんなに教育し、良い服を着せたとしても、猫や猿が人間になることはできません。人間の子供になるには、人間のいのちを持たなければなりません。そのように、人が新しく生まれるためには、神のいのちである聖霊を持たなければならないのです。つまり、人は母の胎内で肉体のいのちを得ますが、神の聖霊を受け入れ、その聖霊が私たちの魂の中に入っていただくことによって、神の子どもとして新しく生まれることができるのです。

 

ウィリアム・ジェームズという心理学者は、「宗教体験の種々相(しゅじゅそう)」という本の中で、こんなことを言っています。「一度しか生まれたことのない人は二度死ぬ。しかし、二度生まれた人は一度しか死なない。」

少しわかりずい言葉ですが、この二度生まれるということは、普通の肉体の誕生と今ここで取り上げられている霊の誕生という二つの誕生のことを意味しています。つまり、普通の肉体の誕生しか経験していない人は、肉体の死とともに、永遠の死を経験しなければならないということです。それに対して、普通の肉体の誕生とともに、霊的誕生を経験している人、すなわち新生を体験した人は、肉体の死を経験するだけで、最後の永遠の死は経験しないということです。つまり、最後の神の裁きに会うかどうかは、新しく生まれているかどうか、霊的に誕生したかどうかで決まるというのです。

 

ところが、ニコデモは、そのことがよく理解できませんでした。それで4節でこのように言いました。「人は、老いていながら、どうやって生まれることができますか。もう一度、母の胎に入って生まれることなどできるでしょうか。」

彼はユダヤ教の教師でありながら、イエス様が言われたことを全然理解できませんでした。この言葉の中に彼のとまどいがよく表れているのではないでしょうか。そんなことを言ったって、もう一度母の胎に入って、生まれ直すなんてできないでしょう、と言っているのです。彼は「新しく生まれる」ということを耳にしたとき、赤ちゃんとして生まれてくるあの肉体の誕生のことしか考えられなかったのです。

 

しかし、イエスはあくまでも霊的誕生のことを語っておられました。それで5節と6節でこのように言われました。

「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。」

人はどのようにしたら新しく生まれることができるのでしょうか?イエスはここで、「水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。」と言われました。「水と御霊によって生まれる」とはどういう意味でしょうか?

 

これについては、大きく分けて三つの解釈がありますが、多くの註解者は、この水は水のバプテスマを指し、御霊は御霊のバプテスマを指していると考えています。すなわち、救い主イエスを信じ、水のバプテスマを受けることによって救われるというのです。しかし、聖書はそのように言っておりません。人はイエスを認め、信じることによって救われるのであって、バプテスマを受けなければ救われないとはどこにも書かれていないからです。

 

そこで、ある註解者は、この「水と御霊によって生まれなければ」というのは、「水すなわち御霊によって生まれなければ」という意味だと解釈しています。なぜなら、マタイの福音書3章11節に、「その方は聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられます。」とありますが、この「聖霊と火であなたがたにバプテスマを授けられる」というのは、「聖霊すなわち火のバプテスマ」という意味であるからです。ですからこの「水と御霊によって生まれなければ」という表現も、「水すなわち御霊によって生まれなければ」と理解すべきだというのです。すなわち、御霊は水のように洗い、私たちを救ってくださるということです。このように解釈する人たちは、それを裏付けるみことばとしてテトス3章5節を取り上げています。そこには、「神は、私たちが行った義のわざによってではなく、ご自分のあわれみによって、聖霊による再生と刷新の洗いをもって、私たちを救ってくださいました。」とあります。

 

しかし、もっと適切な解釈は、この「水」を「みことば」と解釈することです。なぜなら、エペソ5章26節を見ると、ここには「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、」とあるからです。「キリストがそうされたのは」の「そうされた」とは、キリストが十字架で死なれたことを指していますが、キリストが十字架で死んでくださったのはいったい何のためだったのでしょうか。それは、みことばにより、水の洗いをもって、私たちをきよめて聖なるものとするためでした。ここでは「みことば」が水の洗いのことを示しているのは明らかです。ですから、この「水と御霊によって生まれなければ」というのは、人は神のみことばを受け入れ、主イエスを罪からの救い主として信じるなら、神の御霊によって新しく生まれると解釈するのが一番適切ではないかと思います。

 

それにしても、いったいなぜ人は新しく生まれなければならないのでしょうか。なぜなら、生まれながらの人は、罪を持っているからです。これを原罪と言います。ですから、その罪を赦していただかなければ神の国に入れていただくことができないのです。そのためには新しく生まれなければなりません。イエス・キリストを信じて新しく生まれた人、つまり神のみことばを受け入れ、御霊によって新しく生まれた人だけが神に国に入ることができるのです。

 

このことをなかなか理解できず不思議に思っていたニコデモに対して、イエス様は一つの譬えで語られました。何ですか?「風」です。7節と8節をご覧ください。

「あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」

 

風は吹いていても、それがどこから来て、どこへ行くのかわかりません。ただ「ピュー」と風が吹いている音を聞いたり、「バタン、バタン」というトタン屋根が風に煽られている音を聞くことによって「あ、風が吹いているな」とわかるのです。また、部屋から外の街路樹を眺めたとき、枝が大きくなびいているのを見たり、雲や煙がたなびくのを見て、風が吹いているのがわかります。御霊によって新しく生まれるのも同じです。それは人の目で見ることはできませんが、御霊によって新しく生まれると、その人の人生がすっかり変わるので、だれの目にも明らかとなるのです。そして風は右から吹いてきたかと思ったら今度は左から吹いて来るというようにその動きが一定でないように、神の御霊も思いのままに吹くのです。そうです、それは決して私たち人間がコントロールできるものではなく、全く自由な神のご意志によってなされることなのです。私たちは、その御霊の働きを妨げではなりません。

 

するとニコデモはどのように答えたでしょうか。9節、ニコデモはこう言いました。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」

彼にはそのことがなかなか理解できませんでした。どうして理解できなかったのでしょうか?それは、彼は自分の理性と経験を頼りにしていたからです。つまり、自分の頭で理解できることと、自分が体験したことしか受け入れられなかったのです。

イスラエルの宗教指導者であった彼がこのように考えていたというのは不思議なことです。というのは、彼には神からの啓示である旧約聖書が与えられていたからです。旧約聖書をみれば、そこには超自然的なことがたくさん出てきます。たとえば、イスラエルがエジプトから出てくるとき神がエジプト中の初子という初子を皆滅ぼされたこととか、後ろからエジプト軍が追って来て逃げ場を失い絶対絶命のピンチに陥ったとき紅海が二つに分かれたとか、ユダヤ人が絶滅の危機に陥ったとき、神はエステルを用いてその絶滅の危機から救ってくださったとか、バビロンに70年間も捕らえられていたユダヤ人がペルシャの王によって解放されユダヤの地に帰還することができたとか、どれも神のご介入がなければ決して起こり得なかったことばかりです。それなのにニコデモが理解できなかったのは、彼が御霊に属していたのではなく、この世にぞしていたからです。コリント第一2章14節に次のようにあります。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。」

 

つまりニコデモはユダヤ教の宗教指導者ではありましたが、御霊に属することを受け入れなかったので、御霊のことがさっぱり理解できなかったのです。これは今日でもよく見られます。社会的にどんなに学力に優れていても、聖書が言っていることがどういうことなのかがさっぱりわからないというのと同じです。それは、自分の理性と経験だけを判断のよりどころとしているからです。でも、自分の理性がどれほど正しいでしょうか。自分の経験がどれほど確かだと言うのでしょうか。自分では何でも知っていると思っていても、実は本当に知らなければならないことさえ理解していないことが多いのです。そんな私たちの理性や経験によって霊のことを理解しようとしても理解できないのは当然のことです。御霊のことは御霊によって判断するものだからです。大切なのは、私たちが霊的には本当に無知であるということを認め、神の真理を知りたいという思いで、神に求めることです。そうすれば、知ることができます。求めなさい。そうすれば与えられるのです。

 

Ⅲ.永遠のいのちを持つために(11-15)

 

そんなニコデモに対して、イエスはどうしたら新しく生まれることができるのか、どうしたら永遠のいのちを持つことができるのかを説明されました。11節から15節までをご覧ください。

「まことに、まことに、あなたに言います。わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、あなたがたは信じません。それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

 

イエスは、ニコデモが霊的なことに鈍感であることに対してあきれながらも、忍耐をもって真理を説いてくださいました。それがこの11節以降にあることです。そして、ニコデモがよく知っている旧約聖書の出来事を引用して説明なさいました。14節です。

「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。」

 

これは民数記21章にある内容で、イスラエルの民が昔、経験したことです。イスラエルの民が、神の力強い御手によってエジプトから救い出され、約束の地カナンに向かって荒野を旅していた時、主は彼らが生きていくために必要なパンや水を何回もお与えになりました。それなのに彼らは神とモーセに対してつぶやきました。

「なぜ、あなたがたはわれわれをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。われわれはこのみじめな食べ物に飽き飽きしている。」(民数記21:5)

すると神は怒られて彼らに毒蛇を送り、それにかませたので、つぶやいた者たちはその毒蛇にかまれ、イスラエルのうちの多くの者が死んだのです。これは、神に反逆する者たちへの神の裁きでした。この苦しみの中からイスラエルの民は自分たちの罪を悔い改め、モーセにとりなしの祈りをするように願いました。それでモーセが祈ると、神は不思議なことを言われたのです。燃える蛇を作り、それを旗さおの上に付けよ、と言うのです。かまれた者はみな、それを仰ぎ見れば生きる・・と。モーセは主が仰せられたとおりに青銅の蛇を作り、それを旗さおの上につけました。そして、蛇にかまれた者が青銅の蛇を仰ぎ見ると生きたのです。

これは、どう考えても理屈に合わない出来事です。青銅の蛇を仰ぎ見ただけで、いのちが助かるというのは、普通だったら考えられません。しかし、理解できなくても、神様の言葉を信じてその通りにした人たちは救われました。

 

いったいこれはどういうことを意味していたのでしょうか。イエスは、この出来事を引用し、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。」と言われました。「それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」つまり、旗さおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見た者が救われたように、私たちの罪のために十字架に付けられて死なれたイエス・キリストを仰ぎ見る者は救われるということです。私たちは、最初の人アダムが罪に陥って以来、何千年という間、その罪のために死ななければならない運命にありました。それは、ちょうどイスラエルの民が荒野で神につぶやいて、毒蛇にかまれた時のようです。しかし、神はあの時モーセに命じて青銅の蛇を旗さおに上げたように、天から下りて来られた神の御子イエス・キリストを十字架につけてくださったので、このイエスを仰ぎ見る者は救われるようにしてくださったのです。あの青銅の蛇は、十字架につけられたイエス・キリストの姿であったのです。それは、人の子を信じる者がみな、永遠のいのちを持つためです。十字架のキリストを仰ぎ見る者、すなわち、イエス・キリストを自分の罪の救い主と信じる者は、だれであっても、罪から救われ、永遠のいのちが与えられ、神の国に入れていただくことができるのです。

 

このようなことを聞くと、そんな非科学的で迷信じみたことに惑わされるものかと言う人もいるでしょう。そんなことは、自分の理性が許さない、という人もおられるでしょう。事実、旗さおの上につけられた青銅の蛇を仰ぎ見る者は死ななくても済むんだと聞いた人々の中にも、その反応は必ずしも同じではなかったでしょう。中には、そんなことは自分の今までの長い経験の中で一度もなかったし、そんなばかげたことで人が救われるはずがないじゃないか、という人もいたでしょう。あるいは、そんな迷信じみたことをだれが信じるものかと拒絶した人もいたでしょう。そういう人はみな、どうなりましたか?そういう人はみな死んで行きました。

しかし、苦しみのあまり、わらをもすがるような思いで、天幕からはい出し、旗さおの見えるところまで来て、その上に付けられていた青銅の蛇を仰ぎ見た人は救われました。モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、人の子を信じる者がみな永遠のいのちを持つためです。

 

皆さんはどうですか。旗さおにつけられた青銅の蛇を仰ぎ見ていますか。十字架のイエスを仰ぎ見ているでしょうか。仰ぎ見ることが骨の折れることでしょうか。いいえ、簡単なことです。だれにでもできます。そして、信仰をもって仰ぎ見るなら、どんな人でも救われるのです。これが信仰です。この信仰によって、私たちは新しく生まれることができるのです。別に高価な薬を飲まなければ救われないとか、お百度参りをしなければならないと言っているのではありません。ただ旗さおに付けられた青銅の蛇を仰ぎ見るだけでいいのです。私たちが救われるのは、ただイエス・キリストを信じること、それ以外に道はありません。

 

ヨハネ19章39~41節をご覧ください。先ほど言及した箇所です。ニコデモはイエス様を信じて、新しく生まれ変わったでしょうか。

「以前、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬と沈香を混ぜ合わせたものを、百リトラほど持ってやって来た。彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻いた。イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。」

これはイエスが十字架で息を引き取られた直後のことです。以前、夜イエスのところに来たニコデモとは、この時のことを指しています。彼はイエスが十字架で息を引き取られた直後、十字架のもとに進み出て、イエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料と一緒に亜麻布で巻きました。これは午後3時頃の出来事です。彼は以前、夜イエスのところに行きましたが、この時は違いました。白昼公然とイエスのもとに進み出たのです。それは彼が十字架に付けられたイエスを仰ぎ見て救われたからです。彼は水と御霊によって新しく生まれたのです。

 

あなたはどうでしょうか。ニコデモのように罪から救われて、永遠のいのちを持っていますか。ここにニコデモのように神を見出し、永遠に生きる道を見つけた大学者たちの証しがあります。

天文学者ヨハネス・ケプラーは、星が一定の法則に従って動いていることを最初に発見した人です。彼の星の運動についての3つの法則は、宇宙旅行のための研究の基礎となったと言われています。その彼がこう言っています。

「この発見によって、父である神のお名前が少しでもあがめられるなら、私の名前は、永遠に忘れられてもよい」

なぜなら、彼は偉大な神の救い、永遠のいのちを得ることができたからです。またアイザック・ニュートンは、誰もが知っている偉大な科学者ですが、彼は、「私のすべての発見は、祈りの答えでした。」と言っています。

また世界的に有名な、ドイツの医師で、宣教師でもあったアルバート・シュバイッツァーは、ある日、ニコデモのように主イエスに出会い、永遠のいのちをいただき、限りない喜びに与りました。そして彼は思いました。あのアフリカには、どれほど多くの人が神の愛を知らずに死んで行くのだろう。それで彼はドイツでも有名な大学の教授職を退き、アフリカに生き、生涯を黒い大陸の星のように生きました。そのおかげで、今日アフリカでは、最も多くの人々が新しいいのちを得ています。

 

あなたもニコデモのように神を見出し、永遠のいのちをいただいてください。もう既にイエスを信じて、この永遠のいのちを受けておられる方もいると思いますが、まだ信じていない方のために、その方が心から信じて受け入れることができるために、今、祈りの時を持ちます。この祈りの終わりのところで、「アーメン」と言いますが、それは、「今、祈ったことはほんとうです」という意味です。あなたが、「アーメン」と心から言えたなら、あなたのすべての罪が赦され、あなたも永遠のいのちを持つことができます。ですから、私の後に続いて祈ってください。そして、「アーメン」と心から告白してください。

「主イエスさま。私はあなたを必要としています。あなたが、私の罪のために十字架で死なれたことを感謝します。私は、あなたを、私の罪からの救い主、人生の主としてお迎えいたします。私のすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださったことを感謝します。どうか私の心の王座に座して、私の人生を導いてください。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。」

どうでしょうか。あなたも心からイエス様をあなたの人生の主として受け入れることができたでしょうか。イザヤ書45章22節にはこうあります。

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」

私たちが救われる道はただ一つ、キリストを仰ぎ見ることです。キリストを仰ぎ見る者は、みな救われ、神の国に入れていただくことができるのです。あなたもキリストを信じ、その生涯、キリストを仰ぎ見続けてください。

士師記11章

士師記11章からを学びます。まず1節から11節までをご覧ください。

 

Ⅰ.第8番目の士師エフタ(1-11)

 

「さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子どもたちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の息子だから、私たちの父の家を継いではならない。」そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。エフタのもとには、ならず者が集まっていて、彼と一緒に出入りしていた。

それからしばらくして、アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきた。アンモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行き、エフタに言った。「来て、私たちの首領になってください。そしてアンモン人と戦いましょう。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。苦しみにあったからといって、今なぜ私のところにやって来るのか。」すると、ギルアデの長老たちはエフタに言った。「だからこそ、今、私たちはあなたのところに戻って来たのです。あなたは私たちと一緒に行き、アンモン人と戦って、私たちギルアデの住民すべてのかしらになってください。」

エフタはギルアデの長老たちに言った。「もしあなたがたが私を連れ戻してアンモン人と戦わせ、主が彼らを私に渡してくださったなら、私はあなたがたのかしらとなろう。」ギルアデの長老たちはエフタに言った。「主が私たちの間の証人となられます。私たちは必ずあなたの言われるとおりにします。」エフタがギルアデの長老たちと一緒に行き、民が彼を自分たちのかしらとし、首領としたとき、エフタは自分が言ったことをみな、ミツパで主の前に告げた。

 

ギデオンの子アビメレクの死後、イスラエルを救うために立ちあがったのは、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラでした。彼について聖書は多くを語っていませんが、彼は23年間イスラエルをさばきました。それは平凡な日々の積み重ねであったかもしれませんが、そうした平凡な中にも主の恵みがあったのです。

 

そして次に立ちあがったのがギルアデ人ヤイルでした。彼は非常に裕福で、権力がありましたが、何といっても彼がギルガルから出たということが、彼の特質すべきことでした。ギルアデはヨルダン川の東側の地にあり、早くに異教化していった地です。そんなギルアデから士師が出たということは、主はそのような人たちをも忘れていなかったことを示しています。イスラエルは彼によって22年間、平和な時代を過ごしました。

しかし、彼が死ぬと、イスラエルはめいめい主に背き、主の目の前に悪を行いました。それはこれまでのバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテの神々と、カナンの住民が拝んでいたほとんどすべての神々に仕えるという異常なほどの背きでした。

 

そんなイスラエルに主はあきれかえり、彼らが悔い改めて主に立ち返り、主に叫んでも、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない」(10:13)と言われたほどでした。しかし、彼らが真に悔い改めたとき、すなわち、彼らの中から異国の神々を取り除いて主に仕えたとき、主は彼らの苦しみを見るのが忍びなくなり、彼らを救われました。そのために用いられたのがギルアデ人「エフタ」です。彼は八番目の士師となります。

 

1節を見ると、彼の生い立ちについて記されてありますが、彼は遊女の子でした。父親のギルアデ゙には妻がおり、彼女は男の子たちを産んだので、その子どもたちが成長したとき、エフタを追い出したので、彼は兄弟たちのところから逃げてトブの地に住みました。彼の周りにはならず者が集まっていましたが、これが彼らに戦闘の経験を与えました。彼らは生活のために敵の領土に侵入し、食物や生活の必需品などを略奪していたからです。

 

人は、その人自身の生き方や生活によって評価されるべきであって、両親の地位や家系によって判断されるべきではありません。そういう意味で、エフタは不幸な取り扱いを受けましたが、主はそんなエフタをイスラエルの士師としてお立てくださいました。それは、その人の生き方はその人の家柄や両親の地位とは全く関係ないことを示すためでもあったのです。

 

さて、アンモン人がイスラエルに戦争をしかけてきたとき、ギルアデの長老たちはトブの地からエフタを連れ戻そうと出かけて行きました。彼らは、この戦いに勝利するためには、強力なリーダーが必要であると感じていたからです。

エフタは当初、その申し出に反発しました。「あなたがたは私を憎んで、父の家から追い出したではないか。それなのに、苦しみにあったからと言って、今なぜ私のところにやってくるのか。」と。しかし、彼はギルアデの長老たちのお詫びの言葉を聞いて怒りを鎮めました。そして、もし主が彼らを自分に渡してくれたのなら、自分がギルアデ人のかしらになることを条件に、アンモン人との戦いに出て行くことを了承しました。

 

もしエフタが命がけでアンモン人と戦い、ギルアデ゙人を救うことができたなら、彼がギルアデ人のかしらになることは当然のことです。なぜなら、彼は命をかけてたたかったのだからです。それは主イエスにおいても言えることです。主イエスは私たちのために命を捨ててくださいました。罪人の救い主となられたのです。であれば、このイエスによって救われた者が、この方を主(かしら)として受け入れるのは当然のことです。あなたは、あなたの救い主を主(かしら)として仰いでおられるでしょうか。

 

Ⅱ.アンモン人との戦い(12-28)

 

次に12節から28節までをご覧ください。

「エフタはアンモン人の王に使者たちを遣わして言った。「あなたは私とどういう関わりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」

すると、アンモン人の王はエフタの使者たちに答えた。「イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの私の土地を取ったからだ。今、これらの地を穏やかに返しなさい。」

エフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わして、こう言った。「エフタはこう言う。イスラエルはモアブの地も、アンモン人の地も取ってはいない。イスラエルはエジプトから上って来たとき、荒野を通って葦の海まで歩き、それからカデシュまで来た。そこでイスラエルはエドムの王に使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせてください』と。ところが、エドムの王は聞き入れなかった。同様にモアブの王にも使者たちを遣わしたが、彼も受け入れなかったので、イスラエルはカデシュにとどまった。それから荒野を行き、エドムの地とモアブの地を迂回し、モアブの地の東まで来て、アルノン川の対岸に宿営した。しかし、モアブの領土には入らなかった。アルノンはモアブの国境だったからだ。そこでイスラエルは、ヘシュボンの王で、アモリ人の王シホンに使者たちを遣わして言った。『どうか、あなたの国を通らせて、目的地に行かせてください』と。しかし、シホンはイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったばかりか、兵をみな集めてヤハツに陣を敷き、イスラエルと戦った。イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破った。そしてイスラエルは、その地方に住んでいたアモリ人の全地を占領した。こうしてイスラエルは、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領したのだ。今すでに、イスラエルの神、主が、ご自分の民イスラエルの前からアモリ人を追い払われたというのに、あなたはその地を取ろうとしている。あなたは、あなたの神ケモシュがあなたに占領させようとする地を占領しないのか。私たちは、私たちの神、主が、私たちの前から追い払ってくださる者の土地をみな占領するのだ。今、あなたはモアブの王ツィポルの子バラクよりもまさっているだろうか。彼はイスラエルと争ったり、戦ったりしたことがあったか。

イスラエルが、ヘシュボンとそれに属する村々、アロエルとそれに属する村々、アルノン川の川岸のすべての町に三百年間住んでいたのに、なぜあなたがたは、その間にそれを取り戻さなかったのか。私はあなたに罪を犯していないのに、あなたは私に戦いを挑んで、私に害を加えようとしている。審判者であられる主が、今日、イスラエル人とアンモン人の間をさばいてくださるように。」

しかし、アンモン人の王はエフタが送ったことばを聞き入れなかった。」

 

エフタはアンモン人の王に使者を遣わして、「あなたは私とどういうかかわりがあるのですか。私のところに攻めて来て、この国と戦おうとするとは。」と問いかけました。

するとアンモン人の王はエフタの使者たちに答えます。イスラエルがエジプトから上って来たとき、アルノン川からヤボク川、それにヨルダン川に至るまでの土地を取ったからだと。その地を今すぐ、穏やかに返しなさい・・と。巻末の地図をご覧いただくとわかりますが、アルノン川とは死海に向かって流れている川で、ヤボク川とはその北にありヨルダン川に流れている川です。その間に、ルベン族とガド族の相続地がありますが、イスラエルはその土地を取ったからだ、と訴えているのです。

 

そこでエフタは再びアンモン人の王に使者たちを遣わし、歴史を回顧して、モーセに率いられてイスラエルが戦ったのは、アモリ人の二人の王シホンとオグであって、アンモン人やモアブ人、エドム人ではなかったと告げています。彼らがイスラエルを信用せず、その領土を通らせなかったので、仕方なく戦わざるを得ませんでしたが、イスラエルの神、主が、シホンとその兵全員をイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは彼らを打ち破ることができたため、その地方に住んでいたアモリ人の全域、すなわち、アルノン川からヤボク川まで、および荒野からヨルダン川までのアモリ人の全領土を占領するようになったのです。だから、それはアンモン人とは全く関係のない話なのです。

 

このようにしてみると、エフタはイスラエルの民の歴史に精通していたことがわかります。つまり、モーセの律法をよく学んでいたということです。神は、幼子のような素直な信仰を喜ばれますが、決して、無知であることを望んではおられません。ペテロ第一3章15節には、「むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい。」とあります。私たちも、信仰に関する質問を受けた時、自らの信じる内容を順序立てて説明できるようにしておきたいものです。

 

エフタの説明はこれだけで終わりません。彼は、イスラエルの神、主がアモリ人の王シホンとその勢力を追い払われたのであって、アンモン人がその地を奪い返そうとするのは間違いであること、それに25節を見ると、モアブの王ツィポルの子バラクでさえ、イスラエルと戦うことを断念したというのに、それよりも劣るアンモン人が戦いを挑んでくるなんて考えられない。そんな無茶なことはすべきではない、と言いました。

 

さらに、26節と27節には、イスラエルがカナンに定住して以来、ヨルダンの東側の地に三百年も住んでいたのだから、もしアンモン人に不満があったのなら、なぜもっと早く申し立てて、土地を取り戻さなかったのか、今になって無理難題を投げかけてくるのはおかしいではないか、と言うのです。

 

こうしたエフタの順序立てた説明を聞いても、アンモン人の王は聞き入れませんでした。どうしてでしょうか。それは、主なる神への挑戦であったからです。心を頑なにし、神の警告や説得に耳を傾けようとしない人は、愚か者です。このような人は、必ず自らが下す愚かな判断の刈り取りをするようになります。あなたは、どうでしょうか。心を柔らかくして、神のことばを聞いているでしょうか。

 

Ⅲ.エフタの誓願(29-40)

 

次に、29節から40節までをご覧ください。

「主の霊がエフタの上に下ったとき、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行った。

エフタは主に誓願を立てて言った。「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」こうして、エフタはアンモン人のところに進んで行き、彼らと戦った。主は彼らをエフタの手に渡された。彼はアロエルからミニテに至るまでの二十の町、またアベル・ケラミムに至るまでを非常に激しく討ったので、アンモン人はイスラエル人に屈服した。

エフタがミツパの自分の家に帰ると、なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来ているではないか。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もなかった。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて言った。「ああ、私の娘よ、おまえは本当に私を打ちのめしてしまった。おまえは私を苦しめる者となった。私は主に向かって口を開いたのだから、もう取り消すことはできないのだ。」

すると、娘は父に言った。「お父様、あなたは主に対して口を開かれたのです。口に出されたとおりのことを私にしてください。主があなたのために、あなたの敵アンモン人に復讐なさったのですから。」娘は父に言った。「このように私にさせてください。私に二か月の猶予を下さい。私は山々をさまよい歩き、自分が処女であることを友だちと泣き悲しみたいのです。」

エフタは、「行きなさい」と言って、娘を二か月の間、出してやったので、彼女は友だちと一緒に行き、山々の上で自分が処女であることを泣き悲しんだ。

二か月が終わって、娘は父のところに帰って来たので、父は誓った誓願どおりに彼女に行った。彼女はついに男を知らなかった。イスラエルではしきたりができて、年ごとに四日間、イスラエルの娘たちは出て行って、ギルアデ人エフタの娘のために嘆きの歌を歌うのであった。」

 

 

主の霊がエフタに下った時、彼はギルアデとマナセを通り、ギルアデのミツパを経て、そしてギルアデのミツパからアンモン人のところへ進んで行きました。その時彼は誓願立てて言いました。誓願とは何でしょうか。誓願とは、神に誓いをたて、事の成就を願うことです。30節、31節をご覧ください。

「もしあなたが確かにアンモン人を私の手に与えてくださるなら、私がアンモン人のところから無事に帰って来たとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその人を全焼のささげ物として献げます。」

すると主はエフタの願いどおり彼らをエフタの手に渡されました。問題は、エフタがミツパの自分の家に帰った時です。なんと、自分の娘がタンバリンを鳴らし、踊りながら迎えに出て来たのです。彼女はひとり子で、エフタには彼女のほかに、息子も娘もいませんでした。その彼女が家から最初に出てきたのです。

エフタは唖然としました。なぜなら、彼は、自分がアンモン人のところから無事に帰ることができたのなら、自分の家の戸口から自分を迎えに出てくるものを、全焼のいけにえとして主にささげると誓ったからです。娘をささげるということは、娘が子を産まなくなるということであり、それは自分の名が絶えることを意味していました。これは私たちが想像する以上の呪いでした。エフタは彼女を見るや、自分の衣を引き裂いて、嘆きました。

 

いったいなぜ彼はそのような誓願をしてしまったのでしょうか。おそらく、自分が家に帰ったとき、自分の家の戸口から迎えに出てくるのは自分のしもべたちの内のだれかだと思ったのでしょう。まさか娘が出てくるとは思わなかったのです。それに、アンモン人との戦いは激しさを増し、何としても勝利を得たいという気持ちが、性急な誓いという形となって出てきたのでしょう。

 

こうした性急な誓いは後悔をもたらします。また、神へ誓いは、神に何かをしていただくためではなく、すでに受けている恵みに対する応答としてなされるべきです。ですから、エフタの請願は、信仰の表れというよりは、むしろ彼が抱いていた不安の表れにすぎなかったのです。

 

このように軽々しく誓うことが私たちにもあります。それが自分の力ではどうすることもできないと思うような困難に直面したとき、「神様助けてください。もし神様がこの状況を打開してくださるのなら、私の・・・をささげます」というようなことを言ってしまう傾向があるのです。イエス様は「誓ってはいけません。」と言われました。誓ったのなら、それを最後まで果たさなければなりません。果たすことができないのに誓うということは、神との契約を破ることであり、神の呪いを招くことになってしまいます。エフタは自分の直面している困難な状況を、誓願を通して乗り越えようとしましたが、軽々しく誓うべきではなかったのです。

 

ところで、旧約聖書の律法によれば、この時エフタは娘をささげなくても良かったはずです。というのは、申命記12章31節には、「あなたの神、主に対して彼らのように礼拝してはならない。彼らは主が憎むあらゆる忌み嫌うべきことをその神々に行い、自分たちの息子、娘を自分たちの神々のために火で焼くことさえしたのである。」とあるからです。

 

ではどうすれば良かったのでしょうか。そこで律法では、もし人間そのものをささげたいのであれば、その評価額として金銭を神殿にささげるようにと定められていたのです。それはレビ記27章1~8節にはこのようにあります。

「主はモーセにこう告げられた。 「イスラエルの子らに告げよ。人が人間の評価額にしたがって主に特別な誓願を立てるときには、その評価額を次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男子なら、その評価額は聖所のシェケルで銀五十シェケル。女子なら、その評価額は三十シェケル。 五歳から二十歳までなら、その男子の評価額は二十シェケル、女子は十シェケル。一か月から五歳までなら、男子の評価額は銀五シェケル、女子の評価額は銀三シェケル。六十歳以上なら、男子の評価額は十五シェケル、女子は十シェケル。その人が落ちぶれていて評価額を払えないなら、その人を祭司の前に立たせ、祭司が彼の評価をする。祭司は誓願をする者の能力に応じて彼を評価する。」

 

それなのに、エフタが娘をささげたのはどうしてなのでしょうか。それは、彼が無知であったか、頑なであったかのどちらかです。彼は戦いについて、イスラエルの神が戦ってくださることをよく知っていました。またイスラエルの歴史もよく知っていました。彼は神への信仰と、神のことばである律法をきちんと持っていました。それなのに彼が娘を神にささげたのは、聖書の知識が足りなかったからか、彼の心が頑なだったからかのどちらかであった考えられます。

 

結局彼女はどうなったでしょうか。彼女は二か月の猶予をもらい、自分の友達と一緒に山へ行き、自分が処女であることを嘆き悲しみました。そして、二か月が終わって、父のところに帰ったとき、エフタは誓った請願のとおりに彼女に行いました。

 

ここにエフタは誓願のとおりに娘に行ったとありますが、誓願のとおりとはどういうことでしょう?二つの解釈があります。一つは、彼女は文字通り全焼のいけにえとして殺されたということ、そしてもう一つは、彼女は終生幕屋で仕えるために主に捧げられたということです。どちらが正しいかはわかりません。しかし、37節以降の娘の言動を見ると、処女であることを悲しんだということが強調されてあるので、終生神の幕屋で仕えるために主にささげられたと考えられます。それにこれが「主の霊がエフタの上に降ったとき」(29)に立てられた誓願であることや、モーセの律法自体が、人間のいけにえを禁じているということから考えても、主がそのようないけにえを喜ばれるはずがないからです。

しかし、この士師時代の混迷していた時代のことを考えると、やはり文字通り全焼のいけにえとしてささげられたと考えるのが自然だと思います。それは神が喜ばれることではありませんでしたが、エフタは神に誓ったとおりに彼女を全焼のいけにえとしてささげたのです。

 

しかし、いずれにせよ、エフタは勢いに任せて安易に神に誓ったことは確かです。その結果、彼は後悔することになりました。私たちは、自ら発する言葉に注意し、いつも主の言葉に従って生きる者とさせていただきましょう。

ヨハネの福音書2章12~25節「主に信頼される者に」

きょうは、ヨハネの福音書2章12節から25節までにある「宮きよめ」の出来事から「主に信頼されるに」というタイトルでお話しします。

 

皆さんは、イエス様に対してどのようなイメージを持っておられるでしょうか。子どもたちを抱いて優しくお話しされる姿ですか。それとも病人の手を取っていやされるあわれみ深いイエス様のお姿でしょうか。あるいは、弟子たちとガリラヤ湖を舟で渡られたときに嵐を静めたような、力強いお姿ですか。

聖書を見るとイエス様のいろいろなお姿が出てきますが、きょうの箇所には普通とはちょっと違うイエス様の姿が描かれています。それは憤られるイエス様です。勿論、その怒りや憤りは私たちのように利己的な動機によるものとは違い、天地万物を造られた創造主としての、何が正しくて、何が間違っているのかを示す、正しい憤り、怒りです。

 

きょうは、この箇所からイエス様に喜ばれる者とはどのような者かについて学びたいと思います。

 

 

Ⅰ.神の家を商売の家にしてはならない(12-17)

 

まず12節から17節までをご覧ください。

「その後イエスは、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではなかったが、そこに滞在された。

さて、ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中で、牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを見て、

細縄でむちを作って、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒し、鳩を売っている者たちに言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。」

 

「その後」とは、イエス様がガリラヤのカナでご自分の栄光を現された後で、ということです。イエス様は母マリヤ、そしてイエス様の弟子たちはともに婚礼に招かれましたが、婚礼の宴会でぶどう酒がなくなったときユダヤ人のきよめのしきたりによってそこに置いてあった水がめに水を満たし、それをぶどう酒に変えられました。それがイエス様の最初のしるしでした。「その後」のことす。

その後イエス様は、母と弟たち、そして弟子たちとともにカペナウムに下って行き、長い日数ではありませんでしたが、そこに滞在されました。

 

そして、ユダヤ人の過ぎ越しの祭りが近づいたので、イエス様はエルサレムに上られました。イエス様の公の生涯、公生涯においては、過越の祭りが4回ありましたが、13節の過越しの祭りはその最初のものです。イエス様の公生涯を3年半と計算する理由は、その間に4回の過越しの祭りがあったからです。 イエス様は、最初の過越の祭り約半年前にバプテスマを受けておられます。

 

「過越の祭り」とは、かつてイスラエルがエジプトの奴隷として捕らえられていたとき、神はモーセを通してそこから解放してくださいましたが、そのことをお祝いする祭りです。そのとき、神はモーセを通して「わたしの民を行かせなさい」とエジプトの王パロに言いましたが、パロは頑なでなかなか行かせなかったので、エジプトに十の災いを送られました。その最後の災いは、エジプト中の初子という初子を皆滅ぼすというものでした。ただ、神が命じるとおりに羊の血を取りそれを家の門柱とかもいに塗った家だけは、災いを通り越すというのです。

それでイスラエル人はみな神が命じられたとおりに羊をほふって血を取り、その血を自分たちの家の門柱とかもいに塗ったので神のさばきが通り過ぎていきました。しかし、エジプトの王とその民はそれを拒んだので神のさばきが彼らに臨み、エジプト中の初子という初子は人から家畜に至るまですべて死んでしまいました。それでイスラエルの民は長い間、実に430年間もエジプトの奴隷として捕らえられていましたが、そこから奇跡的に解放されたのです。それはまさに一方的な神の御業によるものでした。それで神はこのことを忘れないようにと、これを過越しの祭りとして行うように命じられたのです。

これはユダヤ人にとって最大の祭りでした。モーセの律法によると、巡礼祭と呼ばれる祭り、つまりエルサレムに上って祝う祭りが三つありましたが、過越の祭りは、その最初のものでした。そこには離散したユダヤ人たちが、何万人、何十万人と集まっていたのです。

 

その過越の祭りが近づいたとき、イエスがエルサレムの宮の中へ入って行くと、そこに牛や羊や鳩を売っている者たちと、両替人が座っているのを見て、激怒されました。そして、細縄でむちを作り、羊も牛もみな宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒したのです。いったいなぜこんなことをしたのでしょうか。

 

そこにいた牛や羊や鳩は、犠牲として神にささげられる動物です。モーセの律法の規定によると、それらの動物は、傷もしみもないものでなければなれませんでした。自分で犠牲の動物を持って来ても良かったのですが、それは祭司によって吟味されなければならず、外部から持ち込まれた動物が検査に合格することはありませんでした。結局、巡礼者たちは、検査で「適格」の印のついた動物を、高い値段で買うしかなかったのです。

 

また、すべての男子が半シェケルの神殿税を治めることになっていましたが、ローマの貨幣はカイザルの肖像が刻まれていたため使用することができませんでした。そのため、人々は高い手数料を払って、ユダヤの貨幣に両替していたのです。

 

そうした腐敗した神殿の様子を目の当たりにして、主イエスは激怒されました。そして、商売人や両替商たちを神殿から追い出されたのです。しかも、細なわでむちを作り、商売用の台を倒して、それを実行されました。

 

それはイエスが神殿の所有者であること、つまり、ご自身がメシヤであることを主張するためでした。16節を見てください。イエスは、羊や牛を宮から追い出し、両替人の金を散らして、その台を倒すと、鳩を売っている者たちにこう言われました。

「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」

 

どういうことでしょうか。神の家であるはずのエルサレムの神殿が商売の家となっている。そういうことがあってはならない、というのです。神のささげる動物を売る人たちや両替人たちが、そこで大儲けしていました。そしてその利益の一部がその神殿の業務を司っていた大祭司や宗教指導者たちのところに流れていました。そういうことがあってはならない、というのです。なぜなら、ここは「わたしの父の家」だからです。父の家であるということは、子であるイエスの家でもあります。そうです、この神の家であなたがたは何をしているのか、というのです。イエス様はそれをご自分の家であると言われたのです。つまり、イエス様はご自分がメシヤであることを示されたのです。

 

皆さん、神の家は本来何をするところなのでしょうか。そうです、神の家は本来神を礼拝するところです。心から神に礼拝がささげられるところであるはずなのです。それなのに、その大切なことをおろそかにされているとしたら、それは本末転倒です。神の家の主人公は神であり、また、キリストであるはずなのに、いつしかその神とキリストがどこかに追いやられてしまい、形式的な活動が繰り返されているだけだとしたら、それはもはや神の家とは言えないのです。彼らは形式的なささげものをすることで、神を礼拝しているつもりでした。決められた儀式さえ行っていれば、神様に喜ばれるはずだと思っていました。その結果、こうしたことが平気で行われていたのです。また、それを見ても誰も何とも思わなくなっていました。霊的に鈍感になっていたのです。

 

こうしたことは、私たちにもあるのではないでしょうか。ただ礼拝に出席していれば宗教的な務めを果たしていると思ったり、与えられた奉仕を行っていれば神に喜ばれるものと思っていることがあります。勿論、このようなことがどうでもいいというのではありませんが、そこに肝心の神が、キリストがどこかへ追いやられているとしたら、何の意味もないのです。

 

Ⅰサムエル記15章22節にはこうあります。

「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。」

また、同じⅠサムエル記16章7節には、「人はうわべを見るが、主は心を見る。」とあります。

 

パウロは、ローマ人への手紙の中でこのように勧めています。

「ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたにお勧めします。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」(ローマ12:1)

あなたがたのからだを、あなたがた自身を、神に喜ばれる、聖い生きた供え物としてささげること、これこそ神が喜ばれる礼拝であって、それ以外のことが、そのこと以上に大きくならないように絶えず吟味しなければなりません。

 

17節をご覧ください。ここには、「弟子たちは、「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」と書いてあるのを思い起こした。」とあります。弟子たちは、イエス様のあまりの激しい憤りに、旧約聖書の言葉を思い出しました。それは「あなたの家を思う熱心が私を食い尽くす」という言葉です。これは詩篇69篇9節の言葉ですが、リビングバイブルでは、「神の家を思う熱心が、わたしを焼き尽くす」と訳されています。イエス様はご自分を食い尽くすほどに、焼き尽くすほどに、神の家を思うことに命をかけておられたのです。

あなたはどうですか。イエス様のように神の家を思う熱心で焼き尽くされるほど、神の家を、神ご自身を求めておられるでしょうか。

 

ダビデは、敵にいのちを狙われる困難な状況の中で、このように告白しました。

「一つのことを私は主に願った。それを私は求めている。私のいのちの日の限り主の家に住むことを。主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすために。」(詩篇27:4)

あなたが一つのことを主に願うとしたらいったい何を願うでしょうか?ダビデは、主の家に住むことを願いました。そこで主の麗しさに目を注ぎその宮で思いを巡らすためです。それこそがすべての問題の根本的な解決だと知っていたからです。

 

私たちにはたくさんの願いがあります。しかしその中で、何を第一に願うかによって、私たちの生き方が決まってきます。確かに日ごとにたくさんの必要があります。しかし、その中にあっても主の家を熱心に思い、主の家に住むことを第一に求め、主に喜ばれる礼拝をささげる者でありたいと願います。

 

Ⅱ.本当の礼拝のために(18-22)

 

では、本当の礼拝をささげるためにはどうしたらいいのでしょうか?18節をご覧ください。

「すると、ユダヤ人たちがイエスに対して言った。「こんなことをするからには、どんなしるしを見せてくれるのか。」

神殿をビジネスの場としていた大祭司にとって、イエスの行為は到底容認できるものではありませんでした。そこで彼らは、「あなたがそのようなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれるのですか」とイエスに問いました。このしるしとは、メシヤとしてのしるしです。前にお話ししたように、イエスが宮きよめをされたのは、ご自身がメシヤであることを宣言するためでした。そのメシヤのしるしを求めたのです。パウロは、「ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシャ人は知恵を追及します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。」(Ⅰコリント1:22-23)と言っていますが、しるしを求めるのがユダヤ人の特徴なのです。

 

これに対してイエスはこう言われました。19節です。

「イエスは彼らに答えられた。「この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれをよみがえらせる。」

どういうことでしょうか?これは復活の預言です。このあたりから、イエス様とユダヤ人の間に食い違いが生じてきます。彼らは、イエス様がご自分のからだについて言われたことを理解することができず、そこに建っていた神殿のことだと思い込み、こう言いました。20節です。

「この神殿は建てるのに四十六年かかった。あなたはそれを三日でよみがえらせるのか。」

この神殿の改修工事はヘロデ大王によって始められ、その工事が46年目に入っていました。1882年にスペインのバルセロナに建築中のサグラダ・ファミリアは、着工から144年後の2026年に完成するということで話題になっていますが、このヘロデの神殿も着工から46年経ってもまだ完成していないという建物でした。エルサレムが滅びたのは紀元70年ですが、改修工事はその6年前の紀元64年まで続きました。その神殿を三日で建てるというのか、と言ったのです。

 

けれどもイエスが言われた神殿とはヘロデが建てた神殿のことではなく、ご自分のからだのことを指して言われたのでした。つまり、イエスは十字架にかけられて死なれますが、三日目によみがえられるということだったのです。

 

弟子たちも、この時点ではイエスが何を言っておられるのかさっぱりわかりませんでした。ですから、ヨハネは21、22節で開設の文章を入れて、説明を加えています。「しかし、イエスはご自分のからだという神殿について語られたのであった。それで、イエスが死人の中からよみがえられたとき、弟子たちは、イエスがこのように言われたことを思い起こして、聖書とイエスが言われたことばを信じた。」

イエスはすでにこの時点で、十字架と復活の預言をしておられたのですが、彼らには理解することができませんでした。

 

イエスの思いと、宗教指導者たちの思いは遠くかけ離れていました。また弟子たちも、イエスの心を理解することができませんでした。私たちはどうでしょうか。私たちの信仰は、イエスの思いから遠く離れているということはないでしょうか。イエス様は確かに壊れた神殿を三日でお建てになりました。そして、イエス様は今も生きておられます。私たちもその生きておられるイエスに呼びかけ、宮きよめをしていただこうではありませんか。

 

しかし、このことと宮きよめとは、どのような関係があるのでしょうか。それは、イエス様が宮きよめをなさった本当の目的がここにあったということです。つまり、イエス様が宮きよめをなさったのは、ただ単に神の家を商売の家としてはならないということではなく、神殿の礼拝に関わる律法の規定を廃棄してそれに代わる新しい礼拝の秩序を確立するためだったということです。つまり、あのサマリヤの女に対して、「しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時がきます。」(ヨハネ4:23)と言われたように、どのようにすれば霊とまことによる礼拝をささげることができるのかということを教えるためだったのです。そしてそれは神殿で動物のいけにえや献金をささげるといった形式的なことによってではなく、それはイエス・キリストが十字架上で死なれ、三日目によみがえられることによってもたらされるものなのです。

ですから、私たちは旧約時代のような動物の犠牲をささげることによってではなく、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる礼拝、本当の礼拝をささげることができるのです。

 

22節をご覧ください。ここには、弟子たちが「聖書とイエスが言われたことばを信じた。」とあります。ガリラヤのカナでイエス様が水をぶどう酒に変えた時は、「それで、弟子たちはイエスを信じた」ありました。弟子たちは既に信じていたんじゃないのですか?それなのに、「聖書とイエスのことばを信じた」というのはおかしいではないでしょうか。

この「聖書」とは、旧約聖書のことです。つまり、旧約聖書に書かれてある預言が成就したことを知ったということです。詩篇16篇10節には、「あなたは、私のたましいをよみに捨ておかず、あなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。」とありますが、その預言が成就したことに気付いたのです。また、イエスが言われたことばとは、新約聖書のことと理解して良いでしょう。この時点ではまだ新約聖書は完成していませんでしたが、弟子たちは旧約聖書に書いてある預言が、イエス・キリストの十字架と復活によって成就したことを知って、イエスこそ救い主であると信じたということなのです。

 

皆さんは今、どのように礼拝をささげておられるでしょうか。あなたを霊とまことによる真の礼拝に導いてくださる方は、あなたのために十字架で死なれ、三日目によみがえられた救い主イエス・キリストを通してなのです。このイエスを通して、私たちは心からの礼拝をささげていきましょう。あなたの思いとイエス様の思いが離れることがありませんように。いつもイエス様と共に歩み、イエス様に喜ばれる者となりましょう。それがイエスの心と一つにさせていただく鍵なのです。

 

Ⅲ.主に信頼される者に(23-25)

 

ところで、この宮きよめの話はこれで終わりではありません。その結果について聖書は興味深いことを記しています。23節から25節までをご覧ください。

「過越の祭りの祝いの間、イエスがエルサレムにおられたとき、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じた。

しかし、イエスご自身は、彼らに自分をお任せにならなかった。すべての人を知っていたので、人についてだれの証言も必要とされなかったからである。イエスは、人のうちに何があるかを知っておられたのである。」

 

イエス様が過越しの祭りの間、多くの人々がイエスの行われたしるしを見て、その名を信じましたが、イエス様ご自身は、彼らに自分をお任せになりませんでした。この「お任せになる」と訳された言葉は、その前の節の「信じた」と訳されている言葉と同じ言葉です。つまり、「信じなかった」ということです。ですから、ここでは、確かに多くの人々がイエス様の行われたしるしを見て、イエス様を信じましたが、その一方で、イエス様はどうだったかというと、そうした彼らを信頼されなかったというのです。どうしてでしょうか。

 

その後のところに理由が記されてあります。それは、イエスがすべての人を知っておられたからです。それどころか、人の内にあるものを知っておられました。人が心の中でどんなことを考えているかを知っておられました。それゆえ、イエスは、その人が善人であるか悪人であるかを他人から教えてもらう必要はなかったのです。へブル人への手紙4章12節には、「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。」とあります。この「神のことば」をイエスに置か消えてみると、イエスがどのような方であるかがわかります。イエスは、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心の思いやはかりごとを見分けることがおできになるのです。

 

この方の御前に、隠しおおせるものはありません。人はうわべを見ますが、主は心を見られるのです。つまりイエスは人間ではなく、全地全能の神であられるのです。確かに彼らはイエス様の奇跡を見て信じましたが、その信仰はまだ本物ではありませんでした。それはちょうど種まきのたとえの中で、種を蒔いた人の種が四種類の違ったところに落ちたようにです。それは道ばたであり、岩地であり、いばらであり、良い地です。

道ばたに落ちた種は、すぐに悪魔が来てその人の心に蒔かれた種を奪って行きました。岩地に落ちた種は、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れましたが、みことばのための困難や迫害に会うと、すぐに躓いてしまいました。いばらの中に蒔かれた種は、みことば聞いて信じ、順調に成長しましたが、この世の心遣いや富の惑わしがみことばをふさいでしまうので、実を結ぶことができませんでした。しかし、良い地に落ちた種は、三十倍、六十倍、百倍の実を結びました。

 

これは、みことばの種が蒔かれるとき、四種類の人がいるということではありません。同じ人でも、ある時には、道ばたであったり、岩地であったり、いはらの中であったり、また良い地であったりすることがあるということです。しかし、そうした中にあっても、キリストのことばにとどまり、キリストとの交わりを持ち続けていくこ人は、多くの実を結ぶことができるようになります。それが主の弟子となるということです。

 

確かに、彼らはイエスを信じました。しかしその信仰というのは、まだ困難や迫害があると後戻りするような信仰だったのです。そのような人を信頼することができるでしょうか。私たちも、いざというとき、退いてしまうような友人がいるとしたら、そのような人に身を任せることはできないでしょう。それと同じです。しるしを見て信じることが悪いのではありません。病気が癒されたり、困難な問題が解決したという体験はすばらしいことです。しかし状況が悪くなると手のひらを返したかのように信仰から離れてしまうというのでは、ジェットコースターに乗っているかのように安定感がありません。そのような人に身を任せることはできません。

 

キリストとの出会いは大切です。けれども、その後ずっと、そのキリストに継続して従い続けることは、それと同じくらいに、否、ある面でそれにも増して大切なのです。私たちの信仰は信じて終わりというのではなく、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ者になるということ、つまり主の弟子になることが求められているのです。

 

いったいどうしたらそのような者になることができるのでしょうか。イエス様はご自分を信じたユダヤ人たちに、次のように言われました。

「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。」(ヨハネ8:31)

この言葉からわかることは、私たちがキリストの弟子になるためには、キリストを信じることから始まるのですが、それだけで終わらず、主のみことばにとどまり、主に堅く結びつき、主との交わりの中に生きることが大切です。

 

私たちもキリストのことばにとどまり、キリストとの交わりの中に生きることによってキリストの弟子とさせていただきましょう。そのような者こそ主がご自分をお任せになる人なのです。少なくても自分に関しては、全身全霊をもって主イエスに従う決心をしようではありませんか。

ヨハネの福音書2章1~11節「最初のしるし」

きょうは、ヨハネの福音書2章1節から11節にあるカナの婚礼の出来事から、キリストの最初のしるしを学びたいと思います。11節に、「イエスはこれを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちも信じた。」とあります。これは最初のしるしでした。しるしとは何でしょうか。下の欄外の説明に、「証拠としての奇跡」とあります。ですから、これはキリストがこんなすごいことができるんだぞということを誇示するためではなく、キリストが神の子であるという証拠としての奇跡だったのです。ヨハネの福音書にはこの「しるし」が七つ記されています。そしてこのカナの婚礼の奇跡は、その最初のしるしでした。どのような点でこれがしるしだったのでしょうか。

きょうは、この最初のしるしからキリストがどのような方であるのかを、ご一緒に学びたいと思います。

 

Ⅰ.ぶどう酒がありません(1-3)

 

まず1節か3節までをご覧ください。

「それから三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があり、そこにイエスの母がいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれていた。ぶどう酒がなくなると、母はイエスに向かって「ぶどう酒がありません」と言った。」

 

「それから三日目に」とは、イエスがナタナエルとお会いした時から三日目にということです。ガリラヤのカナで婚礼がありました。ガリラヤのカナは、イエス様が育ったナザレという町から約15キロメートル離れた所にありました。そこで婚礼が行われたのです。その婚礼にイエスの母マリヤとイエス、そして弟子たちが招かれていました。誰の結婚式だったのかはわかりません。もしかすると新郎新婦のどちらかが、イエスの母マリヤと親戚だったのかもしれません。というのは、結婚の宴会の席でぶどう酒がなくなったとき、イエスの母マリヤが気を遣っているからです。一般の招待客なら接待に気を遣うということはないでしょう。そのように接待に気を遣っていたということは、彼女がもてなしをする側にいたということ、つまり、新郎新婦ととても近い関係であったと考えられます。ですからイエス様も招かれていたのでしょう。そして、弟子たちも招かれていました。

 

さて、このすばらしい結婚式で一つのトラブルが起こりました。ぶどう酒がなくなってしまったのです。ユダヤの結婚式では、ぶどう酒がなくなるということは絶対にあってはならないことでした。なぜなら、それは祝いの象徴、喜びの象徴であったからです。

ユダヤでは、結婚のお祝いが一週間続きました。親戚、友人、そのまた友人と、とにかく大勢の人を招いてみんなでお祝いしたのです。最近は、婚姻届けを提出して終わりケースも少なくありませんが、当時のユダヤではそういうことはありませんでした。みんなを招いてお祝いしたのです。ですから、ぶどう酒も相当量用意しなければなりませんでした。結婚式においてぶどう酒がないということは考えられないことだったのです。「ぶどう酒がなければ喜びもない」ということわざがあったほどです。ぶどう酒はそれほど大切なものでした。そのぶどう酒がなくなってしまったのです。

 

すると、母マリヤはどうしたでしょうか。彼女はイエスのところに行き、こう言いました。「ぶどう酒がありません。」どういうことでしょうか?どうして彼女はイエス様の所へ行き、このように伝えたのでしょうか?他に方法がなかったのでしょうか。たとえば、他の人のところに行ってぶどう酒を借りてくるとか、急いで町へ行って買ってくるとか考えられたはずです。それなのに彼女はまずイエスのところへ行き、「ぶどう酒がなくなりました」と言いました。ただその状態をそのまま報告したのです。

 

ここにはマリヤの夫ヨセフは全く出てきておりません。おそらくヨセフは若くして死んでいたのでしょう。ですから、マリヤにとって頼りになったのは長男であったイエス様だったのです。彼女は、困った時はいつでもイエス様に相談し、頼っていました。

しかし、それはイエス様が長男であったからというだけでなく、イエス様がどのような方であるかを、彼女はよく知っていたからです。すなわち、この方はいと高き神の子であるということです(ルカ1:32)。マリヤはそのことを心に留めていました。そして、イエス様と共に過ごす中で、確かにそうだという確信を持っていました。ですからこれをイエス様のところに持って行けば、イエス様が何とかしてくださると信じていたのです。それがこの「ぶどう酒がありません」という彼女の言葉だったのです。

 

このことはとても大切なことです。私たちの生活の中にも、時としてぶどう酒がなくなるということが起こります。そのような時、自分でどうしよう、こうしようと考えるのではなく、それをまずイエス様のところへ持って行き、そのまま申し上げればいいのです。しかし、それをイエス様のところに持っていくよりも、自分であれやこれやと考えてしまうことが多いのではないでしょうか。

 

先月末に起こった台風24号は、ものすごい強風で甚大な被害をもたらしましたが、我が家の物置も風にあおられて倒れてしまいました。ただ倒れただけならよかったのですが隣の家の方に倒れてしまったので、駐車場においてあった隣の車に傷ついてしまいました。

翌朝早く隣の奥さんが来られたので、「えっ」と思って駐車場に行ってみると、無情にも物置が隣の家の方に仰向けに倒れていました。

それを見たとき一瞬「どうしよう」という思いがよぎり、「保険がきくかなぁ」と思いました。本来であれば、「本当にごめんなさい。」と言うべきところなのに、保険がきくかどうかしか考えられなかったのです。気が動転していたのです。自分で何とかとなければならないと、あれやこれやと一瞬のうちに考えました。

でもこういう時こそマリヤのように言うべきです。「ぶどう酒がありません。」自分であれやこれやと考える前に、その状況をそのまま申し上げるべきだったのです。

後で自分の姿を思い起こして、本当に情けないなぁと思いました。イエス様を信じていると言いながらも、保険のことしか考えられませんでした。信仰は持っていても、いざとなったらその信仰を働かせることができないのです。霊的なことは神様に、でも実際のことは自分でと、自分で解決しようとする思いがあったのです。

 

Ⅰペテロ5章7節にはこうあります。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」

私たちが心配するのではなく、その思い煩いをそのまま神様にゆだねなければなりません。「神様、私は今こんな問題を抱えているんです」と正直に申し上げなければなりません。

「我が家の家計が火の車です」

「うちの息子は言うことを聞きません」

「妻が私を敬ってくれないのです。」

「夫があまりにも身勝手です」

と、正直に申し上げればいいのです。とにかく、自分の中にある思い煩いをそのまま神にゆだねなればいいのです。

 

私たちはどうしてもこのことは人には話せないという思いがあります。特に日本では昔から武士道の精神がありますから、家の恥をさらけ出してはならないという思いがどこかにあります。「そんなことを人に言うもんじゃない」「恥さらし!」それで、自然に口をつぐんでしまうのです。

しかし、聖書は全く逆のことを教えています。あなたにもし思い煩いがあるなら、心配事があるなら、それをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

 

マリヤは自分の心配事をそのままイエスに伝えました。そのように私たちもまずイエス様のところへ行き、自分の心配事を伝えなければなりません。神が私たちのことを心配してくださるからです。

 

Ⅱ.わたしの時はまだ来ていません(4)

 

次に4節をご覧ください。マリヤの訴えに対して、イエス様は何と言われたでしょうか。「すると、イエスは母に言われた。『女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。』」

 

どういうことでしょうか?自分のお母さんに向かって、「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」というのは・・。あまにも失礼じゃありませんか。日本語に訳された言葉を読むと、何ともぶっきらぼうで冷たく聞こえるかもしれませんが、実はそうではありません。

この「女の方」という呼び方は、当時、敬意をもって女性に呼びかけるときに用いられた言葉でした。また、「あなたはわたしと何の関係もありません」という言葉は、あなたとわたしは何の関係もないということではなく、あなたとわたしの関心は違いますという意味です。この言葉を直訳すると「あなたにとって何か、そして、わたしにとって」となります。

ぶどう酒の問題は、マリヤにとって最大の関心でした。ぶどう酒がなくなってしまったら結婚の宴会が台無しになってしまいます。ですから、マリヤはこの問題を何とかしなければなりませんでした。

しかし、イエス様の関心は違ったところにありました。イエス様の関心は、罪の赦しと永遠のいのちにありました。それがその次のイエス様のことばです。「わたしの時はまだ来ていません。」わたしの時はまだ来ていませんとは、どういうことでしょうか?

 

イエス様が「わたしの時」と言われるとき、それはご自分が十字架にかかる時のことを指していました。たとえば、ヨハネの福音書7章6節にはこの「わたしの時」が出てきます。仮庵の祭りというユダヤ人の祭りが近づいていたとき、ユダヤ人たちがイエス様を殺そうとしておられたので、イエス様はユダヤを巡ろうとはされなかったのですが、そのときイエス様の弟子たちが、「そんな隠れたことをしていないで、公に自分をこの世に示したらいいんじゃないか」と言ったとき、イエス様はこのように言われました。「わたしの時は来ていません。」

ところが、イエス様が十字架におかかりになられる直前になると、イエス様は、はっきりと、言われました。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」(ヨハネ12:23)つまり、イエス様が言われた「わたしの時」というのは、十字架にかかられる時のことだったのです。これは単に奇跡を行うかどうかの時ではありません。十字架へとつながっていく時なのです。

 

ですから、ここでイエス様が最も関心を持っておられたのは、ご自分がすべての人の罪のために十字架で死なれることでした。イエス様は、人々を罪から解放し、罪の赦しと永遠のいのちを与えるためにこの世に来てくださいました。それがイエス様の最大の関心事でした。そして、ぶどう酒は、その十字架の血を象徴するものだったのです。

 

でもイエス様はマリヤの訴えに無関心ではありませんでした。イエス様の返事は、マリヤにとって不思議に思えたかもしれません。でもこれは、「愛し尊敬するお母さん、わたしの関心とあなたの関心は少し違います。わたしの関心を成就する時はまだ来ていませんが、でも心配しないでください。この問題をわたしに任せてください。そうすれば、わたしのやり方で解決しましょう。」ということだったのです。

 

ですから、イエス様は決してマリヤを冷たくあしらわれたのではなかったのです。それはマリヤがこのことばを聞くと、手伝いをする人たちに「あの方が言われることは、何でもしてください。」と言っていることからもわかります。それはマリヤがイエス様の言葉を聞いて、とにかくイエス様にこのことを任せておけば大丈夫だと思ったからなのです。

 

そうです、イエス様はそれがご自身の関心とは違ったことでも、それが片田舎の小さな村の、小さな結婚式の、しかもぶどう酒がなくなるという小さな問題であっても、ちゃんと配慮してくださる方なのです。

イエス様はあなたの人生の小さな問題にも関わってくださいます。そして、ご自分の栄光を現してくださるのです。だから、こんな小さなことを祈っても無駄だなんて言わないで、どんな小さなことでも、イエス様に祈るべきです。「イエス様、私は今、こういう状況なんです。こういう問題を抱えています。この問題を何とかしてください。私をあわれんでください。」そう祈ればいいのです。

 

Ⅲ.水がぶどう酒に(6-11)

 

さあ、イエス様の言葉を聞いたマリヤはどうしたでしょうか。5節をご覧ください。「母は給仕する者たちに言った。『あの方が言われることは、何でもしてください。』」

 

すると、イエス様は給仕する者たちに言われました。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」

そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、石の水がめが六つおいてありました。それは二あるいは三メトレテス入りのものでした。一メトレテスは約40リットルですから、80リットルから120リットルの大きさの水がめだったということです。

 

この水は手足を洗うために使われました。ここに「ユダヤ人のきよめのしきたりによって」とありますが、当時のユダヤ人たちは、外から帰って家に入るときや食事の時に、また、汚れた身をきよめるために、水で手足を洗う習慣がありました。それで各家庭には、きよめの水を入れる水がめが置かれていたのです。

それはどちらかと言うと、衛生的な理由からというよりも、宗教的な理由からでした。旧約聖書の律法には、汚れたものに触れて身を汚した者は、水で身をきよめなければならないという規定があったからです。それで彼らは、外出したときに知らないうちに汚れたものに触れて身を汚したのではないかと心配して、家に入る前に水で身をきよめていたのです。それは、神様に受け入れていただくために大切な宗教的な儀式だったのです。

 

イエス様はその水を用いられました。この水がめを水で満たしなさいと言われたのです。普通なら、こんなことをしてどうするのと思うところでしょう。なんでこんなことをしなければならないのかと思うかもしれません。「何で・・」これが私たちの反応です。

でも彼らはマリヤの言葉を聞いていました。そのことばを心に留めていました。「あの方が言われることは、何でもしてください。」だから、彼らはそのとおりしたのです。

 

80リットルから120リットルと言ったら相当の量ですよ。私の家では天然水を注文していますが、一つ12リットルです。それを2階まで運ばなければならないのですが、かなり重くて大変です。水って結構重いんですよ。それを汲みに行かなければなりませんでした。村から井戸までは2キロメートルくらい離れていたと言われています。その距離を何回も往復しなければならないのです。でも彼らはイエス様が言われた通りにしました。

 

そればかりではありません。8節、今度は、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行かなければなりませんでした。イエス様は次から次にすべきことを指示されましたが、彼らはイエス様が言われることを、すべてその通りに行いました。

 

するとどうなったでしょうか。9節と10節までをご覧ください。

「宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。それで、花婿を呼んで、 こう言った。『みな、初めに良いぶどう酒を出して、酔いが回ったころに悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておきました。』」

 

普通は、まず良いぶどう酒を出し、みんなの酔いが回ってくるとあまり質の良くない酒を出すものです。酔っぱらってお酒の味がわからなくなるので、もうどんな酒でもいいのです。ただ消費するだけですから。ですから、それを味見した世話役はびっくりして、「よくもまあ、こんな良いぶどう酒を取っておきました。」と言ったのです。イエス様に従った結果、花婿がほめられることになりました。

 

びっくりしたのは花婿の方だったでしょう。「えっ、俺は何にもしてないんだけれどなぁ・・・」彼は何も知りませんでした。舞台裏ではどんなことが起こっていたのかを全くしりませんでしたが、「よくもまあ、こんなに美味しいぶどう酒を取っておきましたね。」とほめられたのです。その鍵は何でしょうか。彼らがイエス様の言われたとおり行ったということです。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たかを知っていました。彼らがイエス様の言われた通りにした結果、そのようになったということを・・・。

 

私たちは時に「何でこんなことをしなければならないんだろう」「何であんなことを」と思うことがあるかもしれません。しかし、イエス様がおっしゃったとおりにするなら、神の栄光が現されるのです。ですから、たとえそれが自分にとって納得できないようなことであっても、期待をもって、「わかりました。イエス様、あなたがそのように言われるのならその通りにやってみます。」となると、次々と神の御業が展開していくようになります。

 

あるとき、イエス様はペテロにこう言われました。「深みにこぎ出し、網を下して魚を捕りなさい。」(ルカ5:4)

ペテロはびっくりしました。というのは、彼らは夜通し働きましたが、何一つ取れなかったからです。彼らは漁のプロでした。ずっとガリラヤ湖で魚を取っていました。だから魚のことは何でも知っていると思っていました。そんな彼らが夜通し働いてもだめだったのです。取れるはずがありません。時間的にも良くないし・・。

「でも、おことばですので、網を下してみましょう。」(ルカ5:5)

と従ったとき、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになりました。イエス様のおことばに従うとき、すばらしい神の御業が現されるのです。

 

ところで、この水がぶどう酒になったという奇跡は、ただ水がぶどう酒に変わってめでたし、めでたしということだけではありませんでした。ここにはもっと深い意味があります。それは何かというと、律法との対比の中で、イエス様は私たちに本当の喜びを与えてくださるということです。

先ほど、この水が何を意味していたのかを説明しました。それは旧約聖書の律法によると、汚れたものに触れて身を汚した者は、この水できよめなければならないということでした。しかし、どんなに外側を水で洗っても、自分の内側の汚れや罪を洗いきよめることはできません。だからといって、その儀式を怠れば、罪責感が生じてきます。自分がちゃんとやらなければ、神様に受け入れられないという恐れや不安が出てきます。ですから、こうしたきよめの水は決して人々を罪から解放することはできないのです。

 

しかし、イエス様はこの水をぶどう酒に変えてくださいました。そして、そのぶどう酒は、人々に喜びを与えるものとなりました。つまり、この奇跡は、人は、一生懸命に努力して律法の行いをしても、本当の意味で自分をきよめることはできないし、喜びを与えることもできませんが、イエス様がもたらしてくださった十字架の血によって、私たちの罪は赦され、きよめられ、新しいいのち、永遠のいのちという、最上の喜びを与えてくださるということを示していたのです。

 

これが最初のしるしでした。それで弟子たちはイエスを信じたのです。この弟子たちは既にイエスを信じていました。ではこの「信じた」とはどういうことでしょうか。彼らは、この奇跡を通して、この方が神の子であるというだけでなく、今までの律法や儀式によっては決して与えられなかった自由と喜びを与えてくださる方であるということを知った、ということです。ですから、彼らは「イエスを信じた」のです。

 

皆さんはどうでしょうか。まだ「こうしなければならない」「ああしなければならない」といったことに縛られて、本当の自由と喜びを失ってはいないでしょうか。一生懸命に努力することは大切なことです。でも、そうした努力が自分を本当にきよめることができるのかというとそうではありません。あなたの罪を赦し、あなたを罪から解放し、あなたに真の自由と喜びを与えてくださるのは、あなたのために十字架で死んでくださったイエス・キリストを信じる以外にはありません。それ以外にあなたが救われる道はないのです。これがこの奇跡の意味していることでした。イエス様はこれを最初の奇跡として、ガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現されたのです。

 

そういう意味で、私たちの人生にイエス様をお迎えするということが最も重要です。水がぶどう酒に変わることによって人々に喜びがもたらされ神の栄光が現されたのは、そこにイエス様がおられたからでした。この婚礼にイエス様が招かれていました。それで、こんなにすばらしいことが起こったのです。

 

大切なのは、あなたの人生の中にもイエス様をお迎えすることです。あなたのどうしようもないその状況の中に、イエス様をお迎えしていただきたいのです。

「イエス様、私はあなたを必要としています。私には無理です。私がどんなに頑張っても自分をきよめることなどできません。イエス様どうぞ私の心の内側にお入りください」と願うことです。

「私は今子育てで苦しんでいます。どうしていいかわかりません。あなたが助けてください。」

「私たちの夫婦関係は壊れています。もう修復困難です。どうしようもありません。これまで一生懸命努力しました。でも夫は私を愛してくれません。妻は私を尊敬してくれません。もううちは終わりです。助けてください。」と祈ることです。

「うちの職場ではもう自分の居場所がないんです。一生懸命働いてきましたが、私はもうボロボロです。雑巾のようです。これ以上ここでは働けません。もう死ぬしかないのです。どうかあわれんでください。」

 

多くの方が悩み苦しんでいます。表面的には何の問題もないようでも、しかし、心の内側を探ってみると、心を開いてみて見ると、みんな苦しみを背負って生きています。それをだれにも話すことができなくて一人で苦しんでいるのです。

 

だから、みんなイエス様が必要なんです。イエス様にその心の内側に入っていただく必要があります。あなたの心の内側にもイエス様を迎えてください。そして、イエス様のおことばにしたがうなら、あなたも本当の自由と喜びを持つことができるのです。

士師記10章

士師記10章からを学びます。まず1節から5節までをご覧ください。

 

Ⅰ.6番目の士師トラと7番目の士師ヤイル(1-5)

 

「アビメレクの後、イスラエルを救うために、イッサカル人、ドドの子プワの息子トラが立ち上がった。彼はエフライムの山地にあるシャミルに住んでいた。彼は二十三年間イスラエルをさばき、死んでシャミルに葬られた。

彼の後にギルアデ人ヤイルが立ち上がり、二十二年間イスラエルをさばいた。彼には三十人の息子がいた。彼らは三十頭のろばに乗り、三十の町を持っていた。それらは今日まで、ハボテ・ヤイルと呼ばれ、ギルアデの地にある。

ヤイルは死んでカモンに葬られた。」

 

「アビメレク」とはギデオンの息子です。彼は弟ヨタム以外のすべての兄弟を皆殺しにし、イスラエルの王として君臨しました。しかし神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に送られたので、彼もまたテベツの町でやぐらの上から一人の女が投げた石で頭蓋骨が砕かれて死にました。

 

アビメレクが死んだ後、イスラエルを救うために立ちあがったのがイッサカル人、ドドの子プアの息子トラでした。彼は6番目の士師としてイスラエルを治めました。彼はアビメレクの後のイスラエルの混乱期を鎮めた人物ですが、彼について聖書はあまり多くを語っていません。彼については、エフライムの山地にあるシャミルに住んでいたことと、23年間イスラエルをさばいていたということ、そして、死んでシャミルに葬られたということだけです。

どうしてでしょうか。おそらく、士師記の著者にとってはその後に登場する勇士エフタに大きな関心があったからではないかと思います。エフタについては、11章1節から12章7節まで続きます。そういう意味で、この10章はエフタが登場するまでのエピソードがまとめられているのです。

 

3節にはヤイルが登場します。彼は7番目の士師です。彼についてはたった3節しか言及されていません。彼がギルアデ人の出身であったということ、22年間イスラエルをさばいたということ、そして30人の息子がいたということ、また三十頭のろばと三十の町を持っていたということです。ろばは高貴な身分の人の乗り物で、士師たちはろばに乗って各地を巡回しました。ヤイルは、富と権力を兼ね備えた士師であったのです。

彼はギルアデの出身とありますが、ギルガルとはヨルダン川の東側の地域にあります。そこから士師が出たということは、主が東側の部族も忘れておられなかったことを表しています。

 

トラとヤイルは、アビメレクのように王になろうとはしませんでした。彼らは主からゆだねられた使命を忠実に果たし、イスラエルに富と繁栄をもたらしました。それは特筆すべきことのない平凡な時代だったかもしれませんが、だから悪いということではないのです。それはむしろ歓迎すべきことです。私たちの人生のほとんどは特筆すべきことのない平凡な日々の積み重ねですが、それこそ神の恵みなのです。何気ない「当たり前」の中に隠されている主の恵みに目を留める者でありたいと思います。

 

Ⅱ.苦境に立たされたイスラエル(6-9)

 

次に6節から9節までをご覧ください。

「イスラエルの子らは再び、主の目に悪であることを行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。こうして彼らは主を捨て、主に仕えなかった。

主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がり、主は彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に売り渡された。

彼らはその年、イスラエル人を打ち砕き、十八年の間、ヨルダンの川向こう、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げた。

アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変な苦境に立たされた。

そのとき、イスラエルの子らは主に叫んだ。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」」

 

ヤイルが死んでカモンに葬られると、イスラエルは再び、主の目の前に悪を行い、もろもろのバアルやアシュタロテ、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々に仕え、主を捨て、主に仕えませんでした。ここには、彼らの霊的状況がさらに悪化しているのがわかります。以前から拝んでいたバアルやアシュタロテといった神々に加え、アラムの神々やモアブの神々、アンモンの神々、ペリシテ人の神々にも仕えるようになりました。

アラムとは北の方のシリアのことです。また、シドンとは北の地中海沿岸地域、今のレバノンの地域です。それからモアブとはヨルダン川の東側の地域、アンモンは死海の東側の地域のことです。さらにペリシテ人の地域とは、地中海の沿岸地域のことです。つまりカナンのすべての神々に仕えていたと言ってよいでしょう。彼らは主を捨て、主に仕えるのではなく、こうした神々に仕えたのです。

 

それで主の怒りがイスラエルに向かって燃え上がり、彼らをペリシテ人の手とアンモン人の手に渡されました。ペリシテ人のことについては13章からのところに記されてあります。有名なサムソンが戦ったのはこのペリシテ人です。そして、アンモン人については11章と12章に記されてあります。

 

ペリシテ人とアンモン人はイスラエル人を打ち砕き、18年の間、ヨルダン川の川向う、ギルアデにあるアモリ人の地にいたすべてのイスラエル人を虐げ、アンモン人がヨルダン川を渡って、ユダ、ベニヤミン、およびエフライムの家と戦ったので、イスラエルは大変に苦境に立たされました。

 

何度同じことを繰り返したら気が済むのでしょうか。彼らが主に背いたのはこれで六回目です。その度に彼らは苦しみ、主に叫び、何度も主に助けられたという経験をしてきたにもかかわらず、それでもまた同じことを繰り返したのです。

 

これはイスラエル人に限ったことではなく、私たち人間の姿そのものです。私たちも何度も主に背き、その度に苦境に陥り、主に助けを叫び求めることで、何度も主に助け出されたのに、それでもまた同じことを繰り返してしまいます。まさに、のど元過ぎれば熱さ忘れる、です。背信、それに対する神のさばき、苦悩の中からの叫び、というのが士師記に見られるサイクルです。民が悔い改める時、神は必ず恵みをもって臨んでくださいます。この時のイスラエルの叫びに、主はどのように対応されたでしょうか。

 

Ⅲ.主のあわれみは尽きない(10-18)

 

10節から18節までをご覧ください。

「そのとき、イスラエルの子らは主に叫びました。「私たちはあなたに罪を犯しました。私たちの神を捨ててバアルの神々に仕えたのです。」主はイスラエルの子らに言われた。「わたしは、かつてエジプト人、アモリ人、アンモン人、ペリシテ人から、また、シドン人、アマレク人、マオン人があなたがたを虐げてあなたがたがわたしに叫んだとき、あなたがたを彼らの手から救ったではないか。しかし、あなたがたはわたしを捨てて、ほかの神々に仕えた。だから、わたしはこれ以上あなたがたを救わない。

行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦しみの時には、彼らが救ってくれるだろう。」

イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。」

彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。

このころ、アンモン人が呼び集められて、ギルアデに陣を敷いた。一方、イスラエル人も集まって、ミツパに陣を敷いた。

ギルアデの民や、その首長たちは互いに言い合った。「アンモン人と戦いを始める者はだれか。その人がギルアデの住民すべてのかしらとなるのだ。」

 

イスラエル人の叫びに対して主は、「わたしはこれ以上あなたがたを救わない。」(13節)と言われました。なぜなら、これまで何度もイスラエルが敵に虐げられて主に叫んだとき、主は敵の手から救い出してくださったのに、イスラエルは主を捨てて、ほかの神々に仕えたからです。だったら自分たちで解決すればいい、自分たちが選んだ神々に叫べばいいのではないか、そうすれば、そうした神々があなたがたを救ってくれるだろう、と突き放したのです。これは、強烈な皮肉です。

 

ここで大切なのは、主がイスラエルを突き放したのは彼らを愛していないからではなく、救われた彼らが異国の神々のところに行ってしまったからです。もしそのようなことをするのであれば、救うということ自体に何の意味もなくなってしまいます。彼らが救われたのは、彼らが主の民として主に仕えるためなのに、その主をないがしろにして他の神々に走っていくというようなことがあってはなりません。そのようなことをするなら、そうした神々に助けを求めればよいと言うのは、むしろ当然のことです。

 

神は真実な方であって、ご自身が約束されたことを破られる方ではありません。どんなことがあっても最後まで契約を守られる方です。しかし、いくら神がそのような方であってももう一方がその愛に真実に応えるのでなければ、その契約自体が成立しません。不真実なのは神の側ではなく、イスラエルの側、私たち人間の側なのです。

 

するとイスラエルの民は、自らの罪の深さを認識し、心から悔い改めました。

「イスラエルの子らは主に言った。「私たちは罪を犯しました。あなたが良いと思われるように何でも私たちにしてください。ただ、どうか今日、私たちを救い出してください。彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に仕えたので、主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなられた。」

それが真の悔い改めであったことをどうやって知ることができるでしょうか。それは、彼らが自分たちのうちから異国の神々を取り去って主に立ち返り、主に仕えたからです。真の悔い改めには、行動が伴わなければなりません。イスラエルの民は、自分たちのうちから外国の神々を取り除き、主に仕えるようになりました。

 

これがただ悲しむことと、悲しんで悔い改めることの違いです。パウロはこのことをコリント第二コリント7章10-11節でこう言っています。

「神のみこころに添った悲しみは、後悔のない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。見なさい。神のみこころに添って悲しむこと、そのことが、あなたがたに、どれほどの熱心をもたらしたことでしょう。そればかりか、どれほどの弁明、憤り、恐れ、慕う思い、熱意、処罰をもたらしたことでしょう。」

後にイスラエルは平和な状況の中で、また主に背いてしまうかもしれません。すぐに心変わりするかもしれない。でも、この時、イスラエルは真剣に悔い改め、切実に助けを求めました。

 

するとどうでしょう。それをご覧になられた主は心を動かされました。16節の後半部分には、「主はイスラエルの苦痛を見るに忍びなくなった。」とあります。

神はその心の叫びを聞いてくださいました。また裏切られるかもしれません。いやきっとそうなるでしょう。でも何度裏切られても、イスラエルが苦しみ、心から悔い改めるなら、主はその姿を見て忍びなくなるのです。

 

主のあわれみは、いつの時代にも悔い改める者の上に注がれます。主は怒るにおそく、あわれみ深い方です。そのあわれみのゆえに、私たちも滅びないでいられるのです。私たちもイスラエルのようにどうしようもない弱さ、愚かさがありますが、そんな者でも悔い改めて神に助けを叫ぶなら、神があわれんでくださるのです。

 

哀歌3章22-23にこのようにあります。

「実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。」

それは朝ごとに新しい恵み、あわれみです。尽きることのないあわれみなのです。先日、ヨハネの福音書1章16節にもありましたね。「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。」「恵みの上にさらに恵みを受ける」とは、「恵みの代わりに恵みを受ける」という意味で、一つの恵みを受けたらそれで終わりということではなく、その代わりに新しい恵みを受けるということ、尽きない恵みを受けるということです。主の私たちに対する恵み、あわれみは尽きることがないのです。

 

だから私たちには望みがあるのです。私たちはこの神のあわれみによりすがり、いつも悔い改めて、新しい一歩を踏み出させていただきましょう。

ヨハネの福音書1章35~51節「キリストに会った人々」

ヨハネは、キリストが初めから神とともにおられた神であり、すべてのものを造られた創造主であると述べました。そして、この方は人となって私たちの間に住まわれました。それは神がどれほど恵みとまことに満ちておられるのかを示すためでした。ですから、この方を受け入れた人々には、神の子としての特権が与えられます。私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けるのです。彼はこのことをバプテスマのヨハネの証言をもって証ししました。

 

きょうは、この方と出会った人たちの証言、つまり、バプテスマのヨハネの二人の弟子たちとヨハネの子シモン、そしてピリポとナタナエルの証言を通してキリストを信じる者の幸いについて見ていきたいと思います。

 

Ⅰ.バプテスマのヨハネの二人の弟子(35-41)

 

まず、バプテスマのヨハネの二人の弟子たちの証言から見ていきましょう。35節から37節までをご覧ください。

「その翌日、ヨハネは再び二人の弟子とともに立っていた。そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。二人の弟子は、彼がそう言うのを聞いて、イエスについて行った。」

 

「その翌日」とは、バプテスマのヨハネが証をした翌日のことです。前日、主イエスが自分の方に近づいて来られるのを見たヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。」(1:29)と叫びました。その翌日、彼が二人の弟子とともに立っていたとき、イエスが歩いて行かれるのを見たヨハネは、「見よ、神の子羊」と言ました。それを聞いたヨハネの二人の弟子は、イエス様について行ったのです。これが最初のクリスチャンです。

 

この「ついて行った」という言葉(原語のギリシャ語ではエーコルーセーサン)は、ただついて行ったということではなく、弟子としてついて行ったという意味です。つまり、イエス様の弟子になったということです。バプテスマのヨハネの二人の弟子は、キリストの弟子になることを決意したのです。このようにして彼らは、最初のクリスチャンとなりました。このように、最初のクリスチャンのほとんどはバプテスマのヨハネの弟子たちでした。彼らはヨハネの強力な証しによって、キリストの弟子となったのです。

 

38節と39節をご覧ください。

「イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊まりですか。」イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。時はおよそ第十の時であった。」

 

イエス様は、ご自分につい来た二人の人を見て言われました。「あなたがたは何を求めているのですか。」これはヨハネの福音書に記されているイエス様の語られた最初のことばです。イエスが「わたしに何を求めているのか」と言われた時、それはただ「私に何の用事があるのか」ということ以上の意味を持っていました。それは、あなたの人生においてあなたは何を求めているのか、ということです。だれでも何かを求めています。それが何であるかは自分でもよく分からないのですが、確かに何かを求めています。それはもしかすると自分の夢をかなえてくれるものかもしれませんし、自分が今必要としているものを満たしてくれるものであるかもしれません。それが何であるかは分かりませんが、確かに何かを求めています。この二人の弟子たちも何かを求めていました。それが何なのか、またどのようにして与えられるのかはわかりませんでしたが、ただ分かっていたことは、この方に従ってついて行けばきっと与えられるということでした。

 

それに対して、彼らは何と答えたでしょうか。38節には、「彼らは言った。『ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊りですか。』とあります。「ラビ」とは「先生」という意味です。敬称を込めた呼び方でした。彼らはまだこの時点ではイエスがどのような方であるかははっはりと分かりませんでした。それが分かるのはもうちょっと後になってからのことです。41節のところで、アンデレは「メシア」と呼んでいますが、これは「キリスト」、「救い主」という意味です。このように後で分かるようになるわけですが、この時点では分かりませんでした。分からなかったけれども、分かりたいと必死で求めていました。それが次の彼らの言葉に込められています。「どこにお泊りですか」どこに泊まろうとそんなのどうでも良いことではありませんか。なぜ彼らはこんなことを尋ねたのでしょうか?

 

これは彼らが単にイエス様が泊まっている場所を知りたかったということではありません。ヨハネ先生が証ししていた偉大な先生が泊まるところだからさぞかし立派な所だろうと、興味があったわけではないのです。彼らがこのように言ったのは、彼らがイエス様のそばにいて、イエス様のことばをじっくりと聞きたかったからです。イエス様がおられる場所を知り、イエス様の元にとどまり、イエス様と深い交わりを持ちたかったのです。

 

パウロは、ピリピ人への手紙3章7,8節で「しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。」と告白していますが、この「イエス・キリストを知ることのすばらしさ」のゆえに、すべてを損と思うほどであったわけです。同様にこの二人の弟子も、キリストを深く知りたかったのです。そのためには時間がかかります。ちょっとした立ち話で分かるようなものではありません。どこまでもイエス様について行くことによって、得ることができると考えたのです。

 

果たして、私たちはこの二人の弟子のように、キリストとの交わりを真剣に求めているでしょうか。少年サムエルが、「主よ、お語り下さい。しもべは聞いています。」と言ったように、主が語られる言葉を一つももらさないで聞きたいという思いで聞いているでしょうか。

 

家内が育ったアメリカの教会では礼拝の時間が大体1時間と決まっていて、少しでも説教が長くなると会衆はいらいらし始めるのだそうです。なぜなら、礼拝に来る前に家のオーブンをセットして出てくるので、ちょっとでも遅くなるとチキンが焦げてしまうからです。そのような態度でじっくりと神の御言葉を聞くことができるでしょうか。そういう習慣があるからか、家内はよく「あなたの説教は長い。日本人はよくみんな黙って聞いているなぁ。すごい!」と言います。でもそれは日本人がすごいのではなく、礼拝前にチキンをオーブンでセットして礼拝に出てくるのがおかしいのです。

イエス様がもてなしのために気をもんでいたマルタに、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを思い煩って、心を乱しています。しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良い方を選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」(ルカ10:41-42)言われたことばはとても有名です。マリアが選んだ良い方とは何だったのか。どうしても必要な一つだけのこととは何だったのでしょうか。それは、主の足もとに座って、主のみことばに聞き入るということでした。

 

これが、私たちにも求められていることです。私たちがキリストの救いにあずかるために、また、救われてキリストを深く知るために、キリストがおられる場所に行き、そこでじっくりと御言葉を聞くこと、それがどうしても欠かすことができないことなのです。この二人の弟子たちが「どこにお泊りですか。」と尋ねたのはそのためでした。

 

さあ、それに対してイエスは何と言われたでしょうか。39節です。「イエスは彼らに言われた。『来なさい。そうすれば分かります。』」これは、とても大切な言葉です。「分かったら、来なさい」ではなく、「来なさい。そうすれば分かります」。この順序が大切です。しかし、多くの人々は、これを逆にとらえています。分かったら、行こうとするのです。つまり、分かるまでは行かないのです。その方が科学的だと思っています。でもどうでしょうか。私たちは自分では何でも知っていると思っていますが、実のところ、本当に知らなければならないことさえも分かっていないということがあるのではないでしょうか。たとえば、自分自身のことです。自分自身と関係ないことについては意外とよく見えるのですが、いざ自分自身のことになると、客観的に観察しているつもりでも、全然見えていないということがあるのです。なぜなら、自分のことになると冷静になれないからです。そんな者が「分かったら、行こう」としたら、いつまでたっても行くことなんてできません。私たちの小さな頭で、この天地を創造された大きな方を理解しようとしても限界があるのです。

 

ですから、イエス様は「来なさい。そうすればわかります。」と言われたのです。この方にすべてをゆだね、この方のもとに行くなら、分かるようになります。これが信仰なのです。

 

彼らは、イエスが言われたとおり、イエスについて行きました。そして、イエスが泊まっているところを見ました。そしてその日、イエスのもとに留まりました。時はおよそ第十時とあります。この「第十時」ですが、ヨハネの福音書における「時」はユダヤの時間なのか、それともローマの時間なのかはっきりわかりません。しかし、4章6節にも「第六時」とあり、これがユダヤの時間で正午のことを指しているとすれば、この「第十時」もユダヤ時間と考えるのが普通だと思います。そうするとこの「第十時」というのは「午後四時」ということになります。つまり、彼らは一日中イエス様と一緒にいたということです。たった一日でしたがイエス様と一緒にいたことによって、二人は変わりました。どのように変わったのでしょうか。

 

40節と41節をご覧ください。

「ヨハネから聞いてイエスについて行った二人のうちの一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて、「私たちはメシア(訳すと、キリスト)に会った」と言った。」

ここに二人がだれであったかが記録されてあります。一人はシモン・ペテロの兄弟で「アンデレ」であり、もう一人はだれであるかははっきりわかりませんが、多くの学者たちは、これを書いているヨハネではないかと考えています。しかし、わかることは、彼らはイエス様と一日中一緒にいて変えられたということです。それまで彼らはイエスのことを、敬称を込めて「ラビ」と呼んでいたのが、ここでは「メシア」と呼ぶようになりました。

 

「メシア」とは何でしょうか。メシアとは元々「油注がれた者」という意味ですが、旧約聖書では、預言者や祭司、王が任職する時に油が注がれたので、彼らのことを指して「油注がれた者」と呼ばれていました。しかし「メシア」という言葉が独特の意味を持ってくるのは、これが救い主を意味するようになったからです。つまり彼らはイエス様と一日中一緒にいたことによって、この方こそ来るべきメシア、救い主であると信じたということです。それは必ずしも完全な意味での霊的救い主としてのメシア観ではなかったかもしれません。キリストについての知識はまだ不十分だったでしょう。でも、私たちのあらゆる悩み、苦しみの根源である罪から救ってくださる救い主としてのメシアだと信じたのは確かです。

 

私たちもすぐにキリストについてのすべてを知ることはできないかもしれません。でもこの二人の弟子のようにイエスについて行き、そこでじっくりとイエスの御言葉を聞き、イエスにとどまるなら、必ず変えられていきます。「私たちはメシアに会った」という信仰の告白に導かれていくようになるのです。

 

Ⅱ.シモン・ペテロ(42)

 

次に、42節をご覧ください。

「彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」

 

次にキリストに出会ったのは誰でしょうか?そうです、シモン・ペテロです。その

兄弟アンデレはイエスのところについて行き、イエスのもとにとどまって、イエスの御言葉を聞き、この方こそメシアであると確信しました。

 

そのアンデレが最初にしたことは何でしょうか。自分の兄弟をキリストのもとに連れて来ることでした。彼は兄弟シモンを見つけると、「私たちは、メシアに会った」と言って、シモンをイエスのもとに連れてきました。私たちがクリスチャンになってまずすべきことは、自分の家族や友人をキリストに連れて来ることです。聖書について説明しなければならないと言われたらできないかもしれませんが、自分の家族を教会に連れて来るということならできるはずです。アンデレはまず自分の兄弟シモンを見つけ、「私たちはメシアに会った」と言ってキリストに導きました。彼はイエスに会いたいと願う人を、イエスのもとに連れて来る奉仕をしたのです。すばらしい奉仕です。彼は決して表舞台で活躍する人ではありませんでしたが、キリストに会いたいと願う人がいればだれでもキリストのもとに連れて行ったのです。

 

イエスのもとに連れて来られたシモンはどうなったでしょうか。イエスはシモンを見ると、彼を見つめてこう言われました。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」これはどういうことですか?

 

これは、シモンもイエスを信じたということです。どのようにしてそれが分かりますか?彼の名前が変わったことで分かります。ユダヤ人にとって、名は体人を表していました。ですから、名前が変わったということは、その人が変わったということなのです。たとえば、アブラハムの名前がアブラムからアブラハムに変えられた時、またヤコブの名前がイスラエルに変えられた時、それは神との関係が新しく生まれたことを意味していました。同じようにシモンという名前がケファに変えられたということは、彼が主イエス・キリストとの関係において新しい関係が生まれたことを意味していたのです。

 

「ケファ」というのは「岩」を意味するアラム語です。イエス様の時代、ユダヤ人は日常会話としてアラム語を使っていたので「ケファ」と呼びましたが、当時は国際語としてギリシャ語を使っており、新約聖書もギリシャ語で書かれたので、これをギリシャ語で書く必要がありました。そこでこれを言い換えて「ペテロ」となっているのです。しかし「ケファ」も「ペテロ」も同じ意味で、「岩」を表しています。ペテロのもともとの名前は「ヨハネの子シモン」ですが、イエス様は彼を「ケファ」「ペテロ」と呼びました。

 

生来のシモンは、おっちょこちょいで、感情的というか、すぐに気が変わってしまいやすい性格の持ち主でしたが、イエス様は彼に、不動の岩を意味する「ケファ」「ペテロ」という名前を与えられました。これは、イエス様がペテロの中にある潜在能力とか可能性というものを見抜いておられたということではなく、また、そうした隠されていたものを引き出すというのでもなく、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストとの新しい関係が、彼をこのような不動の者に変えてくださるというのです。

 

私たちは、このことから本当に慰めを受けます。私たちが生来シモンのようにどんなに変わりやすい性格の者であっても、キリストとの出会いによって、キリストとの関係が生まれ、私たちもペテロのように変えていただくことができるからです。ですから、生まれながらの自分のうちに何もないのを見ても失望してはなりません。キリストと出会い、キリストとの新しい関係に入るなら、私たちも全く新しい器に変えていただくことができるからです。

 

私は、聖書からペテロの記事を見るたびに、何だか自分のことを見ているような感じがして嫌になることがあります。「あなたが行かれる所ならどこにでも」と言ったかと思えば、次の瞬間には「知~らない」と手のひらを返したような態度を取ってしまいます。いつもコロコロと変わりやすい感情的な人間だなぅぁと、がっかりすることがあるのです。しかし、そんなペテロも変えられて、あのペテロの手紙の中で、「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあって永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみの後で回復させ、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」(Ⅰペテロ5:10)と言うくらいに変えられたことを思うと、本当に希望が湧いてきます。

私たちはキリストとの出会いによって、また、キリストの中にしっかりととどまることによって、全く新しい者に造り変えていただくことができるのです。

 

Ⅲ.ピリポとナタナエル(43-51)

 

最後にピリポとナタナエルを見て終わりたいと思います。43節と44節をご覧ください。

「その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを見つけて、「わたしに従って来なさい」と言われた。彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身であった。」

 

「その翌日」とは、ペテロがキリストを信じた翌日のことです。イエスはユダヤに近いヨルダン川のほとりからガリラヤ湖の方へ行こうとしておられました。そして、そこでピリポを見つけると、「わたしに従って来なさい」と言われました。この「従って来なさい」という言葉は、37節の「ついて行く」という言葉と同じ言葉です。つまり弟子してついて行くということです。しかも現在形で書かれていますが、現在形で書かれているということは継続を表しています。つまり、弟子としてずっと従って来なさい、という意味です。するとピリポはすぐに従いました。おそらく、彼はベツサイダの人で、アンデレやペテロと同じ町の出身だったので、彼らからイエス様のことを聞いていたのでしょう。ですから、イエス様からそのように言われた時に、すぐに従うことができたのでしょう。

 

問題はもう一人のナタナエルという人です。45節と46節をご覧ください。「ピリポはナタナエルを見つけて言った。「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」ピリポは言った。「来て、見なさい。」」

 

ナタナエルという人はヨハネの福音書にしか出て来ないので、彼が誰なのかははっきり分かりません。ただ他の福音書を見ると、使徒たちについて記す時に、「ピリポとバルテマイ」というふうに、いつも二人ペアにして記していることから、バルトロマイではないかと考えられています。

 

そのナタナエルにピリポは、「私たちは、モーセが律法の中に書き、預言者たちも書いている方に会いました。ナザレの人で、ヨセフの子イエスです。」と言いました。これはどういうことかというと、旧約聖書に記されているメシアと会ったということです。今のように、聖書が一人ひとりの手にまだ渡っていない時代において、救い主を人々に証しするとき、聖書に記されている点を強調することは重要なことです。私たちもキリストを証しするとき、聖書から離れて、ただ自分の体験を語るだけではなく、聖書に記されているキリストを示していく必要があります。

 

ピリポの証しを聞いたナタナエルは、どのように応答したでてしょうか。46節を見てください。彼はこう言いました。「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」これはピリポが「ナザレの人」と言ったことに敏感に反応したのでしょう。「良いもの」とは救い主のことを指しています。旧約聖書のどこにナザレから救い主が出てくると書いてあるのか、というのです。なるほど、旧約聖書には救い主はナザレから生まれるとは書いてありません。ベツレヘムです。ナザレは救い主の両親が住んでおられたところでしたが、救い主はナザレから出るのではなくベツレヘムから出るのです。ですから、神は救い主の両親がナザレに住んでおられたにもかかわらず、旧約聖書に預言されていたように、彼らをわざわざベツレヘムまで旅をさせ、そこで生まれるようにはからわれたわけです。確かに、イエスはナザレの人で、ヨセフの子ですが、実際にはベツレヘムで、聖霊によって生まれました。

 

でもナタナエルにはそのことが理解できませんでした。自分では聖書をよく知っていると思っていたからです。だからそうでないことは全く受け付けられなかったのです。救い主がどのような方であるのかをきちんと調べないで、「ナザレ」という言葉を聞いただけで拒絶反応を示しました。このような人が意外と多くいます。聖書の話を聞く前からキリスト教は西洋の宗教だと決めつけているのです。それはここでナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言っているのと同じです。

 

しかし、ピリポはナタナエルの反論にくじけませんでした。彼はナタナエルに、「来て、見なさい。」と言いました。とてもシンプルですね。「来て、見なさい。」来て、見てみたらどうですか。多くの人々は、ただ食べず嫌いで反対しているだけです。キリスト教が西洋の宗教だという理由だけで反対したり、自分の家には別の宗教があるから信じられないと言ったりします。まだ何も知らないうちに、ですよ。あり得ません。もし信じられないというのであれば、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の手で触れて、実際に体験して決めるべきです。それなのに、まだ何も見ないうちに「キリストは信じられない」というのは変です。そういう人に必要なことは、来て、見ることです。

 

47節をご覧ください。ナタナエルがイエスの方に近づいて行くと、イエスは彼についてこう言われました。「見なさい。まさにイスラエル人です。この人には偽りがありません。」

どういうことでしょうか。彼は今、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったんですよ。「そんなの信じられない」と軽くあしらったのです。そんな彼を、「まさにイスラエル人です」とか、「この人には偽りがありません。」というのはおかしいでしょう。

これはイエス様が彼にお世辞を言っているのでも、へつらっているのでもありません。主がそのように判断して言われたのです。どうして主はそのように言われたのでしょうか。

 

48節をご覧ください。ナタナエルも不思議に思ってイエスに尋ねました。「どうして私をご存知なのですか。」するとイエスはこう答えました。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」

主はナタナエルとお会いする前から、ナタナエルのことを知っておられました。ピリポが彼を呼ぶ前から、彼がいちじくの木の下にいたのをご存知であられたのです。それにしても、「この人こそイスラエル人です」とか、「この人には偽りがありません」というのは言い過ぎではないでしょうか?いちじくの木の下にいたということで、彼をそのように呼ぶのは不思議です。たとえば、「私はあなたが来る前に、あなたがマクドナルドにいるのを知っていました。」と言われても、感激してイエス様を信じるという人はいないでしょう。

 

実は、いちじくの木は、ユダヤ人にとって特別の意味がありました。それは、平和と静けさです。ですから、ナタナエルがいちじくの木の下にいたというのは、いちじくの木の下で昼寝をしたり、休んでいるのを見たということではなく、祈っていたのを見たということなのです。いちじくの木の下で祈りながら、人生の意味や真理を捜し求めていたということです。それこそほんとうのイスラエル人です。つまり、イエス様はナタナエルとお会いする前から彼の外的生活だけでなく、内的生活も含めた彼のすべてを見通しておられたということです。

 

その言葉を聞いた彼は、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」と答えました。私の心の思いをすべて読み取り、理解しておられる方、私の心の奥底にあることを見抜くことができる方、言葉では言い表せない私の魂のうめきを聞き取ることのできる方こそ神の子であられ、神の民であるイスラエルを統治されるお方であると告白したのです。

 

皆さん、キリストはこのようなお方です。キリストは私たちの心の思いのすべてをご存知であられます。私たちの心の奥底まで見通すことができる方なのです。この方の前に出る時、私たちはキリストの御前にひれ伏さざるを得ませんが、それなのに多くの人はキリストの御前に出てようとしません。ですから、ピリポが言ったことはとても重要なことです。「来て、見なさい。」

 

あなたがキリストのところに来て、キリストがどのような方であるのかを見るなら、キリストこそ神の子であり、神の民を治められる王であると告白するようになるでしょう。いや告白しないわけにはいきません。

 

最後に50節と51節のイエス様のことばを見ましょう。

「イエスは答えられた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た、とわたしが言ったから信じるのですか。それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」どういうことでしょうか?

 

イエス様は、「それよりも大きなことを、あなたは見ることになります。」と言われました。「それよりも大きなこと」とは何でしょうか。それは51節で、イエス様が言われたことです。イエス様はこのように言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

 

これは創世記28章にあるヤコブがベテルで体験した出来事が背景にあります。彼は霊的なことに長けていただけでなく、ずる賢い人間でしたから、兄エサウがおなかをすかせて猟から帰って来た時、一杯のスープと交換に、兄エサウの長子の権利を奪い取ってしまいました。そればかりでなく、彼は父イサクが自分の死が近いことを知り、愛するエサウを祝福しようとして、鹿を取って来て、それでおいしい料理を作って、持って来るようにと言うと、エサウを出し抜いて母リベカが造った料理を持って行って、エサウが受けようとしていた祝福を奪い取ってしまいました。

二度も弟にだまされたことを知ったエサウは、弟を殺そうとしますが、そのことを知った母リベカは、彼を助けようと、自分の実家へ逃がしてやります。こうしてヤコブはひとり旅をするようになりますが、彼がルズという所に来たとき、そこで野宿することになりました。最初の野宿ということでかなり心細かったことでしょう。石を枕にして寝たのですが、平安がありませんでした。

その時です。彼は一つの夢を見ました。それは天から地に向かってはしごがかけられている夢でした。そして、そのはじごの上を神の使いたちが上り下りしているというものでした。しかもその時、主がそばに立って、こう言われました。

「 見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」」(創世記28:15)

それで彼は元気百倍、眠りから覚めると、「まことに主はこにおられるのに、私はそれを知らなかった。」と言って、そこを「神の家」という意味のベテルと呼んだのです。

 

イエス様が語られたのは、この出来事にちなんでのことでした。つまり、ヤコブがたったひとりぼっちだと思っていたその時に、主は天からはしごを送られ、彼のかたわらにいて、助けてくださいました。そればかりではなく、そのような時でも神との交わりが与えられているという事実です。つまり、主がここにおられる、主は生きておられるという体験です。ただ頭だけの知識ではなく、ほんとうに主はここにおられるという実体験です。そして、今やその天からのはしごとして、イエス・キリストご自身を備えてくださいました。それがここで言われている「神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」ということです。

 

イエス・キリストを信じる者は、イエス様によって神の子としての特権が与えられるというだけでなく、どんな時でもイエス様が仲立ちになってくださって、父なる神様とのすばらしい交わりを持つことができるのです。これこそ、イエス様が言われた「それよりも大きなこと」です。この体験は、クリスチャンに与えられている特権です。私たちがキリストによるこのすばらしい神との交わりを体験するなら、たとい孤独であろうとも、たとえ健康が損なわれることがあっても、たとい患難や迫害の中にあっても、またいばらの道や石を枕としなければならないような時でも、そこに驚くべき力が与えられるのです。神の臨在を体験できるからです。

 

これはクリスチャンのすべてに約束されていることです。51節を注意深く見ると、これは単にナタナエルだけでなく、すべての弟子たちに語られたことであるのがわかります。それはここに「まことに、まことに、あなたがたに言います。」と複数形で言われているからです。それは私たちクリスチャンのすべてに言われていることです。イエス様を信じて救いの入口にとどまっているだけでなく、もっと救いの奥深さを知り、日ごとにそのすばらしさを味わい知る者でありたいと思います。もっと大きなことを見させていただきましょう。イエス・キリストこそ、私たちと父なる神を結びつけてくださるその架け橋にほかなりません。

ヨハネの福音書1章14~18節「恵みとまことに満ちた方」

ヨハネの福音書からメッセージをしております。きょうはその第四回目となりますが、「恵みとまことに満ちた方」というタイトルでお話ししたいと思います。

 

Ⅰ.恵みとまことに満ちた方(14-15)

 

まず、14節と15節をご覧ください。14節をお読みします。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

 

「ことば」とは、イエス・キリストのことです。そのことばが人となって、私たちの間に住まわれました。この「人」と訳されているギリシヤ語は「サルクス」という言葉で、下の欄外の説明にもあるように、直訳すると「肉」です。ことばが肉体を取って私たちの間に住まわれた。当時の人々にとって「肉」は弱いもので、すぐに朽ち果てていくものという考えがありました。ですから、ことばである神が人となるということは考えられないことでした。けれども、神は肉体を取って現われてくださいました。これを書いたヨハネは1章1節から5節までの箇所で、この方は永遠の初めから存在し、すべてのものを造られ、いのちの源、人の光であられたと言っておりますが、そのお方が人となって現われてくださったのです。これは奇跡です。私たちは毎年クリスマスをお祝いしていますが、それはこの奇跡をお祝いしているのです。神の栄光に満ちた方が人として生まれてくださり、実に飼い葉桶にまで下ってくださいました。これは奇跡できないでしょうか。いったい神はなぜ人となられたのでしょうか。

 

14節のその後のところにこうあります。「私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」

それはこの方の栄光を見るためです。ひとり子としての栄光です。その栄光を見るなら、この方がどんなに恵みとまことに満ちておられるかがわかるでしょう。それはちょうど旧約聖書の時代にイスラエルの民が荒野を旅していた時、栄光の雲として現れてくださったようにです。この「住まわれた」ということばには「幕屋を張る」という意味があって、そのことを表しています。つまり、神があの会見の天幕(幕屋)で彼らと共に住まわれ栄光の雲として現れてくださったように、キリストと人となって私たちの間に住んでくださることによって、神の栄光を見ることができるということです。キリストは、そのために人となって私たちの間に住んでくださいました。そのことによって神がどんなに栄光に輝いておられる方であるか、恵みとまことに満ちた方であるかを示すためです。この方を信仰の目をもって見る人々には、この神の栄光を見ることができます。そして、その栄光は、恵みとまことに満ちていました。

 

恵みとまことに満ちておられたとはどういうことでしょうか。この「恵みとまことと」という言葉は、旧約聖書の「ヘセッド」と「エメット」というへブル語が背景にありますが、この二つの言葉が一緒に出てくる箇所を見てみると、これらは、いずれも神との契約において用いられていることがわかります。そしてこれは、神は契約を守ることにおいて真実であられるということを表しているのです。

 

皆さん、神様は契約を守られる方です。約束されたことは必ず果たされます。神様は、私たち人間に対して救いの約束をしてくださいました。その救いの約束というのは、神が御子をこの世に遣わして私たちが受けなければならない罪のさばきを代わりに受けることによって、私たちを罪から救ってくださるというものでした。その驚くべき救いの約束を果たすために、神はご自身のひとり子をこの世に遣わしてくださったのです。ですから、キリストが人となって私たちの間に住まわれたということ自体、神が真実な方であるということを表しているわけです。神様は、約束されたことを必ず守られるのです。

 

皆さんもよくご存知の「あしあと」という詩があります。マーガレット・F・パワーズというクリスチャンが書きました。この詩を見ると、本当に主は真実な方であることを感じます。

 

あしあと

「ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

 

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

イエス様は、決してあなたを捨てることはありません。なぜなら、そのように約束してくださったからです。マタイの福音書の最後に書かれてある大宣教命令にはこうあります。

「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいます。」(マタイ28:19-20)

これがイエス様の約束です。そして、イエス様は約束されたことを必ず果たしてくださいます。私たちはそうではありません。「こうします」「ああします」と約束しても、自分の都合が悪くなると簡単に約束したことを破ってしまいます。私たちの約束はいとも簡単に破られてしまいます。「約束は破るためにある」という言葉を聞いたことがありますが、本当にそうですね。破るためにあるようなものです。しかし、イエス様はそうではありません。約束されたことは必ず果たされるのです。なぜなら、この方は真実な方だからです。パウロは、こう言っています。「私たちが真実でなくても、キリストは常に真実である。ご自分を否むことができないからである。」(Ⅱテモテ2:13)

 

私たちもこのような人になりたいですね。箴言3章3節には、「恵みとまことがあなたを捨てないようにせよ。それをあなたの首に結び、心の板に書き記せ。」とあります。いったいどうしたらこのような人になれるのでしょうか。この方を見てください。この方は恵みとまことに満ちておられます。この方は父なる神のみもとから私たちのところへ来てくださいました。私たちと同じ人となってくださり、私たちの間に住んでくださいました。だから、この方を見るとき、私たちも恵みとまことに満ちた者になることができます。

 

宗教改革者ジャン・力ルヴァンはこう言っています。「キリストこそは恵みとまことの泉であり、汲みつくされ得ないほどに豊かな泉である。私たちすべてはその泉から汲み取るべきである」
私たちが恵みとまことに生きたいと願うなら、キリストの元へ行かなければなりません。それは、イエス・キリストという泉から汲むことによって私たちに及んでくるからです。

 

ヨハネはこの方について証しして、こう叫んで言いました。15節です。「『私の後から来られる方は、私にまさる方です。私より先におられるからです』と私が言ったのは、この方のことです。」

この「ヨハネ」とは、バプテスマのヨハネのことです。彼については前回のメッセージでお話ししました。彼は、自分の後から来られる方は、自分よりもまさる方だと言いました。なぜなら、自分よりも先におられたからです。どういうことですか?

ヨハネは、イエスの従兄弟にあたり、イエス様がマリヤから生まれる6ヶ月前にすでに生まれていました。それなのに私より先におられたというのは、この方が永遠の初めからおられたということ、つまり、この方は神のひとり子であられるということです。ヨハネは偉大な預言者で、女の中から産まれた者の中で、彼よりも偉大な者はいないと認められていたほどの人物ですが、そのヨハネが、「私はその方のくつのひもを解く値打ちがない」と言わしめるほど偉大なお方、それが神のひとり子キリストだったのです。

 

この方には神の栄光がありました。この方は恵みとまことに満ちておられました。ですから、あなたもこの方の元に行くなら、あなたも恵みとまことに満たされることができるのです。

 

Ⅱ.恵みの上にさらに恵みを受ける(16-17)

 

次に、16節と17節をご覧ください。

「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」

 

キリストは恵みとまことに満ちておられる方なので、この方を信じて歩む私たちも、その満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けることができます。ところで、この「恵みの上にさらに恵みを受けた」とはどういうことでしょうか?これは原文では「恵みの代わりに恵みを受けた」となっています。これはどういうことかというと、一つの恵みを受けたらそれでおしまいということではなく、その代わりにまた新しい恵みを受けるということです。ちょうど泉から水がこんこんと湧き出て来るように、神の恵みは尽きることがありません。

 

しかし、そればかりではありません。私たちの人生には、次々と問題が起こってくるものですが、たとえどんなに問題が起こっても、その問題に対する解答としての恵みがとめどなく与えられるということでもあります。いや、問題そのものさえも恵みとなります。なぜなら、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すということを知っているからです。問題さえも恵みであればすべてが恵みとなります。皆さん、キリストに信頼して歩む人生は、すべてが恵みなのです。どうしてそのように言えるのでしょうか。その理由が17節にあります。「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」

 

 

 

しかし、どうでしょう。私たち人間の中で完全にこれを守ることのできる人などいるでしょうか。いません。私たち人間は自らの罪と弱さのために神の戒めを完全に守ることはできないのです。自分の力でどんなに頑張ってみても、神が求めておられる基準に達することはできません。律法は本来良いものであり、神の恵みとまことを受けるための手段として神が与えてくださったものですが、だれも行うことができないのです。

 

皆さん、律法って何でしょうか?律法とは、神の「教え」や「戒め」のことです。内容的には、神に対して私たちが成すべき責任から、私たちがこの社会の中で生きていく上で守らなければならない道徳的、倫理的教えを包んでいます。申命記7章6節以下によると、イスラエルの民は神の一方的な恵みによって諸国民の中から特別に選ばれた神の民なので、この神の命令を守る者なら祝福を与えると約束してくださいました。

その代表的な律法に「十戒」と呼ばれるものがあります。もし彼らが神の声に聞き従い。神との契約を守るなら、彼らはあらゆる民族の中にあって、神の宝となると約束されました。出エジプト記20章3~17節に以下のようにあります。

①あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
②あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 ・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。
③あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
④安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
⑤あなたの父と母を敬え。
⑥殺してはならない。
⑦姦淫してはならない。
⑧盗んではならない。
⑨あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
⑩あなたの隣人の家を欲しがってはならない。

しかし、どうでしょう。どんなに神と約束しても、この命令を守ることのできる人がいるでしょうか。私は、いつも隣人の家を欲しがっていますから、もうアウトです。先日、アメリカの大学で学んでいる娘からラインで成績表が送られてきました。なぜ送ってよこしたのかわかりません。おそらく、これだけがんばっているよ!と伝えたかったのでしょう。何の科目なのかよくわかりませんが、ある科目は95.65%、別の科目は75.25%、他77.27%、80%、一つだけ57%というものがありました。その成績表はとてもわかりやすく、90%以上は鮮やかなグリーンの色で示してありました。80%以上は薄いグリーンの色です。70%以上は黄色。60%以下はレッドです。アメリカの大学では60%以下はレッドですが神の基準はとても高く、90%でないと鮮やかなグリーン色にはなりません。ちょっとでもミスをするとレッド色になってしまいます。まして神の律法は90点以上だけではだめなのです。常に100%でなければなりません。

しかし、どうでしょう。私たち人間の中で完全にこれを守ることのできる人などいるでしょうか。いません。私たち人間は自らの罪と弱さのために神の戒めを完全に守ることはできないのです。自分の力でどんなに頑張ってみても、神が求めておられる基準に達することはできません。律法は本来良いものであり、神の恵みとまことを受けるための手段として神が与えてくださったものですが、だれも行うことができないのです。

しかし、この律法とは別に、律法と預言者によって証しされた神の義が示されました。それがイエス・キリストです。キリストはこの律法を完全に行うことができた方であるというだけでなく、この律法が本来、指し示していた方でした。このキリストが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死んでくださったことによって、この方を信じるすべての人の罪は赦され、神の前に義と認められるようになったのです。これが「恵み」です。「恵み」とは何ですか?恵みとは、受けるに値しない者に対する神の一方的な恩寵です。これはグッドニュース、福音です。

エペソ人への手紙2章1~5節にはこうあります。

「さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。」

 

私たちは、かつては背きと罪の中に死んでいた者です。死んでいたわけですから、自分ではもう何もすることができません。死んだ人がヨイショと起き上がって動き出すことができるでしょうか。できません。しかし、神はそのような者をあわれんでくださり、一方的に救いの御手を差し伸べてくださいました。背きの中に死んでいた者を、キリストとともに生かしてくださったのです。これが恵みです。この恵みは、イエス・キリストによって実現しました。それは私たちから出たことではなく、神からの賜物なのです。

 

そればかりではありません。この方を信じ、この方に結びつくことによって、恵みの上にさらに恵みを受けることができるようになりました。なぜなら、この方の恵みは満ち満ちておられるからです。この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを、尽きない恵みを受けるようになったのです。

 

Ⅲ.父のふところにおられるひとり子の神(18)

 

最後に18節を見て終わりたいと思います。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

 

これまで私はよく色々な人から「神がいるなら見せてくれ」と言われたことがあります。「神がいるなら見せてくれ」と言われても、神は霊ですから私たちの肉眼で見ることはできません。ではどうしたら神を知ることができるのでしょうか。ここでヨハネはこう言っています。

「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」

 

神は私たちの肉眼で見ることはできませんが、そんな私たちでも神を知ることができるように、神はご自身の御子を人としてこの世に送られ、神がどのような方であるのかを私たち人間にはっきりと啓示してくださったのです。

 

ですから、もしだれかに「あなたが信じている神様はどういうお方ですか」と聞かれたら、「イエス・キリストを見ればわかります」と答えることができます。「いや、イエス・キリストご自身が私たちの信じている神様です」と答えることができます。なぜなら、キリストは父のふところにおられたひとり子の神なので、完全に神を説き明かすことができたからです。

 

「父のふところにおられるひとり子の神」とは、イエス・キリストが父なる神と不断の親しい交わりを持っておられたということを表しています。父なる神といつも一緒にいて親しく交わっておられたので、父なる神がどのような方かがよくわかりました。人間の親子でもそうでしょ。子どもであれば、親がどのような人かがよくわかります。いつも一緒にいるからです。うちの娘は私のことをよく知っています。いつも一緒にいてみているからです。でもその交わりにも限界があります。知っているつもりでも知らないこともあるのです。「親の心、子知らず」ということわざのとおりです。けれども、三位一体の神の交わりはそうではありません。神は完全な交わりを持っておられます。ですから、ひとり子の神が、神を完全に神を説き明かすことができたのです。

 

イエス様の弟子の一人ピリポはイエス様にこう言いました。

「主よ、私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」(ヨハネ14:8)これは私たちの持っている願いと同じですね。それに対して、イエス様はこのように言われました。

「ピリポ、こんなに長い間、あなたがたと一緒にいるのに、わたしを知らないのですか。わたしを見た人は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてください』と言うのですか。」(ヨハネ14:9)

私たちも、神を見ることができたらと思うことがあります。しかしイエス様は、「わたしを見た人は、父を見たのです。」と言われました。キリストを見れば、父なる神を見ることができるのです。キリストを見るということは神を見るということ、キリストを知るということは神を知るということなのです。

 

あなたはどれだけ神を知っておられるでしょうか。私たちの信仰生活は、この神をどれだけ深く知っているかにかかっています。ですから、私たちはこのイエス・キリストをよく知らなければなりません。イエス・キリストについては聖書の中に、特に四つの福音書に詳しく書かれています。聖書を通してキリストをよく知り、この方との生きた交わりを通して、まぐみとまことを豊かに頂き、さらに大きく成長させていただきたいと思います。

士師記9章

士師記9章からを学びます。まず1節から21節までをご覧ください。

 

Ⅰ.アビメレクとシェケムの住民の悪(1-21)

 

まず6節までをお読みします。

「さて、エルバアルの子アビメレクは、シェケムにいる母の身内の者たちのところに行き、彼らと母の一族の氏族全員に告げて言った。

「どうかシェケムのすべての住民の耳に告げてください。『あなたがたにとって、エルバアルの息子七十人全員であなたがたを治めるのと、ただ一人があなたがたを治めるのとでは、どちらがよいか。私があなたがたの骨肉であることを思い起こすがよい』と。」

アビメレクの母の身内の者たちが、彼の代わりに、これらのことをみな、シェケムのすべての住民の耳に告げたとき、彼らの心はアビメレクに傾いた。彼らが「彼は私たちの身内の者だ」と思ったからである。

彼らは、バアル・ベリテの神殿から銀七十シェケルを取り出して彼に与えた。アビメレクはそれで、粗暴なならず者たちを雇った。彼らはアビメレクに従った。

アビメレクはオフラにある彼の父の家に行って、自分の兄弟であるエルバアルの息子たち七十人を一つの石の上で殺した。しかし、エルバアルの末の子ヨタムは隠れていたので生き残った。

シェケムのすべての住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、行って、シェケムにある石柱のそばの樫の木の傍らで、アビメレクを王とした。」

 

「エルバアル」とはギデオンのことです。ギデオンには七十人の息子がいましたが、その中の一人の子アビメレクが、シェケムにいた母の身内の者たちのところに行き、彼らは母の一族全員にギデオンの七十人の息子全員でイスラエルを治めるのと、一人が治めるのとでは、どちらがよいかと告げると、シェケムのすべての住民の心はアビメレクに傾きました。なぜなら、彼はシェケムの出身だったからです。そこでシェケムの住民とベテ・ミロのすべての人々は集まり、アビメレクを王としました。

 

ここで「シェケム」の場所を確認しておきましょう。巻末の「12部族に分割されたカナン」を見ると、エフライムの境界線に近いマナセの領地にあることがわかります。ここはかつてヨシュアがイスラエルの全部族を集め、民と契約を結び、彼らのために掟と定めを置いた所です。(ヨシュア24:1-24)

ヨシュアはそれらのことばを神の教えの書に記し、大きな石を取り、主の聖所にある樫の木の下に立てました。(ヨシュア24:25)この石こそ6節にある「石柱」のことです。その後、ヨシュアは、百歳で死に、隣のエフライムの相続地にあるティムナテ・セラフに葬られました。また、エジプトから携え上ったヨセフの遺骸を、シェケムの地に葬りました。

ですから、「シェケム」というのは地理的にもそうですが、信仰的にもイスラエルの中心であったことがわかります。そこであった出来事がこれなのです。

ギデオンが死んだ後、彼の一人の息子アビメレクが王となります。彼らはアビメレクからの提案を受けると、彼が自分たちの身内の者であるという理由で、彼を王にしようとしました。それで、彼らはアビメレクにバアル・ベリテの神殿から銀七十シェケルを取り出して与えました。するとアビメレクはそれで、粗暴なならず者たちを雇い、ギデオンの七十人の息子たちのうち、末の子ヨタム以外の兄弟全員を殺しました。

 

すると、そのことが末の子ヨタムに告げられ、ヨタムは預言します。7節から21節までをご覧ください。

「このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、彼らに叫んだ。「私に聞け、シェケムの人々よ。そうすれば神はあなたがたに耳を傾けてくださる。

木々が出かけて行って、自分たちの上に王を立てて油を注ごうとした。木々はオリーブの木に言った。『私たちの王となってください。』

すると、オリーブの木は彼らに言った。『私は、神と人をあがめるために使われる私の油を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

木々はいちじくの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

しかし、いちじくの木は彼らに言った。『私は、私の甘みと良い実を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

木々はぶどうの木に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

しかし、ぶどうの木は彼らに言った。『私は、神と人を喜ばせる私の新しいぶどう酒を捨て置いて、木々の上にそよぐために行かなければならないのだろうか。』

そこで、すべての木が茨に言った。『あなたが来て、私たちの王となってください。』

茨は木々に言った。『もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。』

今、あなたがたは誠意と真心をもって行動して、アビメレクを王にしたのか。あなたがたはエルバアルとその家族に良くして、彼の手柄に報いたのか。

私の父は、あなたがたのために戦い、自分のいのちをかけて、あなたがたをミディアン人の手から助け出したのだ。

しかし、あなたがたは今日、私の父の家に背いて立ち上がり、その息子たち七十人を一つの石の上で殺し、また、あなたがたの身内の者だからというので、女奴隷の子アビメレクをシェケムの住民たちの上に王として立てた。

もしあなたがたが、今日、エルバアルとその家族に対して誠意と真心をもって行動したのなら、あなたがたはアビメレクによって喜ぶがよい。彼も、あなたがたによって喜ぶがよい。

もしそうでなかったなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くし、シェケムの住民とベテ・ミロからも火が出て、アビメレクを焼き尽くすだろう。」

それから、ヨタムは逃げ去ってベエルに行き、兄弟アビメレクの顔を避けてそこに住んだ。」

 

このことがヨタムに告げられたとき、彼は行って、ゲリジム山の頂上に立ち、声を張り上げ、シェケムの人たちに叫びました。ヨタムは、ギデオンの末の子でしたが、アビメレクが自分の兄弟七十人を殺したとき隠れて難を逃れたのです。

彼は、まずたとえを語ります。木々が自分たちの王になってくれるようにとオリーブの木に、次にいちじくの木に、次にぶどうの木にお願いします。「木々」とは、シェケムの人々のこと、オリーブの木やいちじくの木、ぶどうの木はギデオンの後に出たイスラエルの勇士たちのことでしょう。ところが、これらはいずれも、その願いを退けます。それで最後に、茨に向かって、「あなたが来て、私たちの王になってください。」と言いました。すると、茨は木々に言いました。

「もしあなたがたが誠意をもって私に油を注ぎ、あなたがたの王とするなら、来て、私の陰に身を避けよ。もしそうでなければ、茨から火が出て、レバノンの杉の木を焼き尽くすだろう。」(15)

 

この「茨」とはアビメレクのことです。彼は王にふさわしくない、野心に満ちた危険な存在であるとヨタムは警告しています。そして、これはあなたがたに善意を尽くしたギデオンに真実を尽くしたものなのか、と問います。いや、そうではありません。ギデオンは良いことをしたのに、彼と彼の家族に感謝し、誠意と真心をもって行動したかというとそうではなく、むしろ彼らは自分たちの欲望を満たすためにそむきの罪を犯したのだと断罪するのです。そして、もしそうでないなら、アビメレクから火が出て、シェケムの住民とベテ・ミロを焼き尽くすと宣言しました。(20)これはどういうことかというと、アビメレクとシェケムの人々は、今は悪い考えで一致しているが、その関係は決して長続きしないということです。彼らは、やがて互いに食い合い、滅ぼし合って、さばきをもたらし合うようになる、ということです。これを聞いたアビメレクやシェケムの人々は、そんなことはないと笑っていたことでしょう。そして3年間はこの状態が保たれたようです。しかし時が経過して、このヨタムの宣言は現実のものとなって行きます。

 

Ⅱ.暴虐への報い(22-49)

 

22節から25節までをご覧ください。

「アビメレクは三年間、イスラエルを支配した。

神は、わざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたので、シェケムの住民たちはアビメレクを裏切った。

こうして、エルバアルの七十人の息子たちに対する暴虐への報いが現れ、彼らの血が、彼らを殺した兄弟アビメレクと、アビメレクに手を貸してその兄弟たちを殺したシェケムの住民たちの上に降りかかった。

シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、また道を通り過ぎるすべての者から略奪した。やがて、このことがアビメレクに告げられた。

 

まず、シェケムの人々がアビメレクを裏切りました。それは、神がわざわいの霊をアビメレクとシェケムの住民の間に送られたからです。(23) シェケムの住民たちは、アビメレクを待ち伏せする者たちを山々の頂上に置き、そこを通り過ぎるすべての者から略奪したのです。これはどういうことかというと、シェケムの人たちが略奪を繰り返すことによってシェケムの治安を悪化させ、アビメレクの支配を揺るがそうとしたということです。こうしてアビメレクとシェケムの人たちの間に亀裂が生じました。前述のヨタムの言葉で言えば、シェケムから火が出たわけです。

 

そればかりではありません。今度はエベデ人ガアルが加わります。26節から29節までをご覧ください。

エベデの子ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムを通りかかったとき、シェケムの住民たちは彼を信用した。

住民たちは畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、祭りを催して自分たちの神の宮に入って行き、食べたり飲んだりしてアビメレクをののしった。

そのとき、エベデの子ガアルは言った。「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。

だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」彼はアビメレクに「おまえの軍勢を増やして、出て来い」と言った。」

 

エベデ人ガアルとその身内の者たちが来て、シェケムの住民たちのところに来ると、シェケムの人たちは彼を信用しました。そして、畑に出て行って、ぶどうを収穫して踏み、食べたり飲んだりしたとき、アビメレクをののしりました。

するとガアルは、「アビメレクとは何者か。シェケムとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは。彼はエルバアルの子、ゼブルは彼に仕える者ではないか。シェケムの父ハモルの人々に仕えよ。なぜわれわれはアビメレクに仕えなければならないのか。だれか、この兵を私の手に与えてくれないものか。そうすれば、私はアビメレクを追い出すのだが。」と言いました。

 

このところからわかることは、彼はハモルと深いつながりがあった人物であるということです。「ハモル」とは、ヤコブがまだ生きていた頃、ラバンのところから約束の地に帰ってくるとき、シェケムにとどまっていたときの首長です。もともと、ここにはヒビ人ハモルとその子シェケムらが住んでいましたが、シェケムがディナを見てこれを捕らえこれと寝て辱めるという事件が起こったため、ヤコブの息子たちは一つの民となる約束を交わし、相手方に割礼を受けさせました。そしてその傷が痛んでいる間に襲って、すべての男子を殺しました(創世記34章)。そのシェケムの父ハモルの血を引く者たちが残っていたのでしょう。ガアルもその一人だったと考えられます。その彼がシェケムの父ハモルの人々に仕えよ、と叫んだのです。

 

先にアビメレクが自分はシェケム出身であると訴えて、シェケムの人々の心を勝ち取りましたが、今度はガアルがこの町のより深い歴史に訴えて、アビメレクに対する謀反を煽ったのです。こうしてアビメレクは自分がしたように他の人にもされることになりました。

 

その結果どうなったでしょうか。30節から45節までをご覧ください。

「この町の長ゼブルは、エベデの子ガアルの言ったことを聞いて怒りを燃やし、

ひそかにアビメレクのところに使者を遣わして言った。「今、エベデの子ガアルとその身内の者たちがシェケムに来ています。なんと、彼らは町をあなたに背かせようとしています。今、あなたとあなたとともにいる兵が、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、朝早く、太陽が昇るころ、町に襲いかかるようにしてください。すると、ガアルと、彼とともにいる兵があなたに向かって出て来るでしょう。あなたは手当たり次第、彼らを攻撃することができます。」そこで、アビメレクと、彼とともにいた兵はみな、夜のうちに立って、四隊に分かれてシェケムに向かって待ち伏せた。

エベデの子ガアルが出て来て、町の門の入り口に立ったとき、アビメレクと、彼とともにいた兵は、待ち伏せしていたところから立ち上がった。

ガアルはその兵を見て、ゼブルに言った。「見よ、兵が山々の頂から下りて来る。」ゼブルは彼に言った。「あなたには、山々の影が人のように見えるのです。」

ガアルはまた続けて言った。「見よ、兵がこの地の一番高いところから下りて来る。さらに一隊がメオンニムの樫の木の方から来る。」

ゼブルは彼に言った。「『アビメレクとは何者か。われわれが彼に仕えなければならないとは』と言ったあなたの口は、いったいどこにあるのですか。あなたが見くびっていたのは、この兵ではありませんか。さあ今、出て行って、彼と戦いなさい。」そこで、ガアルはシェケムの住民たちの先頭に立って出て行き、アビメレクと戦った。

アビメレクが彼を追ったので、ガアルは彼の前から逃げた。多くの者が刺し殺されて倒れ、門の入り口にまで及んだ。」

 

このことを聞いたアビメレクは、怒りを燃やし、夜のうちに立って、野で待ち伏せし、翌朝早く、町に襲いかかり、ガアルと、彼とともにいた者たちを打ちました。 しかし、アビメレクの怒りはこれで収まりませんでした。裏切ったシェケム人に対する復讐心に燃え上がります。

 

41~45 節をご覧ください。

アビメレクはアルマにとどまったが、ゼブルは、ガアルとその身内の者たちを追い払って、彼らをシェケムにとどまらせなかった。

翌日、兵が野に出て行くと、そのことがアビメレクに告げられた。そこで、アビメレクは自分の兵を引き連れ、三隊に分けて、野で待ち伏せた。彼が見ていると、見よ、兵が町から出て来た。そこで彼は立ち上がって彼らを討った。

アビメレクと、彼とともにいた一隊は町に襲いかかって、その門の入り口に立った。一方、残りの二隊は野にいたすべての者を襲って打ち殺した。

アビメレクは、その日一日中、町を攻め、この町を占領して、その中の民を殺した。彼は町を破壊して、そこに塩をまいた。」

 

アビメレクは、自分の兵を引き連れてシェケムの町に襲いかかり、すべての者を打ち殺し、増した。彼はこの町を破壊して、そこに塩をまきました。「塩をまく」という行為は、もう二度と再建されないという意味です。

 

そればかりではありません。46~49 節にあるように、エル・ベリテの神殿の地下室に逃げ込んだ者たちを滅ぼすため、この地下室に火をつけて一千人を皆殺しにしました。まさにギデオンの末の子ヨタムが預言したように、アビメレクから火が出て、シェケムの者たちを食い尽くしたのです。

 

Ⅲ.アビメレクの死(50-57)

 

それからどうなってでしょうか。最後に50節から55節までをご覧ください。

「それからアビメレクはテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領した。

この町の中に堅固なやぐらがあった。すべての男女、町の住民たち全員はそこへ逃げて立てこもり、やぐらの屋根に上った。

アビメレクはやぐらのところまで来て、これを攻め、やぐらの入り口に近づいて、これを火で焼こうとした。

そのとき、一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕いた。

アビメレクは急いで、道具持ちの若者を呼んで言った。「おまえの剣を抜いて、私にとどめを刺せ。女が殺したのだと私について人が言わないように。」若者が彼を刺したので、彼は死んだ。

イスラエル人はアビメレクが死んだのを見て、一人ひとり自分のところへ帰って行った。」

 

アビメレクの怒りはそれでも収まりませんでした。シェケムの一部の人たちがテベツに逃れると、今度はテベツに行き、テベツに向かって陣を敷いて、これを占領しました。そして、やぐらに火を放ちそこへ逃げ込んだ住民たちを滅ぼそうとしました。しかし、そのとき一人の女がアビメレクの頭にひき臼の上石を投げつけて、彼の頭蓋骨を砕きました。ひき臼は、直径30センチくらいの石です。そのような石がうまく命中して死ぬというのも、まさに神の御手によると言えます。

 

ここにも皮肉があります。アビメレクはギデオンの子らを一つの石の上で殺しましたが、その彼自身、石を投げつけられ、石の傍らで死にます。自分がしたようにされたのです。ヨタムはアビメレクを呪ったが自ら手を下すことなく、アビメレクは葬り去られました。

 

これらの出来事から、私たちは何を学ぶことができるでしょうか。この章の結論は56節と57節です。

「こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返された。神はまた、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返された。エルバアルの子ヨタムののろいが彼らに臨んだ。」

 

ここには「報い」という言葉が強調されています。こうして神は、アビメレクが兄弟七十人を殺して自分の父に行った、その悪の報いを彼に返されました。また、シェケムの人々のすべての悪の報いを彼らの頭上に返されました。これは神の報いなのです。神に背いて王となったアビメレクと、それに共謀したシェケムの住民がともにさばきを受けたのです。

 

私たちも神にそむき、自分の欲望と満足に生きるのであれば、必ず神のさばきを受けることになります。現実的にはそう見えない時があっても神の支配はそこにあり、時至って一人一人にふさわしい報いをお与えになるのです。仮にこの世でそうでなくても、来たるべきさばきにおいて必ずそれは実現するでしょう。

 

ですから、私たちに求められているのは、神の恵みに心を留めるということです。神はギデオンがイスラエルのためにいのちをかけてミディアン人と戦い、彼らをミディアン人の手から救い出したように、ご自分のいのちをかけて、私たちを罪の中から救い出してくださいました。そのことを心に留めなければなりません。そのことから離れると、すぐに元の生活に逆戻りし、主の目の前に悪を行うことになってしまいます。悪は悪の報いをもたらします。その悪は必ず自分に戻ってくるのです。そういうことがないように、いつも主の恵みに心を留め、誠意と真心をもって主に応答し、主に喜ばれる生活をささげていかなければなりません。主の前に正しく生きる者の恵みは大きいのです。

ヨハネの福音書1章9~13節「神の子どもとなる特権」

今日は、ヨハネの福音書1章9節から13節までの箇所から、「神の子どもとなる特権」というタイトルでお話ししたいと思います。12節をご覧いただくと、ここに

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。」とあります。

よく「人類、みな兄弟」とか、「だれでもみな神の子ども」といった標語を聞くことがありますが、ここで言われている「神の子ども」とはそういうことではありません。聖書は、私たちはだれも生まれながら神の子どもである人はいないと教えています。もともとは神のかたち、神の子どもとして造られましたが、最初の人アダムが罪を犯したことで、人はみな神の子どもとしての資格を失ってしまいました。ですから、聖書は、私たち人間は新しく生まれ変わらなければ神の子どもとしての資格が与えられないと教えています。しかもその資格はただの資格ではありません。ここには「特権」とあります。これはものすごい特権なのです。きょうは、この「特権」についてご一緒に考えていきたいと思います。

 

Ⅰ.すべての人を照らすまことの光(9)

 

まず、9節をご覧ください。

「すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。」

 

ヨハネは、4節で「この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった」と述べました。キリストは人の光です。もし光がなかったらどうなるでしょうか。光がなかったら大変なことになってしまいます。

 

今月6日、北海道で震度7の地震が発生しました。それは明け方3時頃の出来事で、一時北海道全域の295万戸が停電となりました。それまでついていた明かりが一瞬に消え、あたり一帯が真っ黒になりました。街を歩いていた人は暗闇の中でどこを歩いているか分からなかったので不安だったと言います。また、停電は一部で復旧はしたものの多くの地域では停電が続いたため、さすがに夜は暗くて怖かったと言います。水と合わせて電気がないと生活ができません。光がないと生きることができません。その光こそイエス・キリストです。キリストは、すべての人を照らすまことの光なのです。

 

確かにこの世界には、私たちの生活を明るくする光のようなものがいくつもあります。たとえば、科学はその一つでしょう。科学技術が進歩したおかげで生活が非常に便利になりました。病気で死ぬ人の数も減り、日本は世界でも有数の長寿国となりました。しかしながら、いくら科学技術が進歩しても、それで人間が幸せになったのかというとそうではありません。今日の日本ほど自由で平和な国はありませんが、それなのに、日本人のみなが幸福な生活をしているかというと決してそうではないのです。古き良き時代を思い返して、「あの時は良かった!」ということも少なくないのではないでしょうか。

ですから、物質的には豊かになり、思想的には自由になっても、それが人間を本当に幸福にするのかというとそうではなく、人間を幸福にするには、これとは別のもっと重要な面があることを知らなければなりません。それは何でしょうか。それは永遠のいのちです。

 

人はどんなに知的に優れていようが、経済的に豊かであろうが、自由を享受しようが、それだけでは幸福になることはできません。なぜなら、前回のメッセージでもお話ししたように、人は神のかたちに造られているからです。神のかたちとは何でしょうか?覚えていらっしゃいますか?それは、神につながる部分、つまり霊のことです。人は肉体と精神だけで造られているのではなく、霊を持つものとして造られました。ですから、神から離れたら本当の満足を得ることはできません。それが動物と決定的に違う点です。私たちが人間として幸福に生きるためには神を礼拝し、神との交わりを欠かすことはできないのです。

 

神は、そのために必要な光をこの世に与えてくださいました。それがイエス・キリストです。この光はすべての人を照らす光です。そして、この光はまことの光です。そのまことの光が、世に来ようとしていたのです。

 

Ⅱ.この方を受け入れなかった人々(10-11)

 

次に10節と11節をご覧ください。

「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。」

 

それに対して、この世はどのように応答したでしょうか?この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知りませんでした。この方はこの世界を造られた創造主であられるのに、この世の人々はキリストがこの世に来られた時、この方を受け入れませんでした。

 

なぜこの方を受け入れることができなかったのでしょうか?それは人には罪があるからです。罪があるので神を認めたくないのです。真理を真理として認めるためには、その人の心の態度が重要です。初めから偏見を持っていたのでは、決して真理を真理として認めることができません。そうした偏見を捨てて、真理の前に虚心坦懐になることが必要です。しかし、神から離れている人は、自分では虚心坦懐になったつもりでも、なかなかそのようになれません。霊的に盲目になっているからです。霊的に盲目な人は、自分でも気づかずに偏見を持っていて、真理に対して敵対してしまうのです。ですから、キリストはご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこれを受け入れなかったのです。

 

11節には「この方はご自分のところ来られたのに」とありますが、この「ご自分のところ」とは、下の注釈にもあるように、「ご自分のもののところ」のことで、イスラエルの民のことを指しています。イスラエルの民は、神が特別に選ばれた神の民として特別な恵みが与えられていたのに、この方が来られると、受け入れないどころか、十字架につけて殺してしまいました。キリストはそのことを、ぶどう園の農夫たちのたとえでお話しなさいました。

「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。

収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。

その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。すると農夫たちは、その息子を見て、『あれは跡取りだ。さあ、あれを殺して、あれの相続財産を手に入れよう』と話し合った。そして彼を捕らえ、ぶどう園の外に放り出して殺してしまった。ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」」(マタイ21:33-40)

 

このように、イスラエルの民がキリストを十字架につけて殺したことについては、もはやは何の言い訳もできないことでした。イスラエルの民にしてそうなのです。ましてやそのほかの民はなおさらのことです。

 

「親の心子知らず」ということわざがあります。子供は親がどれだけ配慮してくれているか、犠牲を払ってくれているのかなかなか分かりません。自分一人で大きくなったと思っていますが、決してそうではありません。親がいてくれるからこそ、ここまで大きくなることができたのです。それなのに、だんだんと成長するに従い反抗的になってきます。

 

恥ずかしい話ですが、私にもそういう時がありました。小さい頃はかわいくて、本当にいいだったのに、中学生になった頃から少しずつ反抗的になり、母親に対してひどいことを言うようになりました。「あんたなんて親でもない。だれも生んでくれなんて頼んだことなんてないし・・・。」ひどい言葉ですね。これは子どもが親に対して言う最低の言葉でしょ。本当に罪です。結婚して子供が生まれたとき、それがどれほどひどい態度であることがわかりました。

赤ちゃんにおっぱいを飲ませ、おむつを交換し、さまざまな愛の配慮をするわけですが、それがどれほど大変なことか・・。自分の子どもを育てて初めてわかりました。その子どもから、「だれもあんたに生んでくれなんて頼んだことなんかない」とか、「あんたなんて親でも何でもない」と言われたら、どれほど悲しいでしょう、苦しいでしょうか。けれども、私たちはそうなんです。神様に対して反抗し、一人で大きくなったかのように思い込んでいるのです。これはとんでもない錯覚であり、思い違いです。

 

この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世は、この方を知りませんでした。この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこれを受け入れなかったのです。

 

ヨハネの福音書1章1節と2節からのメッセージで紹介したギュツラフ訳では、11節をこう訳しています。「彼は自身の屋敷へ参った。ただし、自身の人間は彼を迎えでなんだ。」

何とも味がありますね。「自身の屋敷へ参った」とか、「自身の人間は彼を迎えなんだ」という表現は、庶民的というか、すーっと入ってきます。

でも想像してみてください。皆さんが、家族のために一生懸命働いて家に帰って来たとして、玄関のドアをあけたとたん、「あなたは誰ですか?」「あなたのことなど知らないし、必要でもないです」と言われたとしたらどうでしょう。

イエス様は、ご自身の民のところへ来られたのに、そのように言われたのです。それは本当に悲しいというか、悲しいを越えてどれほど苦しかったことかと思います。

 

Ⅲ.この方を受け入れた人々(12-13)

 

けれども、そのような中にあっても、この方を受け入れた人々がいます。12節と13節をご覧ください。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

多くの人々が罪のゆえに、また偏見に基づいてキリストを毛嫌いし、受け入れないという中にあっても、謙虚になって神を求め、キリストを受け入れる人もいます。そのような人には、神の子どもとされる特権が与えられると約束されてあります。

 

先ほども申し上げたように、この神の子どもとされるというのは「人類、みな兄弟」とか、「だれでもみな神の子ども」といったことではありません。罪のために断絶していた神との関係が回復され、新しい絆で結ばれるようになるということです。また、罪のために死んでいた状態にあった人が神の御霊によって新しく生まれ、神のいのちによって生かされることです。

 

ルカの福音書15章に、有名な放蕩息子の話があります。ある人に二人の息子がいましたが、弟のほうが父親から財産を譲り受け、すぐに父親の元を離れ、遠い国に行って、そこで放蕩して、財産を湯水のように使い果たしてしまいます。

しかし、その地方全体に激しい飢饉が起こると、食べることにも困り始めたので、ある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑に送って、豚の世話をさせたのです。彼は、豚が食べているいなご豆で腹を満たしたいほどだったが、だれも彼に与えてはくれませんでした。

その時です。彼ははっと我に返るのです。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が、大勢いるではないか。それなのに、私はここで飢え死にしそうだ。」そうだ、父のところに帰ってこう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前に罪ある者です。もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください。」(ルカ15:18-19)

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとへ向かうと、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、駆け寄って彼の首を抱き、口づけしたのです。そして、息子がお父さんに、「お父さん。私は天に対して罪を犯し、あなたの前にも罪を犯しました。もう、息子と呼ばれる資格はありません。」

するとどうでしょうか。父親は、しもべたちに言いました。

「急いで一番良い衣を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。食べて祝おう。」(ルカ15:22-23)

 

いったいなぜこの父親はこんな息子のために祝宴まで開いたのでしょうか?うれしいかったからです。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったからです。

そうです、私たち人間は神様の目で死んでいた者であり、いなくなっていました。神様によって造られたのに、その神のもとを離れて自分勝手な生活を送っていました。つまり、霊的に失われた者、死んでいたのです。しかし、神は、そんな私たちを探し出してくださり、もう一度子どもとしての資格を与えてくださるのです。

 

神様は、私たちが神様のもとに帰ることを待ち望んでおられます。そして、その道を備えてくださいました。それがイエス・キリストです。キリストは神とともにおられた神であり、このいのちを持っておられました。それは人の光です。イエス様は、父なる神様がどんなに愛に満ちた方であるかを示し、私たちの心を照らし私たちの惨めな状態、罪の心を悟らせて、神様のみもとに返る道を照らしてくださいました。すべてを照らすそのまことの光が、この世に、私たちのところに、来てくださったのです。ですから、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、この神の子どもとなる特権を与えられるのです。

 

ヨハネ黙示録3章20節には、こう書かれています。「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」

 

イエス様は私たちの心の戸をたたいておられます。その音を聞いて、戸を開けるなら、イエス様がその人のところに入ってくださいます。そして一緒に食事をしてくださいます。一緒に食事をするというのは、イエス様と親しく交わることができるということです。これまでは神に敵対していました。神よりも自分の考えや思いを中心に生きていました。そのため、神との関係が断たれ、霊的には死んでいたのですが、神の呼びかけに応答して扉を開けるなら、神はあなたの中にも入ってくださり、食事を共にするという幸い、つまり、神の子どもとしての特権を与えてくださるのです。

 

いったいそれはどのようにして成されるのでしょうか。13節をご覧ください。ご一緒に読みましょう。

「この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。」

 

ここには、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである、とあります。どういうことでしょうか?「血によってではなく」とは、「血筋によってではなく」ということです。それは、先祖や親の身分、地位によってではなくということです。

ユダヤ人たちは、自分たちの先祖がアブラハムであり、そのアブラハムの偉大さのゆえに、その子孫である自分たちは神の子どもになれると考えていました。しかし、そうではないのです。

「あなたは血筋が良いから、家柄が良いから」神の子にしてあげよう、ではないのです。「健康だから、頭がよいから、姿形が整っていて美しいから」神に子になれるということではないのです。

 

また、「肉の望むところでも人の意志によってでもなく」というのは、私たちの願望とか熱意によってではなくということです。「あなたは一生懸命に頑張ったから」神の子になれるとか、「そのために努力したから」なれるということでもありません。ただ神によって生まれたのです。

 

考えてみれば、確かにそうではないでしょうか。私たちはこの時代に生まれようと思って生まれてきたのでしょうか。どこか他の国ではなく日本に生まれようと思って生まれてきたのでしょうか。男として生まれよう、女として生まれようと計画して生まれてきたのでしょうか。この家庭に生まれよう、あの家庭に生まれようと願って、生まれたのでしょうか。そうではありません。こうしたことは、自分の力ではどうすることもできないことです。私たちの人生には、自分の願いや努力ではどうすることもではないことがあるのです。

 

三浦綾子さんがこのようなことを書いておられます。「自分は若い頃、海に入って自殺しようとしたが、人に助けられて死ぬことができなかった。しかし今は生きたいと願うようになったのに、肺結核となり、いつ死ぬか分からない状態である。」

死にたいと思う時には死ねないで、生きたいと思う時には死にそうになっている。私たちの人生とは、このようなものです。私たちの人生は、決して自分が思うようにはならないで、大きな方の意志によって動かされていることがわかります。

 

それは私たちの救いに関しても言えることです。私たちが教会に来て、神を信じるようになったのは、自分がそう願ったから、そのように努力したからというよりは、その背後に神の導きがあったからです。そこにはいろいろな人との出会いもあったでしょう。しかし、そうした出会いもまた神様が導いてくださったものです。

 

私は18歳の時イエス様を信じましたが、よく考えてみると、本当に不思議なことだと思います。信じたくて信じたわけではありません。私の家族や親戚にはクリスチャンは一人もいませんでしたし、そういう環境でもありませんでした。ただ幼稚園がキリスト教の幼稚園で、小さい頃からイエス様へのあこがれがあったのは事実です。死に対する恐怖心がありました。あまりにも怖くて電車の線路の上を、「母ちゃんが死ぬなんて嫌だ!」と泣きながらずっと走ったのを覚えています。だからと言って、それで必ずしもイエス様を信じられるかというとそうと、そうではありません。しかし、神様はその後も私の人生において様々な人との出会いや出来事を通して私を捕らえてくださいました。何か見えない糸に導かれるようにして信仰に導かれたのです。本当に不思議なことです。

 

ですから、私たちが神の子どもとなるのは、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ神によってなのです。「神によって」とは、「神を信じることによって」ということです。もしあなたが今、そのように導かれているなら、どうかこの方を信じてください。信じて、あなたの心に受け入れてください。この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権が与えられるのです。

それはことばを変えて言うなら、キリストの懐に飛び込むということです。キリストを受け入れることとキリストの懐に飛び込んで行くことは丁度逆のようですが、全く同じことです。というのは、キリストを受け入れるとは、キリストを全面的に自分のうちに迎えるということで、キリストの中に飛び込んで行くことにほかならないからです。

 

そのことさえも、実は神の恵みなのです。自分で飛び込みたくても怖くて飛び込めないという方もおられるでしょう。しかし、この方の懐に飛び込むなら、この方がしっかりと受け止めてくださいます。ですから、あなたのすべてをキリストにゆだね、清水の舞台から飛び降りるように、キリストの懐に飛び込んでください。そのとき、あなたは神によって新しく生まれます。神の子どもとしての特権が与えられるのです。

 

また、私たちが今ここに存在して生きていること、キリストを信じていること、教会に集うことができること、これらすべてのことは神の恵みであり、ただ神によって導かれていることを覚え、神に感謝しつつ、さらにこの信仰に歩ませていただきたいと思います。